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安倍晋三元総理銅像建立

只今を整える覚悟。葉隠に学ぶ、これからの時代を生き抜く力

時代は、静かに、しかし確実に変わっている。昨日まで当たり前であったことが、明日も同じように続くとは限らない。自然災害、国際情勢、経済の不安、家族の問題、心の孤独。令和を生きる私たちは、便利さの中にいながら、同時に見えない不安の中にも置かれている。宮司は思う。このような時代にこそ、人は恐れに呑まれるのではなく、心の根を深く張らねばならない。

『葉隠聞書』に「その時が只今、只今がその時」という教えがある。これは、ただ勇ましい言葉ではない。いざという時に慌てぬよう、平素より心を整え、身を整え、日々をおろそかにするなという、厳しくも温かい教えである。何かが起きてから覚悟を探しても、なかなか間に合わない。覚悟とは、非常の瞬間に突然現れるものではなく、何もない日々の中で少しずつ育てておくものである。

多くの人は、平穏な日常を軽く見る。今日も昨日と同じように朝が来た。家族がいて、仕事があり、食卓があり、スマートフォンを開けば情報が流れてくる。その日常が続くうちは、自分の心がどれほど整っているかを問われることは少ない。しかし、人生には必ず「まさか」という坂がある。病、別れ、事故、災害、失敗、裏切り、社会の激変。人はその坂の前に立った時、初めて自分の平素の在り方を知らされる。

だからこそ、宮司は若い人たちに伝えたい。覚悟とは、暗い未来を想像して身構えることではない。覚悟とは、今日を丁寧に生きる力である。挨拶をする。約束を守る。体を鍛える。学ぶ。働く。家族を大切にする。神前に手を合わせる。自分の言葉に責任を持つ。困難から逃げず、しかし無謀に突き進むのでもなく、いざという時に自分の足で立てるよう、日々の小さな行いを積み重ねることである。

「常在戦場」とは、常に心を尖らせ、周囲を疑い、殺気立って生きよという意味ではない。むしろ反対である。心に備えがある者は、むやみに騒がない。腹が据わっている者は、声を荒げない。最も悪い場合を想定し、できる準備をしている者ほど、普段は穏やかに人と接することができる。備えなき者ほど、事が起きた時に人を責め、世を恨み、右往左往する。備えある者は、まず自分のなすべきことを静かに見定める。

これからの時代を生きる人たちは、かつてないほど多くの情報に囲まれている。情報は力である。しかし、情報だけでは人は立てない。知識を集めても、いざという時に判断できなければ意味がない。正しいことを知っていても、行動に移せなければ力にはならない。知識が腹に落ち、見識となり、さらに胆識となった時、人は初めて動じぬ人間となる。宮本武蔵が説いた平常心も、安岡正篤翁が説いた胆識も、根は同じである。日々の鍛錬が、非常の時の静けさを生むのである。

宮司は、覚悟とは「未来への思いやり」でもあると思う。自分が整っていなければ、いざという時に家族を守ることはできない。自分が学んでいなければ、次の世代に正しい道を手渡すことはできない。自分がふらついていれば、周りの人を励ますことはできない。覚悟とは、自分一人が強がるためのものではない。大切な人を守り、地域を守り、日本を守り、まだ見ぬ子や孫の時代へ、少しでも良いものを残すために持つものである。

若い人の中には、未来に希望を持てないという者もいる。努力しても報われないのではないか。国は衰えていくのではないか。自分一人が何かをしても変わらないのではないか。その気持ちは分からなくもない。しかし、そう思う時こそ、足元を見よ。今日の自分を整えよ。部屋を整え、言葉を整え、姿勢を整え、心を整えよ。大きな時代を変える第一歩は、いつも一人の心が立ち上がるところから始まる。

葉隠の「死ぬ覚悟」とは、命を粗末にせよということではない。死を見据えることで、生をいい加減に扱うなということである。人はいつまでも生きるわけではない。今日会った人と、明日も必ず会えるとは限らない。今日できることを、明日に回せるとは限らない。だからこそ、今日を濃く生きる。今この瞬間に、自分の命を正しく使う。これが「只今がその時」という言葉の、現代における本義である。

「いざ鎌倉」という言葉がある。鎌倉に一大事があれば、武士はただちに馳せ参じる。そのためには、刀だけでなく、馬だけでなく、心の準備が要る。現代の私たちにとっての「いざ鎌倉」は、職場での責任かもしれない。家族を支えることかもしれない。災害の現場で隣人に手を差し伸べることかもしれない。あるいは、誰も言わない正しいことを、静かに言う勇気かもしれない。

大切なのは、特別な人間だけが覚悟を持つのではないということである。父には父の覚悟があり、母には母の覚悟がある。学生には学生の覚悟があり、働く者には働く者の覚悟がある。高齢の方には、長く生きてきた者として若い世代を励ます覚悟がある。それぞれの場所で、それぞれの務めを果たすこと。その小さな覚悟の積み重ねが、国の背骨をつくる。

宮司は思う。これからの日本に必要なのは、怯える心ではない。怒りに任せて叫ぶ心でもない。静かに備え、明るく働き、困難が来れば腹を据えて立つ心である。艱難辛苦よ、われに来い。そう言える人間は、苦しみを好む人間ではない。苦しみさえも己を鍛える糧として受け止め、そこから人を励ます力を得ようとする人間である。

只今が、その時である。明日からではない。状況が整ってからではない。誰かが先に動いてからでもない。今日、心を整える。今日、学ぶ。今日、鍛える。今日、感謝を伝える。今日、志を立てる。その一日一日の積み重ねが、いざという時に揺るがぬ自分をつくる。

甦れ、日々をおろそかにせず、只今を整え、困難の時代にも明るく立つ日本人の心。甦れ、覚悟を恐れではなく希望に変え、次の世代へ力強く手渡していく、大和魂。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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