鎮守の杜に立つ木々を、売ればいくらになるかという目だけで見るとき、私たちは何を見失うのだろう。木陰で休む人の安らぎ。祭りを待つ子供の胸の高鳴り。祖父母と歩いた記憶。そこには、金銭に置き換えきれない豊かさがある。
暮らしにお金は必要である。家族を養い、住まいを保ち、病気や老いに備える。働きに見合う報酬を望むことも、子供のために蓄えることも、切実で尊い営みであろう。宮司は、その日々の苦労を離れたところから、清らかな心だけを説きたいとは思わない。
暮らしを守ろうと懸命に働いているご自分を、どうか責めないでください。
宮司が考えたいのは、お金を大切にする心の、その先である。必要な手段であったものが、人の価値を決める唯一の物差しになってはいないだろうか。収入が高いから立派である。利益にならないから不要である。そうした判断だけでは、こぼれ落ちるものが多い。
子供が話し終わるまで待つ時間。老いた人の歩調に合わせる時間。地域の祭りの道具を手入れする時間。効率のよい仕事とは言いにくいかもしれない。しかし、その手間によって、人は自分が大切にされていると知り、地域は記憶を保つのである。
神社本庁は、神道の暮らしに根ざした教えとして、鎮守の杜に代表される自然を守ること、祭りを通して地域の和を保つこと、子孫の繁栄を願うことを挙げている。祈りは、人と自然、人と人、そして世代と世代のつながりの中に息づいている。神社本庁「神道とは」
宮司は、ここに豊かさを考える手がかりを見る。自分が使えるものを増やすことに加えて、皆で大切にできるものを保つこと。自分の満足を満たすことに加えて、次に来る人が安心できる場所を残すこと。その広がりを持つ暮らしは、心を深く支える。
たとえば、誰も見ていないところで参道を掃く。参拝する人が気持ちよく歩けるよう、石についた泥を落とす。その働きに名前が刻まれるとは限らない。それでも、後から訪れた誰かが、清らかな場所に迎えられたと感じる。奉仕の実りは、そこにある。
ただし、尊い働きだからこそ、善意に頼りきってしまわぬ心配りが要る。いつも同じ人が負担を引き受け、断れずに疲れ果てるなら、支え合いは続かない。費用を分け合う。役割を小さくする。休める順番をつくる。祈りを守るためにも、暮らしの現実を丁寧に整えたい。
金銭では測れない価値を守ることと、お金の計算をおろそかにすることは違うのである。必要な費用を確かめ、担う人へ報いる。その誠実さがあってこそ、志は長く生きる。宮司は、精神を尊ぶという言葉を、誰かの無理を当然にする理由にはしたくない。
世の中の評価を気にする心も、誰にでもある。努力を認めてほしい。人より遅れたくない。家族に不自由をさせたくない。その願いがあるからこそ、働き、学び、工夫する力が生まれる。宮司もまた、認められたいという心そのものを否定するつもりはない。
けれども、人と比べることだけが続けば、手に入れた喜びは長くとどまらない。上を見れば、さらに多く持つ人がいる。競う相手に目を奪われて、傍らにいる人の笑顔が見えなくなる。そのときこそ、自分が何を守りたかったのか、静かに問い直したい。
立ち止まって大切なものを確かめる時間も、人生に必要です。
家族と落ち着いて食事をすること。困りごとを話せる相手がいること。具合の悪い日に、無理をせず休めること。その安心を保つために収入が役立つなら、お金は確かに暮らしを支えている。目的を見失わなければ、働くことと心の豊かさは、互いを助け合う。
また、信仰の深さを人の優劣に結びつけることも、慎みたいと思う。神仏への向き合い方が違っていても、誠実に働き、隣人をいたわる人はいる。祈る私たちにも、欲に迷い、人を傷つける弱さがある。信じる心は、まず自らの振る舞いを照らす灯であってほしい。
宮司が、目に見えぬものを敬う心に望むのは、自分の力だけで世界が成り立っていると思い込まない慎みである。食事一つにも、育てた人、運んだ人、整えた人の働きがある。受け取るものの背後へ心を向けるとき、感謝は日常の確かな手触りを持つ。
そして、その感謝は、まだ生まれていない人へも向かう。自分が使い切らずに残した水や森。誰かが学び直せる場所。失敗しても再び働ける道。未来の人は礼を言いに来られない。それでも、その暮らしを思って何かを残すことはできるのである。
日本を大切に思う心も、この問いから深めてゆきたい。国を誇る言葉を口にするとき、その土地で生きる人の苦労にも目を向ける。働く人が報われ、子供が安心して育ち、老いた人が尊厳を保てるようにする。その具体的な営みに、祖国への祈りを結びたい。
もちろん、一人が引き受けられることには限りがある。家事や仕事、介護で手いっぱいの日もあるであろう。誰もが地域のために大きな時間を差し出せるわけではない。できる範囲を互いに認めることが、細くても切れないつながりを育てるのだと思う。
小さな心遣いにも、十分な温かさがあります。
店先で働く人に礼を言う。約束した支払いをきちんと済ませる。共有の場所を使った後、次の人のために整える。助けを受けたら、余裕のできたときに別の誰かを支える。特別な功績にならなくても、その一つひとつが、人を信じられる社会の土台となる。
宮司は思う。豊かさとは、持っているものの多さに加えて、何を大切にし、そのためにどう生きられるかということである。鎮守の杜が長い時を経て木陰をつくるように、私たちの小さな誠実も、次の世を生きる人の安らぎとなることを願いたい。
皆さまの暮らしが確かに支えられ、大切な人と心を通わせるひとときに恵まれますように。宮司も、心からお祈りしております。