大人は何を失ったのか。責任という言葉の重さ

辺野古沖で船が転覆し、若き命が失われた。あまりにも無念である。その死の背景にあるのは、複数の大人たちによる「杜撰さ」であった。安全管理の怠慢、報告体制の不備、対応の遅さ。現場や学校関係者、沖縄県知事の言動。ニュースを通じて見える限りにおいて、この一連の事態は、日本の大人たちが何かを根本的に失ってしまった、ということを強く示唆している。

宮司は、長く警察官として社会の暗部を見てきた。事故、事件、人為的な失敗。その多くの場合、その奥底にあるのは、「責任」という言葉の軽視である。

責任とは何か。それは、単なる「後始末」ではない。責任とは、他者の人生、他者の命を預かる立場にある者が、その人生と命を全力で守り抜く、という誓いである。教育現場に立つ者、行政を担う者、組織を率いる者。そうした「子どもや市民を預かる立場にある大人」には、言葉では言い尽くせない重さがある。

しかし、今の日本社会を見ると、この「責任の重さ」が、著しく軽くなっているのではないか。責任は、文書で謝罪することで済ませられる。責任は、「再発防止に努める」という空疎な言葉で済ませられる。責任は、時間が経てば忘れられ、次の話題に移される。

古の武士たちは、責任をどのように理解していたか。自分の不注意によって部下が死ねば、その武士は、自分の命をもって償った。自分の判断の誤りによって領地が失われれば、その武士は、潔く自分の命を絶った。これは、野蛮だと言うなかれ。これは、責任の本質を理解していた時代の、責任の取り方である。

今の大人たちが、ここまでの覚悟を持つ必要はない。だが、最低限、心の中に、「この身は、預かった命を守るために存在する」という、内的な厳粛さを持つべきではないか。

杜撰な安全管理、不十分な報告体制、不適切な対応。これらは、単なる「システムの欠陥」ではない。これらは、その場に居合わせた大人たちが、心の底から「預かった命を守る」という決意を持っていなかった、ということの表れである。

我が国は、いつから、こんなふうになってしまったのか。かつて日本の教育の現場には、「子どもは国の宝である」という感覚があった。学校の先生たちは、子どもたちの安全のために、昼夜を分かたず尽くしていた。親たちも、自分たちの子どもだけでなく、他の子どもたちのことも、心を配ることができていた。

しかし今は、どうか。責任を問われることを恐れ、形式的な対応に終始し、本質的な改革を後回しにする大人たち。自分たちの立場を守ることに必死で、子どもたちのことは、その後に来る。そうした姿勢が、社会全体に蔓延している。

これは、大人たちの「心の貧困」である。知識や技術は豊かかもしれない。だが、他者の命を守ることへの「誠実さ」が、失われている。

若き命が失われた。その悲しみは、言葉では表しきれない。だが、その悲しみを、次の教訓に変えることは、大人たちの責務である。なぜこんなことが起きたのか。それは、単なる「システムの欠陥」を問うことではなく、「大人たちが責任の本質を忘れてしまった」という問題を、正面から問い直すことである。

責任を取る。それは、謝罪することではない。責任を取る。それは、その悲劇を二度と繰り返さないために、自分たちの人生を変えることである。その子どもが生きるべきだった人生の分まで、誠実に、丁寧に、社会のために生きることである。

今、日本の大人たちに求められているのは、責任という言葉の重さを、もう一度思い出すことなのだ。

亡くなられた若き命に、心よりお悔やみを申し上げます。その無念さを思うとき、宮司の胸も裂ける。だが、その無念さを無駄にしてはならない。その死から学び、その死を受けて、日本の大人たちが変わる。そのことを、我が国の全ての大人に、強く求めたいのである。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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