鎮守の杜が消えてゆく。年間百社が失われる日本の今

宮司は、ある日届いた報告に、しばらく言葉を失った。かつて氏子たちが守ってきた、ある山里の小社が、後継者もなく、氏子も尽き、ひっそりと廃絶になったという知らせだった。それは遠い誰かの話ではなかった。宮司自身が神職として生涯をかけてきた世界の話であった。近年、専門家の間でこんな言葉が語られるようになった。全国に約八万社ある神社のうち、年間百社が経営難と担い手不足によって消えてゆく、と。コンビニより多いと言われる神社が、いま音もなく失われ続けている。

神社とは何か。問うまでもないようでいて、令和の世に生きる多くの日本人が、その問いに答える言葉を失いつつあるように宮司は感じている。神社は単なる観光地でも、初詣に行く場所でもない。そこは、地域の産土神を祀り、先人たちが代々命をつないできた証しであり、大地と天と人とをつなぐ祈りの場である。宮司の足に染みついた石段の感触、杜の静けさ、注連縄の張り替えをする氏子の手の温もり。それらがすべて、日本人の魂の記憶である。一社が消えるとは、一つの地域の祈りの歴史が途絶えることを意味する。

鎮守の杜は、日本人にとって単なる宗教施設ではなかった。

五穀豊穣を願い、子の誕生を感謝し、旅立ちを祈り、大切な人の逝去を悼む。人の一生の節目節目に神社があった。地域の人々が同じ神の前に集い、祭りを共に行うことで、互いの絆が織り成されてきた。その共同体の核が失われるとき、何が起きるか。人々は見えない糸を一本ずつ失い、やがて地域そのものが空洞になってゆく。少子化、過疎化、担い手の高齢化。神社の消滅は、それらの問題の結果であると同時に、それらをさらに深刻にする原因でもある。

神社が消える、ということは、民族の記憶が消える、ということである。

神道には、文字に書かれた教義がない。その教えは、祭りの所作に、禊の水に、玉串を捧げる手の動きに、そして杜の空気の中に宿っている。二千年以上にわたってこの列島に生きてきた人々が、言葉ではなく身体と暮らしで受け継いできたものが、神社という形を借りて今日まで伝わってきた。それは書物に写し取ることのできないものだ。その社が失われれば、その祭りも、その祈りの作法も、その神への畏れも、一緒に消えてゆく。取り戻せない喪失である。

宮司は思う。神社を守るとは、建物を守ることではない。日本人の魂の拠り所を守ることだ、と。経済の論理で言えば、採算の取れない小社は整理されて当然かもしれない。しかし宮司はそこに、冷たい論理が見落としているものの重さを感じる。人は合理性だけでは生きられない。祈る場所を持つ民族と、持たない民族とでは、時代の荒波の中での踏みとどまる力が違う。いざというとき、天地の前に頭を垂れる場所があることが、人の背骨を真っ直ぐにする。

令和の日本人に問いたい。あなたの街の氏神様を、あなたはご存じだろうか。産土神の社に、最後に足を運んだのはいつだろうか。便利な都市に暮らし、デジタルの海を泳ぎながら、私たちはいつの間にか、先祖が祈り続けてきた場所への道を忘れてはいないか。神社を守るのは、宮司だけの仕事ではない。氏子がいて、地域があって、祭りを共に担う人々がいてこそ、神社は生きる。今こそ、この国に生きる一人ひとりが、鎮守の杜へと足を向ける時だ。杜は待っている。神は、かならず、そこにいる。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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