米沢藩主・上杉鷹山公は、後年こう述べたという。「わが改革の成功は、すべて平州先生のたまものである」。一人の師の教えが、傾きかけた藩を立て直し、二百数十年を経てなお語り継がれる。宮司は、この言葉に接するたび、深く考えさせられる。
細井平洲は、享保十三年、尾張国知多郡平島村に生まれた儒学者である。学問とは何かと問われれば、平洲は迷わず答えたであろう。「学問は、単に字句の解釈だけでは駄目だ。そんなものは死学だ。いま生きている私たちの実際に役に立たなければならない」。宮司は、この一言にこそ、平洲という人物の背骨があると見る。
書斎に籠り、字面を弄ぶだけの学問は、死学である。血の通わぬ知識は、いくら積み重ねても人を救わない。平洲は江戸神田の街頭に立ち、辻講釈を始めた。歴史上の人物と実例を引きながら、四書五経の真義を平易に説いた。学問を、生きた人間の言葉として民衆へ手渡したのである。
その講釈を聴いた一人の若者が、米沢藩の藩医・藁科松伯であった。松伯を通じて平洲の教えは米沢へ渡り、若き藩主・上杉鷹山の耳に届く。鷹山はこの師のもとに学び、藩政改革の思想的な柱を得た。平洲が著した『嚶鳴館遺草』は、鷹山の財政再建の設計図となり、後には吉田松陰、そして西郷隆盛の「敬天愛人」の思想にまで流れ込んだという。一人の師の言葉が、時代を越えて国を動かす人物を、幾人も育てたのである。
平洲が藩政改革の根本に据えたのは、次の三ヶ条であった。
第一に、「入るをはかって出ずるを制する」。歳入を正しく見極め、支出をそれに合わせる。古代より定められた財政の原則であり、これ以外に道はないと平洲は説いた。単なる倹約の勧めではない。身の丈を知り、身の丈に従って生きよという、人としての道理そのものである。
第二に、「非常の法」。財用が窮まったとき、常のやり方では立ち行かない。まず藩主自らが率先して節倹し、民と苦難を分かち合う仁政を敷かねばならない。「一国の臣民に天と仰がれるというからには、その身に天のごとき徳がなくてはならない」。上に立つ者が身を切らずして、下に耐えよと言うことはできない。これは為政者だけの教えではない。家にあっては親が、職にあっては責任ある者が、まず自らを正すことから始めたい、という教えでもある。
第三に、「鉄石の決心」。節倹を志しても、途中で崩れてしまえば元の木阿弥である。実心からの仁徳に基づき、鉄や石のごとき固い決意をもって、なし遂げるまで続ける。宮司は、ここに人が事を成す大切な道を見る。志は、それを貫こうとする覚悟に支えられてこそ、実を結ぶ。
平洲の人物を語るとき、もう一つ忘れてはならない逸話がある。ある日、吉田一夢というひとりの武士が、平洲を斬らんと松桜館に踏み込んだ。ところが、平洲の後ろ姿を見た刹那、微塵の隙もないことに気づき、刀を握る手が止まった。吉田は悟った。「この先生は、文を極めることによって、武を極めたのだ」。以来、吉田は平洲の弟子となったという。真に道を極めた者には、構えずとも人を圧する気が宿る。学問と武、文と実践は、決して別のものではない。
そして宮司の胸を最も熱くするのは、晩年の一場面である。六十九歳の平洲が、久方ぶりに米沢を訪れたとき、鷹山公は自ら領境まで出迎え、恩師と再会した。老いた師と、かつての教え子であり今は一国の主となった弟子とが、涙を流して手を取り合う。その光景は「一字一涙」と刻まれた碑文として、今も米沢の地に残っている。七十四歳で平洲が世を去ったとき、鷹山公は五十日の喪に服したという。師弟の情とは、これほどまでに深いものかと、宮司は幾度読み返しても胸を打たれる。
翻って、令和の世を見るとき、宮司は、ふと考えずにはいられない。入るを量って出ずるを制するという、この単純にして揺るぎない原則を、今の日本はどれほど守れているであろうか。財政が厳しいと言われる今こそ、上に立つ人が率先して身を正す姿を、多くの人が待っているのではないだろうか。もちろん、国政の場にも、身を粉にして働く方々はおられる。だが、平洲や鷹山が命がけで貫いた「鉄石の決心」の重みを、私たちはいま一度、思い起こす必要がある。
これは、政治家だけの話ではない。家庭を切り盛りする者も、事業を営む者も、収入という土台を見ずに支出を重ねれば、いずれ立ち行かなくなる。まず自らを律し、身の丈に従って生きる。苦しいときこそ、上に立つ者が率先して腹を据える。そして一度決めたことは、鉄石のごとき決心をもって、成し遂げるまでやり抜く。これは二百数十年前の米沢だけでなく、今日の私たち一人ひとりの家庭にも、職場にも、そのまま当てはまる道理である。
日々の家計のやりくりに心を砕いている方へ。その一つひとつの工夫こそが、平洲の説いた道そのものです。
宮司は思う。学問は、死学であってほしくない。今日を生きる私たちの実際に役立ってこそ、初めて学問と呼べる。細井平洲の教えは、書物の中の遠い過去の話ではない。入るを量り、出ずるを制し、非常のときこそ率先して身を正し、鉄石の決心をもって歩み続ける。この三ヶ条を、宮司は自らの日々の務めにも重ね合わせたいと願う。
師の教えを胸に刻み、恩を忘れず、涙して再会を喜んだ鷹山公の姿に、宮司は日本人の情の深さを見る。この国には、こうした師弟の絆が、確かに息づいてきた。今こそ、私たちもまた、先人の遺したこの覚悟を受け継いでゆきたい。宮司は、神前に立つたびに祈っている。この国に、鉄石の決心をもって歩む人が、一人でも多く現れることを。
皆さまが心に決めた一つのことを、焦らず、あきらめず、歩み続けてゆかれますように。宮司も、心からお祈りしております。