「つまらない仕事をする時こそ、真剣に励むこと」
『葉隠』に記されたこの教えは、武士の奉公の心得にとどまらず、あらゆる仕事、あらゆる人生に通じるものだと宮司は思う。
人は、自分が評価される仕事、目立つ仕事、名誉につながる仕事には熱心になりやすい。多くの人が見ている場所では、力を出し、立派に振る舞おうとする。しかし、誰にも見られない仕事、汚れる仕事、面倒な仕事、自分の誇りが満たされない仕事を命じられたとき、その人の本当の心が現れる。
特殊部隊の訓練には、華やかに見えるものもある。人々が見守る前で、ヘリコプターから1本のロープを使って降下する訓練。重い盾を構え、危険な場所へ接近する訓練。鍛えられた者の技量と勇気が、目に見える形で表れる場面である。
しかし、実際の訓練はそれだけではない。泥水の中を這い、身体を汚し、同じ動きを何度も繰り返す。暑さや寒さに耐えながら、単調で苦しい訓練を続ける。人から拍手を受けることもなく、目立つこともない。それでも黙々と励み、技を磨き続ける隊員がいる。
宮司が特殊部隊の指揮官であったなら、本番の人質事件で使うのは、そのような隊員である。
目立つ訓練には熱心であっても、汚れる訓練や嫌な訓練になると態度を変えてしまえば、現場で仲間から頼られる人にはなれない。実際の事件では、犯人と何時間も対峙しなければならないことがある。緊張の中で待ち続け、恐怖と疲労に耐え、命令が下るその瞬間まで集中を切らしてはならない。
華やかな技術だけでは、人質を救うことはできない。最後にものをいうのは、忍耐力であり、平凡に見える訓練を真剣に積み重ねてきた力である。
『葉隠聞書』には、生野織部が若き山本常朝に説いた奉公の心得が記されている。調子よく召し使われ、良い役に就いているときには、誰でも進んで働く。しかし、下目な役、すなわち人から軽く見られるような仕事を与えられたとき、気分を腐らせる者がいる。それが悪いのだと説いている。
たとえ立派な役に就いている者であっても、「水を汲め」「飯を炊け」と命じられたならば、少しも苦にせず、むしろ一段と張り切って務める。それこそが奉公の第一の心得だという教えである。
宮司は、この言葉に人間修養の根本を見る。
仕事に貴賤があるのではない。仕事に向き合う心に、貴賤が生まれるのだ。
水を汲むことを軽く見れば、その人の心も軽くなる。飯を炊くことをつまらないと考えれば、その人は自らの務めをつまらないものへ変えてしまう。反対に、小さな仕事に心を込める人は、どのような役目を与えられても、その場を立派な修行の場所に変えることができる。
人は、大きな仕事を任されたから立派になるのではない。小さな仕事を立派に果たしてきたから、大きな仕事を任されるのだ。
組織を率いる者は、部下にあえて嫌な仕事を命じることがある。それは意地悪ではない。その人が、評価されなくても働ける人間か、自分の誇りが傷ついても務めを果たせる人間かを見ているのである。
良い役を与えられたときだけ忠実であるなら、それはまだ本当の忠義とはいえない。都合のよいときだけ働くなら、それは組織のためではなく、自分のための働きになってしまう。
宮司は、警察官として多くの人間を見てきた。平穏なときには、誰もが立派なことを言える。危険のない場所では、勇ましい言葉を口にすることもできる。しかし、困難な仕事を前にしたとき、責任を引き受けられる人と、つい逃げ出してしまう人とに分かれる。逃げたくなる心は、誰にでもある。宮司もまた、その心と闘ってきた一人である。
本当に信頼できる人間は、言葉ではなく、嫌な仕事に向き合う背中によって分かる。
誰もしたがらない掃除を黙ってする。失敗した者を責める前に、自ら後始末をする。人が避ける役目を引き受け、見返りを求めない。そうした人間は、普段は目立たなくても、いざというときに必ず力を発揮する。
逆に、称賛される場所にだけ現れ、責任が生じると姿を消してしまえば、どれほど肩書が立派でも、人の信頼は得られない。人間の価値は、順境の態度ではなく、逆境の態度に現れる。
安倍晋三元総理もまた、長い政治人生の中で、数々の困難と批判に耐えながら、国家のために務めを果たされた。華やかな舞台だけを歩まれたのではない。選挙で敗れ、病に倒れ、激しい非難を浴びても、再び立ち上がられた。
国を守る仕事は、拍手を受けることばかりではない。理解されず、誤解され、時には孤独の中で決断しなければならない。それでも逃げずに責任を背負う。その覚悟こそ、真の奉公の心である。
現代社会では、効率や成果ばかりが求められる。自分に利益があるか、評価につながるか、出世に役立つか。そのような尺度で仕事を選ぶ人も少なくない。それも無理のないことだ。ただ、それだけでは、人の心は育ちにくい。
つまらないと思える仕事の中に、忍耐を学ぶ機会がある。面倒な仕事の中に、工夫を学ぶ機会がある。人が嫌がる仕事の中に、徳を積む機会がある。
宮司は思う。神は、華やかな仕事だけを見ておられるのではない。誰も見ていない場所で、黙って務めを果たす人の心を見ておられる。
掃除をするときには、掃除に心を尽くす。水を汲むときには、水を汲むことに心を尽くす。人に仕えるときには、私心を捨てて仕える。そこに神道の清明正直の心もある。
葉隠の教えは、死を急ぐ教えではない。自分の我欲を捨て、与えられた務めに命を尽くす覚悟を説いたものだ。
好きな仕事だけを選んでいては、人はなかなか強くなれない。嫌な仕事から逃げず、つまらないと思える仕事にも真剣に向き合う。その繰り返しが、心を磨き、いざというときに動じない人物をつくる。
宮司は、若い人に伝えたい。
今、与えられている仕事が小さく見えても、どうか粗末にしないでほしい。その仕事への向き合い方を、誰かが必ず見ている。たとえ人が見ていなくても、自分自身が見ている。そして神が見ておられる。
いま、思うような役目を与えられず、悔しい思いをしている方へ。その悔しさを抱えたまま務めを果たすあなたを、神様はきっと見ておられます。
大きな仕事を願う前に、小さな仕事を立派に果たすことだ。良い役を求める前に、今の役を務め尽くすことだ。人から認められる前に、自分に恥じない働きをすることだ。
つまらない仕事にこそ、真剣に励む。
その心を持つ人こそが、いざというときに大きな責任を背負うことができる。
それが『葉隠』に生きるということであり、日本人が大切に受け継いできた奉公の道なのである。
目立たぬ場所で、日々務めを果たしているすべての方に、心からの敬意を込めて。皆さまの働きが、いつか必ず報われますように。宮司も、心からお祈りしております。