金を払うときこそ、頭を下げよ

古来、日本人は「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という一句を、生き方の指針としてきた。実るほどに、深く頭を垂れる。地位を得れば得るほど、力を持てば持つほど、人は腰低く、頭低く、声低くあるべしという、この国の精神の根幹をなす教えである。

ところが昨今、この「実るほど頭を垂れる」という日本人本来の品性が、急速に失われつつある。宮司は、そのことを深く憂えているのである。

宮司は近頃、ある一文に深く打たれた。それは、戦後の焼け跡から小さな事業を興し、これを全国に育て上げた一人の老翁が、その孫に折に触れて繰り返し語ったという言葉である。老翁が説いたのは、「乞食酒を飲むな」という、一見不可解な戒めであった。

老翁の言う「乞食酒」とは、酒をたかることではない。普段は世の中に頭を下げて生きている人間が、いざ自分が金を払う側に回った瞬間、別人のように威張り散らすこと。それを「乞食酒」と称したのである。

居酒屋で店員に横柄になる者がいる。車を駆る運転手に命令口調で物を言う者がいる。商店のレジで、目も合わせず釣銭を受け取る者がいる。たかが数百円、数千円を払ったというだけで、まるで相手の人格まで買い取ったかのような顔をする。老翁は、そういう人間を心底嫌ったのである。そして老翁自身は、その正反対であった。金を払うときほど腰が低く、何かをしてもらった時ほど深く礼を言う。相手が誰であろうと、立場で人を見下すことをしなかったという。

宮司は、この一文を読んで、深く膝を打つ思いであった。

これは、まさしく日本武士道の「礼」の精神に他ならぬ。新渡戸稲造翁は『武士道』の中で、礼とは形式の問題に止まらず、相手の心情を慮る愛にきわめて近きものであると説いた。礼とは、相手の人格を、その立場や財布の中身ではなく、一個の魂として敬うことなのである。

さらに遡れば、これは神道の根本でもある。八百万の神々を戴くこの国において、目の前の人もまた、神の御作りになりたる尊き存在である。膳を運ぶ者も、荷を運ぶ者も、車を駆る者も、それぞれの天職を全うする尊き働き手である。それを金を払ったというだけで見下すは、神々への不遜にほかならぬ。

人間の品性は、偉き人の前では決して露わにならぬ。出るのは、自分が客になった時、相手が反論しにくき立場にある時、すなわち、弱き立場の者への態度においてこそ、人の本性は露わとなる。

一億円を払う者であろうと、心卑しき者は卑しい。

百円しか持たぬ者であろうと、心ある者は品がある。

上杉鷹山公は、米沢藩の窮乏を救うべく自ら粗食に甘んじ、自ら鋤鍬をとり、家臣にも領民にも、等しく頭を下げて働きを乞うた。山岡鉄舟翁もまた、明治の元勲となってなお、剣道場の門弟にも町の物売りにも、同じ態度で接したと伝えられる。これらの先人が今もなお日本人の心に響くのは、彼らが地位を得たがゆえに、より深く頭を垂れたからである。実りある稲穂が深く頭を垂れる。その姿そのものを、彼らは生きてみせたのである。

されど、現代の日本はどうか。

会計の瞬間だけ態度の変わる者。発注書に判を押した瞬間に人格が変わる者。金を貸す立場、命じる立場、判を押す立場。そうした立場に身を置いた途端、急に声が大きくなる者。「客」という札を首から下げた途端に、背筋を反り返らせる者。そのような姿を見るたびに、宮司は深い嘆きを覚えるのである。

これは個人の振る舞いに止まる問題ではない。国の精神の問題である。日本人の品格、大和の心、礼の文化。それらが、戦後の物質主義と「お客様は神様」の歪んだ解釈の中で、根こそぎ崩れつつあるのである。

されど、思い起こさねばならぬ。

「お陰様で」という言葉も、「いただきます」という合掌も、「ご馳走様でした」という感謝の一礼も、すべてはこの国の人々が、目に見えぬ働きと、目に見えぬ恵みと、目に見えぬ縁とに、深く頭を垂れてきた証である。
金を払うときこそ、頭を下げよ。

宮司は思うのである。この短き一言の中にこそ、日本人が幾代にもわたって積み上げてきた精神の核が宿っているのだと。それを忘れたとき、人は財布の厚さで自らを測り、他者を測り、ついには国そのものを見失う。

乞食酒を飲んではならぬ。

それは、財布の厚さによって測られるものではない。心の深さによって測られるものである。本当に強き者は、店員に威張らぬ。本当に余裕ある者は、釣銭を受け取る手にも、自然と「ありがとう」の一言を添える。それこそが、大和魂の、最も静かな、最も確かなる現れなのである。

宮司は、神前に額ずきながら、心ひそかに祈るのである。この国の子らが、再び「実るほど頭を垂れる稲穂」の姿を、親の背に、祖父母の背に、見出すことができますように、と。それこそが、大和の心を、大和魂を、次の世へ繋ぐ最も静かな、しかし最も確かな道筋なのである。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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