皇室典範の瑕疵を見誤るな。男系皇統を守ることは、日本の魂を守ることである

皇室典範をめぐる議論に接し、宮司は深い憂いを抱かずにはいられない。
これは、単なる法律改正の話ではない。皇族数をどう確保するかという行政上の便宜だけの話でもない。日本という国が、何を中心としてここまで歩んできたのか。そして、これから何を子孫に手渡すのか。その根本を問う議論である。
皇室典範第一条は、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定めている。短い条文である。だが、この短い一文に、日本の歴史の重みが凝縮されている。
皇統に属すること。
男系であること。
男子であること。
そして、皇族であること。
この筋を曖昧にしてはならない。皇室の御存在は、現代人の都合によって作られた制度ではない。世論の風向きによって右へ左へ動かしてよいものでもない。初代神武天皇以来、長い歳月の中で、先人たちが畏れ敬い、守り抜いてきた日本の中心である。
もちろん、現実の問題はある。皇族数が減少していることは、誰の目にも明らかである。御公務を支える方々が少なくなれば、皇室の御活動にも重い負担が生じる。今を生きる政治が、この現実から目を背けてよいはずがない。
しかし、現実に向き合うことと、根本を変えることは違う。
人数を確保するために、皇統の筋を曖昧にするならば、それは本末転倒である。形を残して魂を失う。宮司は、それを最も恐れるのである。
政府有識者会議が示した大きな方策は、二つであった。一つは、内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持する案。もう一つは、皇族の養子縁組を可能にし、皇統に属する男系男子を皇族とする案である。
この二案は、表向きには皇位継承そのものではなく、皇族数確保の議論として整理されている。だが、ここに大きな危うさがある。皇族数の問題は、皇位継承の土台と切り離すことができない。誰が皇族であるのか。誰が皇統に属するのか。誰の子孫が将来の皇室を支えるのか。そこに触れれば、必ず皇位継承の問題に接続していく。
第一に警戒すべきは、女性皇族の婚姻後皇籍保持が、将来的に女系継承への入口となることである。
女性皇族御本人は、皇統に属する男系の皇族であられる。その御方が婚姻後も皇族として御活動を続けられるというだけなら、ただちに皇統が崩れるわけではない。女性皇族方の御働きは、まことに尊い。国民に寄り添い、祈りを体現される御姿に、宮司は深い敬意を抱いている。
しかし、問題はその先である。
配偶者をどう扱うのか。
子をどう扱うのか。
その子に皇族の身分を認めるのか。
さらに、その子に皇位継承資格を認めるのか。
ここを曖昧にすれば、女性宮家から女系天皇へと道が開かれてしまう。母方を通じて皇統につながる子が皇位を継ぐならば、それは男系継承とは別物である。言葉を柔らかくしても、本質は変わらない。
女性天皇と女系天皇は違う。
この違いを曖昧にしてはならない。歴史上、女性天皇はおられた。しかし、その女帝方もまた男系の皇統に属しておられた。皇統を女系へ移すための存在ではなかったのである。ここを混同すれば、日本の根本を見失う。
第二に危ういのは、女性皇族御本人だけを皇族に残し、夫や子は一般国民とする制度の不自然さである。
母は皇族であり、夫と子は国民である。制度としてそのように整理することは可能かもしれない。しかし、家族という自然なまとまりから見れば、極めて変則的である。やがて必ず、「家族が別身分であるのはおかしい」「子も皇族とすべきではないか」という声が出るであろう。
最初は皇族数確保であったはずの議論が、制度の矛盾によって、次の改正要求を生む。そこから女性宮家、さらには女系継承へと進む。宮司は、その流れを見過ごしてはならないと思う。
皇室を守るための制度が、皇室の本質を変える入口になってはならない。
第三に、旧宮家の男系男子を養子として皇族に復帰させる案についてである。
