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日本の伝統と文化を、暮らしの中へ

国旗、皇室の祈り、和紙、日本茶など、日本の文化を身近に感じられる品をご案内します。

国旗

日本製の日の丸

軽く、しわになりにくい生地を用いた日本製の国旗です。家庭や事業所での掲揚に。

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皇室・祭祀

『宮中祭祀―連綿と続く天皇の祈り』

天皇の祈りと宮中祭祀について学び、日本の伝統への理解を深めるための一冊です。

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日本茶・海苔

山本山オンラインショップ

江戸時代から続く老舗の日本茶と海苔。日々の食卓や、大切な方への贈り物に。

江戸の文化と味を未来へ

日本製・越前和紙の御朱印帳

ちりめん生地と越前和紙を用いた、日本製の御朱印帳です。参拝の記録を大切に残す一冊として。

白地に紅一点。日の丸が語る、日本人の誇りと再生の道

秋祭りの支度で近所を歩くたびに、宮司はふと足を止めることがある。かつては祝日の朝、どの家の軒先にも小さく翻っていたはずの日の丸が、今ではほとんど見当たらないのである。

集合住宅が増え、庭に掲揚台を立てられる家は少なくなった。祝日そのものを意識する機会も、買い物や行楽の予定に紛れて薄れつつある。誰かが悪意を持って旗を仕舞い込んだわけではない。ただ、日々の暮らしの慌ただしさの中で、静かに忘れられていったのであろう。

海の向こうに目をやれば、事情は違う。多くの国では、祝祭日はもちろん、平生の玄関先にさえ、当たり前のように自国の旗が掲げられている。国旗を掲げることは、誇りを示す自然な所作なのである。ひるがえって日本では、国旗を掲げることに、どこか気恥ずかしさや、ためらいすら伴うことがある。この違いを、単なる国民性の差では片付けられない。

しかし、日の丸は単なる布切れではない。白地に紅の一点。これほど簡潔な意匠が、世界の国旗の中で、これほど気高く見えるものは少ないと、宮司は改めて申し上げたい。飾りを削ぎ落とし、ただ一つの円だけを残したこの旗は、私欲や虚飾を離れた澄んだ心、すなわち素心という言葉に、どこか通じるものがある。

日本という国号そのものが、「日の出ずる国」を意味する。聖徳太子が隋へ送った国書に「日出づる処の天子」と記したように、日輪への信仰は、この国の成り立ちそのものに根を張っている。天照大御神という太陽の神を戴く民として、日本人は古くから朝日に手を合わせ、一日の始まりに感謝してきたのである。白地に紅の丸という意匠が史料に現れるのは、平安末期、源平合戦の頃だと伝えられる。

だが、これが国全体を代表する旗として動き出すのは、はるか後、幕末のことである。嘉永6年、薩摩藩主・島津斉彬は、大型船の建造にあたり、白帆に朱の日の丸を掲げ、これを日本全体の船印とするよう幕府に進言した。翌年、幕府はこれを受けて、日の丸を日本の船印とする旨を全国に布達する。そして安政2年、薩摩が建造した昇平丸が江戸・品川に入港した際、日の丸は初めて、国家を代表する印として掲げられたのである。

明治3年、太政官布告によって、日の丸は正式に日本の国旗と定められた。だが、法律による確かな裏付けを得たのは、実に平成11年、国旗国歌法の成立を待たねばならなかった。布告から実に129年。この旗は、法の後ろ盾がないまま、ただ人々の心の中でだけ、国旗であり続けたのである。

宮司は、ここに大きな示唆を見る。日の丸を国旗たらしめてきたのは、法律ではない。この旗の下で働き、学び、祈り、そして命を賭してきた、無数の名もなき日本人の心そのものである。明治の開国、日清・日露の戦役、そして先の大戦。日の丸は、出征する若者を送る駅頭にも、戦地から届く手紙の余白にも、焼け跡から立ち上がる復興の現場にも、常にそこにあった。敗戦後、占領下で一時その掲揚さえ制限された時期があったと聞く。それでも人々は、この旗を心の奥にしまい、いつか再び堂々と掲げられる日を待ち続けた。

