自衛官を志す子供たちへ。偏見を越えて、国を守る誇りを伝えたい

産経新聞の記事に接し、宮司はしばらく言葉を失った。

立憲民主党の古賀千景参院議員が、参院決算委員会において、自衛隊を志す子供たちについて、経済的に厳しい子供たちが行く、豊かな子供たちは自衛官にならない、という趣旨の発言をされたという。記事によれば、この発言に対し、与野党を問わず、また自衛隊経験者や多くの識者から、自衛官への侮辱であり、若者や家族の誇りを傷つけるものだという批判が相次いだ。

宮司は、この報道を単なる政党間の争いとして受け止めてはならないと思う。

これは、日本人が自衛隊をどう見ているのか。これは、国を守る人々に対して、私たちがどのような敬意を持っているのか。これは、未来ある子供たちの志を、大人がどのように受け止めるのか。

そのことを、厳しく問う出来事である。

自衛隊に進む子供たちの中には、さまざまな家庭の事情を抱えた者もいるであろう。経済的な理由が進路選択に影響することも、世の現実として全くないとは言えない。宮司は、その現実を軽んじるつもりはない。家庭の苦労、学費の重さ、将来への不安。その一つ一つは、子供たちにとって決して小さなものではない。

しかし、それだけで人の志を説明してはならない。

人は、貧しさだけで道を選ぶのではない。安定だけで人生を決めるのでもない。そこには、国を守りたいという思いがある。災害の時に人を助けたいという心がある。厳しい訓練に耐えて、自分を鍛えたいという覚悟がある。制服に袖を通し、国旗のもとに立つことへの誇りがある。

それを見ずに、ただ家庭の事情や経済の物差しだけで語るならば、子供たちの心を見ていないことになる。

宮司は、ここに戦後日本の病を感じる。

私たちは長い間、国を守ることを素直に尊いと言えない空気の中で生きてきた。自衛隊が災害救助に出れば感謝する。水害、地震、土砂崩れ、豪雪、疫病。困った時には自衛隊に助けを求める。それなのに、平時になると、その存在をどこか遠ざけ、国防を語ることをためらい、隊員の覚悟を正面から讃えることを避けてきた。

これは、あまりにも不自然である。

日本の国土は、誰かが守っている。日本の空は、誰かが見張っている。日本の海は、誰かが備えている。災害が起きた時、泥の中に入り、瓦礫を越え、行方不明の方を捜し、孤立した集落へ物資を届ける人々がいる。家族との時間を削り、眠れぬ夜を越え、命を危険にさらしながら、黙して任務にあたる人々がいる。

その人々を、どうして軽く語ることができようか。

自衛官は、反論しにくい立場にある。政治家の言葉に、同じ土俵で声を荒げることはできない。任務にあたる者は、ただ国民を守るために黙々と働く。だからこそ、政治家の言葉は重くなければならない。だからこそ、国民の側が、その沈黙の誇りを守らねばならない。

宮司は思う。子供たちに必要なのは、偏見ではない。子供たちに必要なのは、選んだ道を尊ぶ大人の眼差しである。

たとえ大学へ進む子であっても、職人を志す子であっても、農業に進む子であっても、介護や医療に進む子であっても、自衛隊を志す子であっても、その道に真心があるならば、大人はまず敬意をもって見守るべきである。

進路とは、履歴書の一行ではない。進路とは、その子が自分の命をどのように用いるかという、人生の祈りである。

まして、自衛官を志すということは、自分の命を自分一人のためだけに使わないという覚悟を含んでいる。もちろん、すべての若者が初めから大きな言葉を持っているわけではない。入隊の動機は人それぞれでよい。安定した職を求める者もいるであろう。体を鍛えたい者もいるであろう。家族を安心させたい者もいるであろう。

だが、その入口がどこであれ、国を守る場に身を置くうちに、人は変わる。

規律を学び、仲間を思い、任務の重さを知り、国民の命を背負う。その日々の中で、若者は一人前の大人へと鍛えられていく。そこにあるのは、単なる就職ではない。人を育て、国を支え、非常の時に立つための道である。

