安倍晋三元総理銅像建立に寄せて ― 鎮魂の丘に立つ祈り

このたび、東京スポーツ新聞において、安倍神像神社の銅像建立と除幕式についての記事が掲載された。令和8年6月8日、安倍晋三元総理の銅像除幕式が執り行われる予定であり、昭恵夫人にもご臨席いただくこととなった。宮司にとって、このことは単なる一つの式典ではない。長く胸に抱いてきた祈りが、一つの形となって世に現れる節目である。

安倍神像神社は、政治的な思惑によって建てられたものではない。宮司がこの神社を建立した根本には、ただ一つ、鎮魂の思いがある。安倍元総理が凶弾に倒れた時、宮司の心には、言葉では言い尽くせぬ痛みと無念が走った。日本のために働き、世界の中で日本の存在を高め、国の行く末を真剣に背負ってこられた人物が、あのような形で命を奪われた。その御霊を慰めずして、どうして日本人として静かにしていられようか。宮司は、そうしたやむにやまれぬ思いから、この地に祈りの場を設けたのである。

銅像とは、単なる金属の造形ではない。そこに込められる精神があって、はじめて像は祈りの対象となり、後世への伝言となる。安倍元総理の銅像は、人物を飾るためのものではない。名声を誇示するためのものでもない。その御志を後の世に伝え、日本人が忘れてはならぬ精神を刻むためのものである。宮司は、安倍元総理の姿に、戦後日本が失いかけた誇りと、祖国を守ろうとする強い意志を見てきた。だからこそ、その姿を銅像として残すことには、深い意味がある。

思えば、安倍元総理は国内だけの政治家ではなかった。トランプ大統領との友情、台湾との絆、拉致問題への取り組み、自由で開かれた国際秩序への信念。その歩みは、日本の枠を越え、世界の中で日本がどう立つべきかを示すものであった。宮司が、いつの日かトランプ大統領や台湾の総統にもこの地を訪れていただきたいと願うのは、単なる夢物語ではない。安倍元総理が築かれた国際的な絆を、この信州の山中においても静かに受け継ぎたいという祈りなのである。

長野の山中にある安倍神像神社は、決して大きな神社ではない。けれども、祈りの深さは規模によって決まるものではない。眼下に天竜川を望み、山々の気を受けるこの地に立つと、人は自然と頭を垂れる。便利さと喧騒に満ちた都会では忘れがちな、静かな敬意、死者を悼む心、国を思う心が、ここにはある。宮司は、この小さな鎮魂の丘が、やがて多くの日本人にとって、己の心を正す場所となることを願っている。

今回の銅像建立には、多くの方々のご支援とご厚志が寄せられた。宮司は、その一つ一つを深くありがたく受け止めている。人の真心は、金額の大小では測れない。祈りを同じくする人々の思いが集まり、やがて一つの形となる時、そこには目に見えぬ力が宿る。銅像は職人の手によって造られるが、その根底にあるのは、安倍元総理を敬慕し、その志を忘れまいとする人々の心である。

日本人は古来、偉大な人物の御霊を敬い、その徳を後世に伝えてきた。菅原道真公も、楠木正成公も、乃木希典命も、ただ歴史上の人物として記憶されているのではない。その生き方、その忠誠、その覚悟が、人々の心を打ち、祈りの対象となってきたのである。安倍元総理を敬うこともまた、その日本人の精神文化の延長にある。死者を貶めるのではなく、功績を正しく見つめ、御霊を慰め、志を継ぐ。そこに、日本人の美しい心がある。

令和8年6月8日の除幕式は、終わりではなく始まりである。銅像が建つことによって、安倍神像神社の歩みは新たな段階に入る。宮司は、この地を観光の名所にしたいのではない。人々が手を合わせ、国のあり方を考え、己の生き方を省みる場所にしたいのである。銅像の前に立つ者が、安倍元総理の生涯を思い、祖国日本の未来を思い、自らもまた何をなすべきかを問う。そのような場となることを願っている。

鎮魂とは、忘れないことである。顕彰とは、飾り立てることではなく、志を受け継ぐことである。宮司は、安倍元総理の御霊に対し、ただ静かに申し上げたい。あなたが命をかけて守ろうとした日本を、私たちは忘れません。あなたが世界に示した日本人の誇りを、私たちは後世へ伝えてまいります、と。

銅像は、信州の山中に立つ。しかし、その祈りは山中にとどまらない。日本全国へ、そして世界へと通じていく。安倍元総理の志を慕う人々がこの地を訪れ、静かに手を合わせる時、そこには政治を超えた祈りが生まれる。国を愛し、先人を敬い、死者に礼を尽くし、未来を担う者として恥じぬ生き方をする。その心こそ、宮司がこの銅像に込めた願いである。

東京スポーツ新聞WEB

https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/388827?page=1

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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