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薪を背負う少年像に学ぶ。才ではなく徳を育てた寺子屋の心

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薪を背負い、歩きながら書を読む少年の像が、かつて全国の小学校の校庭に、必ずと言ってよいほど立っていた。二宮金次郎の像である。今、その多くが姿を消しつつある。宮司は、この静かな現象に、深い意味を見る。

危ないから、時代に合わないから。そう説明されることが多い。しかし宮司は思う。像が消えた本当の理由は、もっと奥にあるのではないか。この国の教育が、いつしか徳より才を、勤労より効率を尊ぶようになった。その結果として、あの像は、居場所を失ったのである。

才と徳は違う。才は知識であり、技能であり、点数で測れるものである。徳は誠実さであり、慈しみであり、数字には決して表れないものである。教育とは、本来、人としての善悪を弁え、徳を積む器を育てることであったはずだ。損得を数える力を養うためではない。

あの像が伝えようとしたものは何か。薪を背負うのは勤労である。歩きながら書を読むのは向学である。二宮金次郎、後の二宮尊徳は、労働と学問を分けなかった。生きることそのものが、修養であったのである。

尊徳は、幼くして父母を失い、一家離散という苦難を経た。それでも荒れた田を一鍬ずつ耕し、家を興し、後には小田原藩の命を受けて、下野国桜町領をはじめ、生涯に六百を超える村々の復興に力を尽くした。

尊徳の教えは、至誠、勤労、分度、推譲の四つに集約される。至誠とは私心なく尽くす真心、勤労とは汗を惜しまず働くこと、分度とは身の丈をわきまえること、推譲とは今日のものを明日に、自分のものを他者に譲る心である。尊徳は言い切った。「今日のものを明日に譲り、今年のものを来年に譲るということをつとめない者は、人であって人でない。宵越しの銭は持たぬというのは、鳥獣の道であって、人道ではない」と。得ることより、譲ることを尊んだのである。

尊徳はまた語った。「大事をなしとげようと思う者は、まず小さな事を怠らず努めるがよい。それは、小を積んで大となるからである」と。積小為大。日々の小さな勤めを積み重ねることこそ、徳を育てる道であった。

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尊徳の思想の奥には、神道、儒教、仏教を分け隔てず、その根にある一つの道理を見る心があったと伝えられる。宮司は、ここに宗教者としての深い共感を覚える。

仏教は、利他ということを説く。己の利益より、他者の利益を先に思う心である。財のない者でも、笑顔をもって人に接し、優しい言葉をかけ、席を譲ることができる。これを無財の七施という。見返りを求めぬ施しにこそ、徳は宿る。布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧という六波羅蜜もまた、詰まるところ、己を律し、他者のために生きよという一つの教えに帰する。

因果応報ということも、仏教は説く。蒔いた種は、必ず自らに返る。目先の損得に心が向くと、人はついこの道理を見失いがちだ。今、損をしても、徳を積めば、いつか必ず実りとなって返る。尊徳の生涯は、まさにこの道理を、身をもって示したものであった。

宮司は、この徳育の精神を、戦前の寺子屋教育に見る。寺子屋という名は、もともと寺で子供を教えたことに由来する。師匠には、僧侶や神職が名を連ねることも少なくなかった。宗教者が、地域の子供たちの徳育を担っていたのである。

寺子屋では、読み書き算盤を教える前に、あるいはそれと同時に、「実語教」「童子教」といった教典を用いて、親への孝、師への礼、人への慈しみを教えた。師匠は、単なる知識の伝達者ではなかった。子供の人格そのものに向き合い、地域全体で、一人の子供を育てたのである。

そこでは、損得で子供を測ることはなかった。この子は将来いくら稼ぐか、ではない。この子は正直か、この子は礼儀を知っているか、この子は人を思いやれるか。それが、寺子屋の師匠たちの物差しであった。かつて校庭に立った金次郎の像は、その物差しを、形にして示したものであった。

むろん、学力を軽んじるのではない。読み書き算盤の力は、生きるための基礎であり、これを否定するものではない。しかし、才だけを伸ばして徳を置き去りにすれば、その才は、時に人を傷つける刃にもなる。知識はあっても、善悪の判断に迷い、苦しむ人の姿を、宮司は数多く見てきた。

宮司は、戦後の教育者たちを責めるつもりはない。彼らもまた、焼け跡の中で、子供たちに何かを残そうと懸命であったろう。しかし、その中心に据えられたのは、いつしか偏差値であり、競争であった。金次郎の像が、静かに校庭から消えていったのは、その象徴であろう。

徳の教育は、学校だけの仕事ではない。まず家庭である。父母が、子供の前で正直であるか、感謝を口にするか、弱い者をいたわるか。子供は、言葉より、その背中を見て育つ。地域もまた同じである。近所の子供に挨拶をし、時に叱り、時に励ます。かつての日本には、それがあった。

子育てに悩んでいる親御さんへ。立派なことを言えなくても大丈夫です。ありがとうと口にするその背中が、何よりの教えになります。

今こそ、もう一度取り戻したい。損得ではなく、善悪を。才ではなく、徳を。尊徳は言った。「善心が起こったならば、すぐ実行するがよい」と。徳は、思うだけではまだ芽のままだ。行うことによって、はじめて徳となる。

宮司は、いつか、あの薪を背負う少年の像が、意味を取り戻して校庭に立つ日を思う。子供たちが、その像の前を通るたび、才ではなく徳を、損得ではなく善悪を、静かに胸に刻む日を。宮司は、神前に立つたびに祈る。この国の子供たちが、書を読みながら働く姿の尊さを、もう一度知ることができるように。宮司は、そう信じている。

皆さまのお子さんやお孫さんが、才だけでなく、やさしい徳を育んでゆかれますように。宮司も、心からお祈りしております。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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