孟子の言葉と、令和を生きる「胆識」について

宮司は長年にわたり、「孟子」という書物を座右に置いてきた。
論語の孔子が礼と徳の道を説くとするならば、孟子はその言葉に気迫と血が通っている。読むたびに腹の底から力が湧いてくる。若き日、機動隊の特殊部隊に身を置いていた頃、危機や困難に直面するたびにこの書を開いた。恐れや不安は、孟子の言葉の前では自然と退いていった。
令和の御代となり、世の中は急速に変わった。
デジタル化、人口減少、国際情勢の緊張、伝統文化の風化。これほどまでに多くの変化が同時に押し寄せてくる時代は、近代においてもそう多くはなかった。そのような時代にこそ、孟子が説いた「胆識」の意味が重くのしかかってくる。
「胆識」とは、単なる知識ではない。
知識は学べば得られる。しかし胆識とは、その知識を腹に落とし、いざという時に実際に動く力のことである。いくら言葉を知っていても、いざ試練の前に立ったとき膝が震えるようでは、それはまだ知識に過ぎない。胆識とは、知と行が一体となってはじめて生まれるものだと宮司は理解している。
孟子はこう言った。
天のまさに大任をこの人にくださんとするや、必ず其の心志を苦しめ、其の筋骨を労せしめ、その体膚を飢えしめ、其の身を空乏にし、行う所そのなさんとする所に払乱せしむ。
これは2300年以上前の言葉であるが、令和の今もまったく色褪せない。
苦しみや失敗は、天が人を鍛えようとしている証拠だ。若い世代の中には、うまくいかないことが続くと「自分には才能がない」「運がなかった」と諦めてしまう者もある。しかしそれは逆だ。苦境こそが本物の人間を育てる土壌なのだと、孟子は明確に教えている。
宮司がとりわけ心を揺さぶられるのは、吉田松陰先生の『講孟箚記』のことを思う時である。
松陰先生は獄中で、囚人たちに孟子を講じた。牢の中でなお学び、なお人を育てようとした。その姿に、胆識の極みを見る。富貴も貧賤も、安楽も艱難も、その人の本質を変えることはできない。変わるとするならば、その人が胆識を持っているかどうかによるのだ。
「志は気の師なり」——この一言が、宮司の生涯を貫いている。
目標を持てば、気力は自然と湧いてくる。逆に言えば、志を失った瞬間、人は腑抜けになる。令和という新しい時代に生きるわれわれは、華やかさや便利さの中で、この「志」を見失いがちではないか。スマートフォンの画面に視線を落とし続けることで、いつの間にか天を仰ぐ癖を失ってはいないか。
安倍神像神社において、宮司は日々多くの参拝者と言葉を交わす。
老若男女、さまざまな境遇を抱えた方々が訪れる。その中に、「自分が何のために生きているのかわからない」と打ち明けてくださる方が少なくない。宮司はそういう時、孟子の「舜も人なり、我も人なり」という言葉を思い出す。偉大な聖人も同じ人間だった。自分もまた人間ではないか。なれないはずはない、と。
胆識を養うことは、一夜にしてできることではない。
日々の積み重ね、小さな誠実さの連続、試練に向き合う姿勢。そういったものが、少しずつ腹の底に溜まっていくものだ。宮司自身、今もなお孟子を読み返すたびに、新たな気づきと叱咤を受ける。この書物の深さは、生涯かけても底には届かないかもしれない。それでも読み続けることが、胆識を養う道の一つだと信じている。
令和の日本よ、今こそ孟子を開け。
知識は検索すれば手に入る時代になった。しかし胆識は、検索では得られない。それは自らの血と汗と、苦境との格闘の中から生まれるものだ。外に答えを求めるのではなく、内なる志に火を灯せ。その炎が日本の未来を照らすのだと、宮司は信じてやまない。
