旧恩を忘れないということ
『易経』に、「旧徳を食みて貞なれば、厲うけれども終には吉なり」とある。古くから受けた恩を忘れず、正しい道を守って生きるならば、たとえ一時は危うい目に遭うことがあっても、最後には必ず吉に至るという意味である。宮司は、この言葉を読むたびに、人間の生き方の根本を思う。人は、自分一人の力で今日まで歩いてきたのではない。親の恩、師の恩、友の恩、先人の恩、国の恩、神仏の恩。その無数の恩の上に、いまの自分が立っているのである。
ところが、人間は順調なときほど、その恩を忘れやすい。自分の力で道を切り開いたように思い、自分の才覚で成功したように錯覚する。世話になった人の顔を忘れ、助けられた日の苦しさを忘れ、励まされた一言の重みを忘れてしまう。これほど恐ろしいことはない。恩を忘れた人間は、やがて自分の根を失う。根を失った木が、どれほど枝葉を広げても、強い風に耐えられないのと同じである。
恩を忘れる者は、道を失う
宮司は、長い人生の中で、さまざまな人の姿を見てきた。警察官として現場に立った日々もあれば、神職として人の悲しみや祈りに向き合ってきた日々もある。その中で痛感するのは、人間の本当の値打ちは、苦しいときよりも、むしろ恵まれたときにあらわれるということである。苦しいとき、人は助けを求め、頭を下げる。けれども、そこを抜け出し、立場を得て、名を得て、力を得たとき、その人がなお昔の恩を忘れずにいられるか。そこに、その人の心根が出る。
世の中には、恩を受けながら、都合が悪くなると背を向ける人がいる。助けられたことをなかったことにし、世話になった人を軽んじ、さらには恩人を邪魔者のように扱う人さえいる。そうした姿は、一時は賢く見えるかもしれない。世渡り上手に見えるかもしれない。しかし、それは決して栄える道ではない。恩を忘れるということは、道を忘れることである。道を忘れた者は、最後には自分自身を見失う。
受けた恩は、心の中で生き続ける
「旧徳を食む」とは、ただ昔を懐かしむことではない。昔の恩を胸に刻み、その恩に恥じない生き方をすることである。あの人に助けられた。あの人に教えられた。あの人に叱られた。あの人に信じてもらった。その一つひとつを忘れず、今日の自分の行いを正していく。それが、旧恩を忘れないということである。
恩とは、目に見えない。しかし、人間を支えるもっとも深い力である。親が子に注いだ愛情、師が弟子にかけた時間、友が苦しいときに差し伸べた手、先人が命を懸けて守った国。その恩を思えば、人は軽々しく生きることなどできない。感謝を知る者は、言葉が静かになる。振る舞いが慎ましくなる。人に対して横柄にならない。自分の成功を誇るよりも、支えてくれた人々への感謝が先に立つ。
宮司は、そこに日本人の美徳を見る。日本人は古来、恩を大切にしてきた。親に孝を尽くし、師を敬い、祖先を祀り、国に報いる。これは古い道徳ではない。人間が人間としてまっすぐに生きるための、変わることのない根本である。
危うい時代だからこそ、恩に立ち返る
いまの時代は、恩という言葉が軽く扱われているように思う。権利ばかりが語られ、義務は忘れられる。自由ばかりが叫ばれ、感謝は薄れていく。自分が何を受け取ってきたのかを省みず、自分が何を得られるかばかりを考える。そのような世の中になれば、人と人との信頼は崩れ、家族も、地域も、国も、根から弱っていく。
恩を忘れない人間は、簡単には崩れない。たとえ苦難に遭っても、支えてくれた人々の顔を思い出し、もう一歩を踏み出すことができる。たとえ理不尽な目に遭っても、自分が守るべき道を捨てない。たとえ世間が変わっても、心の中心にあるものを失わない。だからこそ、『易経』は「厲うけれども終には吉なり」と教えるのであろう。危うさを避けられるとは言っていない。苦難が来ないとも言っていない。しかし、恩を忘れず、道を守る者は、最後には天の理にかなうのである。
安倍晋三元総理の御遺徳に思う
安倍晋三元総理の御生涯を思うとき、宮司は、恩というものの重みを深く感じる。安倍元総理は、祖父、父、先人たちから受け継いだ国家への思いを、自らの使命として背負われた方であった。日本を取り戻すという言葉には、単なる政治信条を超えた、祖国への報恩の心があったように思う。先人が守り抜いた日本を、次の世代へ渡さねばならない。その一念が、幾多の批判や困難の中でも、あの方を支えていたのではないか。
人は恩を受けて生まれ、恩を返しながら生き、やがて自分もまた、誰かの心に恩として残っていく。安倍元総理が遺されたものも、まさにそのようなものである。いまなお多くの人々が御遺徳を偲び、手を合わせ、日本の未来を思うのは、そこに深い恩義を感じているからである。政治的な評価を超えて、あの方の志に励まされ、勇気を与えられ、国を思う心を呼び覚まされた人々がいる。その恩を忘れないことは、残された者の務めである。
恩に報いる生き方
宮司は思う。恩に報いるとは、大げさなことではない。今日一日を粗末にしないこと。人に対して礼を失わないこと。約束を守ること。受けた親切を忘れないこと。先人の苦労を軽んじないこと。神前に手を合わせ、自分が生かされていることを思い出すこと。その積み重ねが、報恩の道である。
人間は弱い。忘れやすい。自分に都合よく過去を塗り替えてしまう。しかし、だからこそ、日々心を正さなければならない。自分は誰に支えられてここまで来たのか。誰の言葉に救われたのか。誰の背中を見て歩いてきたのか。誰の犠牲の上に、いまの平和があるのか。その問いを失わない者は、たとえ遠回りをしても、必ず道に戻ることができる。
旧恩を忘れない。これは、古い教訓ではない。人間が人間であるための、もっとも新しい教えである。恩を忘れぬ者は、道を失わない。道を守る者は、一時危うくとも、最後には吉に至る。宮司は、この言葉を胸に、今日も神前に立つ。受けた恩に背かぬように。先人の祈りに恥じぬように。そして、この日本という国が、恩を知る国であり続けるように。