「海ゆかば」に学ぶ。大伴家持の忠誠と、令和に問われる日本人の覚悟

日本人には、命よりも大切にしてきたものがある。
それは、ただ自分一人の幸福を守ることではない。家を守り、祖先を敬い、国を思い、天皇を中心とする日本の国柄を支えるという、深い精神である。
宮司は、「海ゆかば」の歌を読むたびに、そのことを強く思う。
海ゆかば 水漬く屍
山ゆかば 草むす屍
大君の 辺にこそ死なめ
かへり見はせじ
この短い言葉の中に、古代の日本人が抱いていた覚悟が凝縮されている。
海へ行って戦えば、屍は海水に浸かるであろう。山へ行って戦えば、屍は草に覆われるであろう。それでも、大君のおそばにあって死ぬのであれば、決して後悔はしない。
今の時代に生きる私たちには、厳しすぎる言葉に聞こえるかもしれない。だが、この歌をただ軍国的なものとして片づけてはならない。そこには、古代より続く日本人の信仰、氏族の誇り、そして公に仕える者の責任がある。
「海ゆかば」は、大伴家持によって『万葉集』に残された歌である。『万葉集』は、日本最古の歌集であり、全二十巻、約四千五百首の歌を収めている。天皇、貴族、防人、農民、名もなき人々に至るまで、多くの人の言の葉が集められている。
万葉とは、万の言の葉という意味である。
その中に、「海ゆかば」は、ただ美しい歌としてではなく、大伴氏の魂を伝える言葉として刻まれている。
大伴家持が生きた時代は、決して穏やかな時代ではなかった。天平の世は華やかであった一方で、政治は大きく揺れていた。天平九年、すなわち七三七年には疫病が流行し、藤原武智麻呂をはじめ藤原氏の有力者が相次いで亡くなった。政治の中心には大きな空白が生まれた。
その後、橘諸兄が政治の実権を握ったが、世は安定しきらなかった。七四〇年には藤原広嗣の乱が起こる。内乱の危機をはらんだ時代であった。
聖武天皇は、このような世を深く憂えられた。
そして、その救いを仏教に求められた。国を安んじ、人々の心を鎮めるために、東大寺大仏の建立を進められたのである。ところが、その大仏造立には大量の金が必要であった。
そのさなか、陸奥の国より黄金が発見され、朝廷へ献上されるという大きな出来事が起こった。
これは、ただの資源発見ではない。聖武天皇にとっては、皇祖の御恵みであり、国を鎮める御事業を後押しする天のしるしであった。天皇は大いに喜ばれ、詔を下され、年号も天平二十一年から天平感宝元年へと改められた。
その詔の中で、天皇は大伴氏と佐伯氏に対し、あらためて忠誠を求められた。
大伴、佐伯の両氏は、古くから皇室の「内の兵」として仕えてきた家柄である。国全体の軍を司る物部氏とは異なり、この両氏は天皇の御門を守る、いわば近衛のような役割を担ってきた。
天皇の御そばを守る。
それは、単なる職務ではない。祖先より受け継がれた名誉であり、家の存在理由そのものであった。
『続日本紀』には、その詔の中で、祖先より伝えられた言葉として「海行かば水漬く屍、山行かば草生す屍、王の辺にこそ死なめ」といった趣旨の言葉が記されている。
このとき大伴家持は、越中にあった。遠く都を離れていても、天皇の詔を知った家持の胸には、大伴氏の祖先より受け継いだ魂が燃え上がったに違いない。
家持は、その詔を賀して長歌を詠んだ。
そこには、皇室の尊厳、国の栄え、そして大伴氏と佐伯氏が古くから大君に仕えてきた誇りが、高らかに歌い上げられている。
宮司が特に心を打たれるのは、この歌が単なる個人の感情ではないということである。
家持は、自分一人の忠義を語っているのではない。大伴氏という家に受け継がれてきた使命を背負い、祖先の名を絶やさず、大君に仕える者としての覚悟を歌っているのである。
現代人は、個人を大切にする。それはもちろん尊いことである。人にはそれぞれの人生があり、守るべき暮らしがある。
しかし、個人だけで国は成り立たない。
自分の命、自分の利益、自分の都合だけを最上のものとすれば、やがて人は祖先を忘れ、家を忘れ、国を忘れる。国の根が失われるとき、人の心もまた軽くなる。
大伴家持の「海ゆかば」は、その反対にある精神を示している。
私は、祖先から受け継いだ名を汚さない。
私は、大君に仕える者としての務めを忘れない。
私は、公のために生きる覚悟を持つ。
この三つが、この歌の奥に流れている。
もちろん、令和の私たちが、古代と同じ形で生きることはできない。時代も制度も社会も違う。だが、形が変わっても、心まで失ってよいわけではない。
今の日本に足りないものは何か。
宮司は、それは「かへり見はせじ」という覚悟ではないかと思う。
これは、無謀に命を投げ出すという意味ではない。私利私欲に振り返らないということである。損得に迷わないということである。己の保身だけを考えず、正しいと思う道に身を置くということである。
人は、すぐに振り返る。
これを言えば損をするのではないか。
これを守れば笑われるのではないか。
これを貫けば孤立するのではないか。
そうして、いつのまにか大切なものを手放してしまう。
しかし、大伴家持は違った。祖先の名を背負い、大伴氏の職分を背負い、大君の御言葉を貴び、その中で自らの立つ場所を確かめたのである。
「我をおきて、また人はあらじ」
その気魄が、家持の歌にはある。
これは傲慢ではない。責任である。自分がやらねば誰がやるのか。自分が守らねば何が残るのか。その問いを、家持は自らに引き受けたのである。
令和の日本人もまた、この問いから逃げてはならない。
国を守るとは、ただ武器を持つことだけではない。神社を守ること、家庭を守ること、地域を守ること、正しい歴史を語り継ぐこと、祖先に恥じぬ生き方をすること。その一つ一つが、日本を守ることである。
私たちは、古代の人々のように歌を詠むことは少なくなった。しかし、言の葉の力は今も変わらない。
万葉集に残された言葉は、千年以上の時を超えて、今を生きる私たちに問いかけている。
あなたは、何を守るのか。
あなたは、誰のために生きるのか。
あなたは、祖先より受け継いだものを、次の世へ渡す覚悟があるのか。
「海ゆかば」は、死を賛美する歌ではない。
むしろ、どう生きるかを問う歌である。
命を何のために用いるのか。自分の人生を、どのような大きな流れの中に置くのか。その問いを、静かに、しかし厳しく突きつけてくる。
宮司は思う。
日本人は、もう一度、言の葉の根に帰らねばならない。
便利さや豊かさの中で、私たちは多くのものを得た。しかし、その代わりに、祖先とつながる感覚、公に仕える心、国のために生きる誇りを、少しずつ失ってはいないだろうか。
大伴家持の歌は、古い時代の遺物ではない。
それは、今の日本に向けられた警鐘であり、祈りであり、励ましである。
海ゆかば、水漬く屍。
山ゆかば、草むす屍。
大君の辺にこそ死なめ。
かへり見はせじ。
この言葉を、ただ声に出して読むだけでもよい。胸の奥に、日本人としての古い記憶が響いてくるはずである。
甦れ、祖先を敬い、大君を思い、公のために生きる日本人の心。甦れ、大伴家持の言の葉に宿る、清く、強く、かへり見ぬ大和魂。
