覚悟は、語らず。葉隠聞書「只今がその時」に思う、武士道の本義

風雪に耐えてこそ、木は深く根を張る。平穏なる日々にあっては、深く根を張った木と、浅く張った木との違いを見分けることは容易ではない。同じ青葉を茂らせ、同じように風に枝を揺らす。だが一たび嵐の夜が来て、雷鳴と疾風が山野を打つとき、根を張りし木は微動だにせず、根浅き木は無残に倒れ伏す。木の真の在り処は、嵐の後にこそ顕れる。
人もまた、然り。宮司は近頃、しきりにこの理を思う。世の有り様は穏やかならざる方向へと進んでおり、内にも外にも、人の心の真の在り処を試されるような出来事が後を絶たない。先ごろも、ある政治的運動の現場にて若き命が失われた。だが、平素声高にその運動を率いてきた者たちの誰一人として、進んで責任を引き受けようとはしない。あたかも他人事のごとく、口を拭ってすませようとする。しかしながら、これは決して稀なる光景ではない。平素「平和、平和」と唱える者ほど、いざ事が起きれば真っ先に逃げ出す。「あなたにどこまでもついてまいります」「この秘密は墓場まで持ってまいります」と軽々しく口にする者ほど、ささやかな試練の前にあっさりと言を翻す。宮司はこれまで幾度となく、そうした「口と腹との違い」を目にしてきた。
それは、平素より「覚悟」が出来ていないがゆえの、当然の帰結である。
鍋島藩の士・山本常朝の口述を田代陣基が筆録したと伝わる『葉隠聞書』に、こうある。「『只今がその時、その時が只今』は武士の心がけである。武士は毎朝、毎朝『死ぬ覚悟』が常に出来て置く事」と教える。何かが起こってから慌てふためいて支度するのではない。今この瞬間こそが「その時」であると、平素から心を据えておく。事が起きてからの覚悟では、すでに遅い。武士は毎朝、寝床より身を起こすそのたびごとに、死を見据えて一日を始めるのだという。
ここで宮司は問う。我が子が異常者の刃に襲われた時、その身をもって守る覚悟があるか。家族が異国の手によって拉致された時、これを取り戻すべく動く覚悟があるか。隣人が、友が、暴漢に遭った時、抗う覚悟があるか。これらは決して非現実の問いではない。北朝鮮による拉致は今も解決を見ず、外国の武装勢力は我が領海の近くを跋扈し、国内にも凶悪なる事件が後を絶たない。「お花畑」の中に住むがごとく、日本だけは永遠に平和であろうと錯覚することは、人として、また一国の民として、最大の不覚である。万葉集には、東国より遠く筑紫の防衛へと旅立たねばならなかった一人の名もなき防人が、こう詠み残している。
今日よりは顧みなくて大君の醜の御楯と出で立つ我は
(今奉部與曽布、万葉集巻二十)。今日この日からは、もう後ろを振り返ることはない。大君の卑しき御楯となって、我は出で立つのだ、という意である。家族との別れを越えて立つこの一首の凛々しさには、覚悟の純然たる形が宿っている。
宮本武蔵もまた『五輪書』にて、いざという時に動じぬ平常心の重要を説いている。後世、安岡正篤翁はこれを「胆識(たんしき)」と名づけられた。書物を読み、人と語らうことで得られる「知識」、それが腹に降りて骨肉となり、自らの判断と行動の根となった「見識」、そして見識がさらに深く据わって、いざという瞬間にも微動だにせぬ識見となった境地、それが「胆識」である。胆識は語らない。鞘の中にある刃のごとく、平素は静かに在って、その存在を誇示することがない。だがいざという時、それは抜かれる。抜くと決めたなら、迷わず抜かれる。
「常在戦場(じょうざいせんじょう)」とは、常に戦場にあるという心構えであり、武士の家訓であった。最も憂うべき場合を常に想定し、その上で日常を穏やかに生きる。事のない日々こそ、非常の際の覚悟をもって過ごす。「いざ鎌倉」というこの古語が指し示すのは、まさに常在戦場の精神に他ならない。安倍晋三元総理は生前、政治家として最も多く「覚悟」という言葉を口にされた指導者であった。先生は語る人ではなく、行う人であった。日米同盟の深化、自由で開かれたインド太平洋の構想、台湾有事への警鐘。そのいずれもが、平素より腹に据えられた覚悟がなければ、ついぞ口に出すこともできぬ言葉であった。先生が凶弾に斃れられてより、四つの年がめぐる。
覚悟は、騒がず、語らず、ただ深く根を張る木のごとくに、静かに在るものである。日本がこの時代を生き抜くために必要なるは、ひとえに国民一人ひとりの覚悟である。「平和ボケ」の眠りより覚め、家族を守り、国を守るその志を、平素より腹に据えて生きること。これこそが、現代を生きる我ら日本人に課された武士道の本義であろう。