この案は、男系皇統を守るという観点からは筋が通っている。旧宮家は、突然どこかから持ち出された存在ではない。皇統に連なる宮家であり、戦後の制度変更によって皇籍を離れられた方々の系譜である。血筋としては皇統に属する男系である。ここが女系継承とは根本的に違う。
ただし、ここにも制度設計の難しさがある。
現行の皇室典範第九条は、天皇及び皇族は養子をすることができないと定めている。したがって、旧宮家の男系男子を養子として皇族に迎えるには、まずこの規定を改め、どのような手続きで皇族身分を回復するのかを明確にしなければならない。
本人の意思。
皇室会議の関与。
国民への説明。
復帰後の身分。
皇位継承資格の扱い。
これらを曖昧にしたまま進めれば、せっかく男系を守るための道であっても、制度上の不自然さが残る。特に、「養子本人には皇位継承資格を認めず、養子となった後に生まれた男子には資格を認める」という整理を採るならば、その理由を丁寧に説明せねばならない。
慎重であることは必要である。いきなり民間におられた方に皇位継承資格を認めることへの国民感情を考慮するのも、一つの考え方であろう。しかし、同じ男系男子でありながら、本人は資格なし、子は資格ありという一代限りの断絶は、皇統論としては技巧的である。
だからこそ、政治は逃げてはならない。
制度をつくるとは、言葉を整えることではない。将来の混乱を防ぐために、いま厳密に線を引くことである。曖昧なまま通した制度は、必ず後の世に禍根を残す。皇室の制度において、その禍根は一国の根にかかわる。
宮司は思う。
この議論で守るべき核心は、ただ一つである。
皇位は、皇統に属する男系男子が継承する。
この原則を一ミリでも曖昧にしてはならない。皇族数確保の名のもとに、女系継承への余地を残してはならない。配偶者や子の扱いをぼかし、将来の議論に委ねるような制度にしてはならない。今を生きる私たちが決めきれない問題を、未来の子孫へ押しつけてはならない。
皇室とは、単なる血統管理の制度ではない。そこには祭祀がある。祈りがある。民の安寧を願われる御姿がある。天皇陛下の御存在は、日本国民統合の象徴であると同時に、日本人が自らを日本人として自覚する源である。
その源を、現代的な平等論や一時の世論で扱ってはならない。男女の優劣の話ではない。家族観の新旧の話でもない。皇統という、日本にしかない歴史の筋を守るか、守らないかという話である。
変えてよいものと、変えてはならないものがある。
時代に合わせて整えるべき制度はある。だが、時代に合わせてはならない根本もある。便利な時代の人間ほど、すぐに変えることを賢さだと思いがちである。しかし、本当に賢い国民とは、変えるべきものと守るべきものを見分ける国民である。
皇室典範の改正を論じるならば、まず畏れを持たねばならない。
法律の条文をいじる前に、祖先に問う心が必要である。歴代天皇の御心に思いを致す慎みが必要である。未来の子どもたちに、どのような日本を渡すのかという責任が必要である。
皇統を守るとは、過去にしがみつくことではない。
未来を守ることである。
日本人が日本人であり続けるための中心を守ることである。神前に手を合わせ、すめろぎの御代の弥栄を祈る時、そこに流れているのは単なる懐古ではない。祖先から子孫へ、見えぬ糸を結び続ける祈りである。
政治家は、軽々しく皇室を語ってはならない。新聞やテレビは、女性天皇と女系天皇を混同させるような語りをしてはならない。国民もまた、耳触りのよい言葉だけで判断してはならない。
皇室を守るとは、皇統を守ることである。
皇統を守るとは、男系の筋を守ることである。
男系の筋を守るとは、日本の国柄を守ることである。
宮司は、静かに、しかし強く訴えたい。皇族数確保という現実の課題に向き合いながらも、決して皇統の一線を越えてはならない。旧宮家の男系男子を皇族に迎える道を、厳格な手続きと国民の理解のもとに整えること。それこそが、現実と伝統を両立させる道である。
女系継承へつながる曖昧な制度を残してはならない。
皇室の形だけを残し、魂を失ってはならない。
この国の中心を、未来の子どもたちへ清らかに手渡すために。宮司は今日も神前に額ずき、すめろぎの御代の弥栄と、日本の魂の再生を祈るのである。
