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安倍晋三元総理銅像建立

一流とは何か。銀座の鮨処に学ぶ、日本人の心の道

一流とは何か。世にこの言葉ほど安易に用いられ、また誤って理解されている言葉も少ない。豪奢な店構え、名のある人々が出入りする場所、目の飛び出るような値段の品。世間は、外側の華やかさをもって一流を語ろうとする。しかし、真の一流というものは、決してそのような表層に宿るものではない。それは、人の心の在りようにこそ宿るものであり、見えぬところでこそ静かに、しかし確かに輝いている。日本人が古来大切にしてきたのは、まさにこの「見えぬところの一流」である。

随分むかし、宮司は、長く吉野の山に身を置きながら、年に何度か東京へ下る折に、ある銀座の鮨処を訪ねたことを思い起こす。その店は、昭和十年に暖簾を掲げた老舗である。陶芸家にして稀代の食通であった北大路魯山人、文豪志賀直哉、また政財界に名を残した方々が、こよなく足を運んだ店として知られていた。ホテルの方から「あの店の大トロは格別ですよ」と教えていただき、宮司は一度はその味を確かめてみようと、店の暖簾をくぐった。客は宮司を入れて八人ほど。静かな緊張感が、ほのかに漂う空間であった。

席に着くなり、店長が自ら歩み寄り、丁寧に挨拶を交わされた。店内に品書きはなく、値段表もない。客に余計な計らいをさせず、ただ料理人の腕と心を信じて任せよ、というその構えに、宮司は深く心を打たれた。鮨を握る板前は、一人ひとりの好みを汲み取り、目の前の客にだけ向けた一貫を握っていく。口に運べば、まこと、とろけるような味わいである。宮司が思うままに「大阪の鮨に比べてずいぶん小ぶりですね」と漏らせば、次に出される一貫はわずかに大きく、しかも以前にもまして美味い。穏やかな笑みのうちに、客の一言を受けとめ、自らの仕事の中にそれを生かす。これこそが、職人の道というものである。

帰り際、店長は再び店の表まで送り出し、タクシーのドアを自ら開け、宮司の手を握り、「またどうぞ」と一言を添えられた。その瞬間、宮司は深く感じ入るところがあった。一流の店とは、始まりと終わりを大切にする店である。料理の味だけではない。挨拶の所作、皿の間合い、見送りに込められた一言、その全てが調和して、一つの「道」となって立ち上がっている。客を一人の人として遇するという、その当たり前のことが、当たり前のように貫かれている。これが、なかなかに難しい。

明治天皇御製に、こういう一首がある。

目に見えぬ神にむかひて恥ぢざるは 人の心のまことなりけり

人が見ていないところで、なお誠を尽くす。それが日本人の心の根である。鮨を握る板前が、客の前で見せる所作の美しさは、誰も見ぬ仕込みの時間に、いかに己を律してきたかの証である。一流とは、人目に隠れた長い研鑽の上にしか花咲かぬものであり、その積み重ねこそが、口にした客の心をも静かに動かす。表に見える完成度は、見えぬ努力の総和に他ならない。

日本の文化には、古来より「道」という思想が深く根を下ろしてきた。剣の道、茶の道、書の道、そして鮨の道もまた、その一つである。技を磨くだけでなく、技を通して心を磨く。客のために尽くすのではなく、客と向き合うことを通して、己の魂を清めてゆく。これが日本人の働き方の根幹であり、世界に誇るべき精神の形である。値段の高さや格式の重さではなく、一椀の汁、一貫の鮨、一言の挨拶にまで魂を通わせる。その姿勢こそが、真の一流を生み出してきた。魯山人や志賀直哉のような目利きの人々がこの店に通い続けたのも、味だけを追ったからではない。その背後に流れる、職人と店主の魂の在りように、彼らもまた打たれていたのである。

ひるがえって、現代の日本に問いたい。我々は日々の仕事の中で、どれほどの誠を込めているか。流れ作業のごとくに人と接し、形式だけの応対を繰り返してはいないか。一流とは、特別な場所にあるのではない。今、自分が立っているその場で、目の前の一人に対して、いかに心を尽くすかという一点にこそある。掃除を任された者は掃除の道を、米を炊く者は米を炊く道を、人に教える者は教えの道を、それぞれに極めようとする心。その心の重なりが、日本という国を一流たらしめてきたのである。

銀座の鮨処での一夜は、ただの食の記憶ではない。それは、日本人の心の在りようを、無言のうちに教えてくれる稽古の場であった。宮司は、あの店長の握手の温もりを思い起こすたびに、改めて己に問う。今日、自分は、目の前の一人にどれほどの心を尽くしているか。一流とは外から与えられるものではない。日々の所作の中で、己が静かに磨き上げていく境地である。日本人がこの精神を取り戻すとき、この国は再び、まことの輝きを世界に放つであろう。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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