もちろん、日の丸をめぐって、戦争の記憶と結びつけ、複雑な感情を抱く方々がおられることも、宮司は承知している。それは戦後の自虐史観教育の影響が大きい。本来は愛国を教えることが筋だ。しかし、その痛みを軽んじるつもりはない。国旗そのものに罪はない。白地に紅く輝く日輪の意匠には誇りだけしかない。我が国の旗には、過ちも、悲しみも、そこからの再生の歩みも、すべてが刻まれ、すべてを見届けてきた証人なのである。先人の想いが詰まった象徴だ。国民に成り代わって、多くの泥も被っている。

思えば、日の丸が最も自然に、そして最も熱く人々の胸を打つ瞬間は、いつも同じ場所にある。国際大会である。異国の競技場で、選手がユニフォームの胸に日の丸を掲げ、表彰台で頭を垂れるとき、画面の前の私たちは、国籍も世代も超えて、同じ旗の下に立つ一人であることを思い出す。あの高揚は、政治でも、経済でもなく、この旗そのものが呼び覚ます、素朴で健全な誇りである。日常の中にも、同じ誇りは眠っている。ただ、それを呼び覚ます機会が、あまりにも少なくなっただけなのである。

学校においても、入学式や卒業式で国旗を掲げ、国歌を斉唱することは、今なお当たり前ではない。式典の場でどう扱うかをめぐって、長く議論が続いてきた事情も、宮司は承知している。だが、賛否の議論に終始するあまり、子供たちが日の丸そのものの由来や意味を教わる機会が、家庭でも学校でも失われているとすれば、それこそが最も惜しむべきことではないだろうか。

令和の今、宮司は問いたい。日の丸を掲げることは、誰かを威圧することでも、過去を美化することでもない。ただ、この国に生きる自分自身の足元を確かめる、静かな所作である。中今を生きる者として、祖先から受け継いだものへの感謝を、形にすることである。

祝日の朝、玄関先やベランダに日の丸を掲げてみる。それだけのことで、忙しい日常の中に、ふと立ち止まる一瞬が生まれる。子供が「これは何の旗」と尋ねたなら、そこから、建国の由来を、先人の労苦を、そして今この国に生きていることの意味を、語り始めることができる。戸建てであれば庭先にポールを立て、集合住宅であればベランダに掲げられる小ぶりな国旗セットも、今はよく整えられている。形はどうあれ、まず一枚、自分の暮らしのそばに日の丸を置くことから、始めてよいのである。

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日本人の誇りとは、声高に叫ぶものではない。日々の小さな所作の積み重ねの中に、静かに宿るものである。挨拶をする。感謝を伝える。祖先を敬う。そして、祝日には旗を掲げる。どれも地味な営みだが、その一つひとつが、次の世代へ手渡すべき国の記憶をつないでいく。

子や孫が、この旗の下で、堂々と自分の言葉で生きる日本人として育ってほしい。旗を見て育った子は、いずれこの国の来し方を知り、行く末を案じる大人になるはずである。宮司は、そう願わずにいられない。

宮司は今日も神前に祈る。白地に紅く輝くこの旗が、これからも日本人の心に静かに翻り続けることを。そして、この国に生きる一人ひとりが、旗の下で受け継いだ祈りと誇りを胸に、次の世代へと手渡していくことを。

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軽く、しわになりにくい生地を用いた日本製の国旗です。家庭や事業所での掲揚に。

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『宮中祭祀―連綿と続く天皇の祈り』

天皇の祈りと宮中祭祀について学び、日本の伝統への理解を深めるための一冊です。

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日本製・越前和紙の御朱印帳

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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