宮司は、子供たちに伝えたい。

誰かがあなたの志を、浅い言葉で決めつけたとしても、どうか心を曇らせてはならない。国を守りたい、人を助けたい、己を鍛えたい、家族を安心させたい。その思いは、どれも尊い。出発点がどこであってもよい。大切なのは、その道を歩む中で、どれほど心を磨き、どれほど人のために尽くすかである。

また、自衛官の御家族にも、宮司は深く頭を下げたい。

隊員一人の背後には、必ず家族がいる。送り出す親がいる。帰りを待つ妻や夫がいる。父や母の背中を見つめる子供がいる。任務の詳細を聞けない日もある。不安を胸にしまい、笑顔で送り出す朝もある。災害派遣、訓練、警戒監視、海外での任務。国を守るということは、隊員本人だけでなく、その家族もまた静かに支えているということである。

玉木雄一郎代表が、記事の中で家族への侮辱でもあると語ったことは、この一点において重い。自衛官を語る時、私たちは隊員本人だけを見ているのではない。その後ろにある家庭、親の祈り、家族の忍耐、地域の支えまで見なければならない。

言葉は、人を生かすこともあれば、人を傷つけることもある。

特に、国会の場で発せられる言葉は、ただの私語ではない。国民の前に置かれる言葉である。子供たちは、それを聞いている。自衛官の子供たちも聞いている。これから自衛隊を志そうとしている若者も聞いている。

その子たちが、自分の父や母の仕事を恥じるようになってはならない。その子たちが、自分の志を人前で語れなくなってはならない。その子たちが、国を守る道を選ぶことを、何か低いもののように感じてはならない。

大人の言葉には、次の世代の心を育てる責任がある。

教育とは、本来、子供の心に誇りを灯すものである。自分の家を大切にし、祖先を敬い、地域を愛し、日本を思う。その心を育てることが教育である。もし教育の名において、国を守る人々への敬意が失われるならば、それは教育ではなく、心の根を断つ行為になってしまう。

宮司は、戦うことを好む心を子供たちに植えつけたいのではない。

そうではない。国を守る者に敬意を払うことと、戦争を望むことは全く違う。むしろ、国を守る覚悟を持つ者がいるからこそ、平和は軽々しく扱われない。平和とは、ただ願えば与えられるものではない。祈りがあり、備えがあり、外交があり、法があり、そして最後に、国民を守る人々の覚悟があって、初めて保たれるものである。

平和を本当に願うならば、自衛隊を軽んじてはならない。

国防を本当に考えるならば、若者の志を偏見で縛ってはならない。

子供たちの未来を本当に思うならば、どの道に進む者にも、誇りを持って生きよと励まさねばならない。

宮司は、神前に立つたびに思う。日本は、祖先より預かった国である。私たちの代だけのものではない。過去から受け継ぎ、未来へ渡すものである。山河、田畑、海、言葉、神社、家族、礼節、国柄。そのすべてを、次の世代へ少しでも良い形で渡していく責任が、今を生きる私たちにはある。

その責任の最前線に立つ者の一つが、自衛隊である。

だからこそ、宮司は言いたい。自衛官の皆様、ありがとうございます。自衛官を志す若者たち、胸を張ってください。その御家族の皆様、あなた方の祈りと忍耐に、心より敬意を表します。

そして、政治家をはじめ、大人たちよ。どうか言葉を慎み、言葉を磨き、言葉によって子供たちの志を傷つけるのではなく、言葉によって立ち上がらせる者であってほしい。

日本の子供たちは、宝である。自衛隊は、日本の国民を守る尊い務めである。この二つを、私たちは決して軽んじてはならない。

参考記事

産経新聞「与野党から批判噴出 立民・古賀議員『自衛隊発言』に、国民・玉木代表『家族にも侮辱だ』」

産経新聞:産経ニュース
与野党から批判噴出 立民・古賀議員「自衛隊発言」に、国民・玉木代表「家族にも侮辱だ」 立憲民主党の古賀千景参院議員が15日の参院決算委員会で「自衛隊に行く子供は経済的に厳しい。豊かな子供は自衛官にならない」などと発言したことについて、「自衛官へ…
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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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