紀元前260年頃、インド亜大陸の東岸、カリンガの地で一つの戦争が終わった。マウリヤ朝の第3代皇帝アショーカ王が、即位9年目に起こした征服戦争である。戦場となった川の下流は、おびただしい血によって赤く染まったと伝えられる。勝敗は決した。だが、その勝利の代償を、王自身が後の世に刻んだ言葉が残っている。「15万人が捕虜として連れ去られ、10万人が殺され、その数倍もの人々が、この戦のために命を落とした」。王が各地に建てさせた石柱と磨崖に、みずからの手で刻ませた言葉である。
宮司は、この一句に接するたび、深く考えさせられる。
勝者が、自らの勝利をこれほど赤裸々に語ることは、世界の歴史を見渡してもまれである。多くの支配者は、勝利を誇り、犠牲を美化する。しかしアショーカ王は逆であった。勝った直後に、勝つということの空しさを、自らの言葉で刻んだのである。
この話を、単なる「戦争に懲りて宗教に目覚めた王」の逸話として片づけてしまうのは、あまりにもったいないと、宮司は思う。アショーカ王が変えたのは、信仰だけではない。国を治めるということの定義そのものを、根底から変えたのである。
戦の前のアショーカ王は、兄弟を退けて王位に就いたとも伝えられ、後世「チャンダアショーカ」、すなわち残虐王アショーカとまで呼ばれた人物であった。武力による領土の拡大こそが、王の値打ちを決めると信じていたのであろう。しかしカリンガの惨状を前に、王は気づいた。国土を広げることと、民を治めることは、同じではない。
以後、アショーカ王は対外遠征をやめ、「法(ダルマ)による統治」を志した。武力によって国土を奪うのではなく、徳によって人の心を征服する。王はこれを自ら「法による征服」と呼び、これこそが唯一の真の勝利であると、石に刻ませている。即位10年目からは、狩猟を娯楽とする巡遊をやめ、代わりに法の巡礼を始めたと伝えられる。
石柱や磨崖に刻まれた法の中身は、難しい教義ではない。生き物をむやみに傷つけない慈悲の心。父母の言うことによく耳を傾け、年長者を敬うこと。師やバラモン、修行者への礼儀を尽くすこと。友人、知人、親族はもちろん、奴隷や使用人にまで、寛大でいたわりのある態度で接すること。偽りを語らず、真実を口にし、善い行いを積み重ねること。国家統治の理念というより、一人の人間としてどう日々を生きるかを説いた、素朴な教えの積み重ねであった。
その理念は、暮らしの仕組みにも及んだ。無用な饗宴のための浪費を誡め、道という道に並木を植えさせ、井戸を掘らせ、旅人のための休息所を設けさせた。人のためだけでなく、家畜のためにも療養院を建て、薬草や果樹を栽培させたという。法大官という役職を新たに設け、民の福祉のための事業を担わせた。
宮司が、ここで最も心を打たれるのは、宗教政策である。アショーカ王は仏教に深く帰依しながらも、バラモン教、ジャイナ教、アージーヴィカ教など、他のあらゆる信仰を平等に保護した。他の教えを非難することを戒め、自らの信じる道を他者に押しつけず、異なる信仰にも真理があると認めたのである。力によって従わせるのではなく、徳によって治める。それが、王の到達した境地であった。
その一方で、王は身内である仏教教団(僧伽)の内側にも、厳しい目を向けている。サーンチーやサールナートに建てさせた石柱には、教団の和合を乱し、分裂を企てる者があれば、白い衣を着せて教団の外に出すべしという、厳格な戒めが刻まれている。異なる信仰の間には限りない寛容を説きながら、自らが帰依する教団の内側には、結束と規律を求める。この使い分けの厳しさにこそ、理想論だけでは終わらない、統治者としてのまなざしが表れていると、宮司は思う。
