18歳の眼が映した昭和。河島英五と時代の本質

昭和という時代を語る時、宮司はいつもある一つの出来事を思い出す。河島英五という一人の青年が、わずか18歳の時に、ある一つの人生観を歌にしたという事実である。高校を卒業したばかりの少年が、親戚百人以上が集まる法事の席に身を置き、そこで大人たちの振る舞いを冷徹に観察し、曲にした。その曲の名は『酒と泪と男と女』。半世紀近くが経った今日なお、この歌は人々の心を揺さぶり続けている。その理由は何か。それは、河島英五という若き才能が、昭和という時代の本質的な何かを、実に正確に見抜いていたからではないだろうか。
法事という場は、昭和という時代の縮図であった。悲しみに包まれた席であるはずなのに、そこに集う大人たちの多くは、やがて盃を手に取る。忘れたいことや、どうしようもない寂しさに包まれた時に、男たちは酒を飲む。その繰り返しの中で、男たちは次第に静かになり、やがて眠りへと沈んでいく。一方、女たちはどうか。彼女たちは泣く。静かに、あるいは声高に、心の奥底から泪を流す。泣き尽くすまで泣き、やがて眠りに落ちる。この対比的な姿を、その場に居合わせた少年は、誰に教えられるでもなく、自分の目で見た。そして、その観察から一つの疑問が生まれたのである。
宮司が思うに、昭和という時代とは、こうした『見えないもの』『言葉にされないもの』『心の奥に秘められたもの』が、すべてを支配していた時代ではなかったか。法事の席で男たちが酒を飲むのは、決して悲しみを忘れるためだけではない。本来であれば、悲しみに正面から向き合い、涙を流すべき場面においても、そうすることを許さぬ自分たちへの『戒め』なのである。俺は男である。泣きとおすなんてできないよ。そう言い聞かせながら、男たちは酒を飲む。その意識の奥底には、人間としての業、男としての宿命があった。昭和の男たちは、その業を自覚していたのだ。
だが、18歳の河島英五が見抜いたのは、その男たちの『覚悟』だけではなく、その裏側に隠された『ずるさ』だった。『又ひとつ男のずるさが見えてきた』という一句に、この曲の真の意図が宿っている。昭和の男性が社会的な役割や責任の名の下に、自分の感情を抑圧することは、言ってみれば一種の『逃げ』ではないか。正面から悲しみと向き合う勇気を持たずに、酒という媒体を通して、その感情を曖昧にする。女たちが泪を流して正直に悲しみを表現するのに対し、男たちはそれを回避する。客観的に見れば、その行動は『女の方が偉い』ように映る。若き河島英五の眼は、そのことに気づいたのである。
昭和という時代が生み出した『男らしさ』とは、実は複雑な構造を持っていた。その根底には、社会秩序の維持という大義名分がある。一家の主として、会社員として、或いは公務員として、自分の感情よりも役割が優先される。その『役割』が昭和的な男性アイデンティティの中核だった。だが、その同じ男たちが、親戚の法事という相対的に『自由』な場面では、どうするか。彼らは酒を飲む。つまり、その『役割』の外に出た途端、彼らは自分たちの本来の姿、感情的で、弱く、苦しむ人間と向き合わねばならなくなるのだ。それを避けるために、男たちは酒に託す。その構造を、昭和という時代は許容していた。いや、むしろそれを『男らしさ』と呼んでいたのである。
しかし、ここで注意すべき点がある。河島英五は、決して昭和の男たちを非難しているわけではない。『又ひとつ男のずるさが見えてきた』と歌いながらも、彼は『それでも俺は男である。泣きとおすなんてできないよ』と続けるのだ。つまり、彼は男たちのずるさを見抜いた上で、なおもそのずるさの中に生きることを選択している。昭和という時代に生まれた男として、その業を引き受けることを誓っているのである。これはどういうことか。それは、ずるさを自覚すること、その矛盾を引き受けることが、昭和的な大人への通過儀礼だったということではないか。若き少年は、法事の大人たちを観察することで、自分もやがてその矛盾の中に生きることを悟ったのだ。
昭和という時代の奥深さは、ここにある。表向きの『男らしさ』『役割意識』『秩序への順応』といった価値観の背後に、必ず『それでもなお』という密かな疚しさが存在していた。人間たちは、その疚しさを抱えたまま生きた。完全に社会的役割に同化することはできず、かといって個人的感情に溺れることもできない。その両者の間で揺らぎながら、昭和の人間たちは日々を重ねていった。河島英五が『黄桜』のCMソングとして発表したこの曲が、なぜ50年近くの時間を超えて愛され続けるのか。それは、この曲が昭和という時代の、その本質的な矛盾と葛藤を、実に見事に歌っているからなのである。
宮司が現職の警察官として大阪の街に立っていた時代も、また昭和の終わりに向かう時期であった。その時代、同僚たちの多くは、まさしくこの曲に描かれた『昭和的な男』そのものだった。職務遂行の名の下に、自分の感情や人間的な悩みを抑圧する。それが当然だと考える。だが、その同じ男たちが、飲み会の席や仲間との親密な会話の中では、その重さについて語る。妻への申し訳なさ、子どもへの後ろめたさ、自分たちが社会的役割のために失ったものについて。昭和の男たちは、自分たちのずるさを知っていたのだ。それでもなお、その道を歩み続けた。その覚悟は、決して軽いものではなかった。
ここで令和の若者たちに伝えたいことがある。昭和という時代が、一見すると窮屈で、不正直で、男女の役割によって人生が規定されていたように見えるのは、表面的な理解に過ぎない。昭和の人間たちが、その矛盾を自覚していたこと、そしてなおもその矛盾を引き受けることを選んだこと、その『知っていながら歩み続ける』という姿勢の中に、実は一種の誠実さがあったのではないか。彼らは、自分たちのずるさを知っていた。だからこそ、そのずるさに溺れることなく、また自分たちの人間的な弱さから逃げることなく、その両方を抱え込んで、一日一日を重ねたのである。
河島英五という一人の音楽家は、その後、多くの傑作を生み出し、インドやペルー、シルクロードへと旅立ち、円空仏を求めて全国を巡り、人生を貫く確かなテーマを追求し続けた。48歳で短い生を終えるまで。だが、その彼のすべての出発点は、18歳の時に法事の席で見た『大人たちの姿』であった。その観察から、彼は人間とは何か、昭和とは何か、生きるとはどういうことかについて、一つの問いを得たのだ。その問いが『酒と泪と男と女』という一つの歌の形となり、半世紀の時間を超えて、今なお人々の胸に響き続けている。
昭和という時代は、確かに遠くなった。だが、その時代を支えた人間たちの生き方、矛盾を自覚しながら、なおも誠実に歩み続けるという姿勢は、令和の今日においても、学ぶべき価値を失っていないはずである。人生には、常に『正解』があるわけではない。むしろ、その不完全さ、その矛盾、その葛藤そのものが、人間を成熟させていくのだ。酒を飲む男の『ずるさ』と、泣く女の『正直さ』の両方が、人間の世界に必要とされる。その両方を認め、その両方を抱え、その間で揺らぎながら生きる。それが、昭和という時代が教えてくれた、一つの人生の様式なのである。