もちろん、アショーカ王の統治のすべてが、理想どおりに機能したわけではあるまい。広大な帝国の隅々まで、法の精神が行き渡ったかどうかは、史料の上でも定かではない。宮司は、それを承知したうえで、なお思う。それでも、一人の統治者が、自らの過ちを認め、統治の物差しそのものを作り替えた事実は、色褪せるものではない。
日本もまた、この徳による統治という思想と無縁ではない。仏教が海を渡って伝わった先の飛鳥の地で、聖徳太子は十七条憲法に「和を以て貴しとなす」と記した。武力ではなく、和と敬いによって国をまとめようとする志は、アショーカ王がダルマに見た理想と、遠く響き合っている。国の形も時代も異なれど、力ではなく徳によって人を治めようとした魂は、洋の東西を問わず、確かに存在したのである。
ここで、もう一つの問いに向き合いたい。人としての生き方とは何か、という問いである。
アショーカ王の生涯は、地位や権力の大小にかかわらず、誰にでも当てはまる教えを含んでいると、宮司は思う。人は誰しも、力を持つ。それは一国の王としての権力とは限らない。家庭における親としての立場。職場における上司としての立場。地域における年長者としての立場。その力を、自分のために使うのか、それとも預かった者たちのために使うのか。その選択に、その人の心がそっと表れる。
残虐王アショーカから、法のアショーカへ。この転身は、一夜にして起きたものではない。カリンガの血を見た衝撃と、そこから目を背けずに向き合った誠実さがあって、初めて成し得たものである。過ちに気づいた瞬間ではなく、気づいた後にどう生きるか。そこにこそ人の真価が表れるのだと、宮司は信じている。
言葉を荒げて部下を従わせた日があってもよい。損得ばかりを優先して、身近な人を傷つけた日があってもよい。大切なのは、そこで開き直らないことである。アショーカ王が自らの過ちを石に刻んで後世に晒したように、過ちを認める勇気こそが、次の一歩を変える。隠すのではなく、認める。責めるのではなく、正す。その積み重ねが、残虐王を法の王へと変えたのである。
過去の過ちを、いまも悔やみ続けている方へ。悔いる心があること自体が、もう新しい一歩の始まりです。
このダルマの精神は、今なお生き続けている。アショーカ王が紀元前250年頃にサールナートへ建てさせた石柱の頂には、4頭のライオンが背中合わせに座す獅子柱頭が刻まれている。1950年1月26日、インドが共和国として新たな歩みを始めたその日、この獅子柱頭は姿を整えられ、インドの国章として正式に採用された。柱頭に刻まれた法輪もまた、インド国旗の中央に据えられている。武力による征服者としてではなく、法による統治者として、アショーカ王は2300年近い時を経てなお、一国の象徴であり続けているのである。
宮司は、ここに大きな示唆を見る。力による勝利は、その瞬間にしか輝かない。しかし徳による統治は、時代を越えて語り継がれる。国を治めるとは、領土や権勢を増やすことではない。民の暮らしに、井戸を、木陰を、休息所を、そして異なる信仰への敬意を、どれだけ行き渡らせるか。その一点に尽きるのではないだろうかと、宮司は思う。
大それたことをする必要はない。自分に預けられた小さな力を、誰かの安らぎのために使う。異なる考えを持つ相手を、力ではなく敬意で迎える。過ちに気づいたなら、目を背けずに認め、そこから生き方を正す。アショーカ王が2300年前に示した道は、今を生きる私たち一人ひとりの手の中にも、確かに残されている。
宮司は、神前に立つたびに祈っている。この国の為政者にも、そして日々の暮らしの中で小さな力を預かるすべての人にも、武力ではなく徳による統治の心が宿ることを。カリンガの血をもう二度と流させぬ知恵が、令和の世に受け継がれることを。
皆さまの手の中にある小さな力が、誰かの安らぎとなりますように。宮司も、心からお祈りしております。