怨念なき決死戦。硫黄島に散った英霊の祈り

歴史を語るとき、後世の人間は、わずかな言葉で善悪を決めてしまいがちである。安全な場所から過去を裁き、当時を生きた人々の苦悩も、家族への思いも、死を前にした覚悟も見ようとしない。しかし宮司は、歴史とは年号や勝敗だけで語れるものではないと思う。その時代を生きた人々が、何を守ろうとし、何を祈り、何のために命を捧げたのか。そこまで心を寄せなければ、歴史の真実には近づけない。
昭和20年2月、米軍は硫黄島へ上陸した。守備にあたった日本軍は約2万、これに対して米軍は約6万という圧倒的な兵力と物量を投入した。米軍は短期間での制圧を想定していたが、戦いは1か月以上に及び、3月26日の最終局面まで続いた。東京から約1,200キロ離れた小さな島で、日米両軍は想像を絶する死闘を繰り広げたのである。
日本軍を指揮したのは、第109師団長の栗林忠道中将であった。栗林中将は、兵力でも兵器でも補給でも劣る中、島内に地下陣地を築き、安易な玉砕を戒め、可能な限り長く戦い続ける持久戦を選んだ。硫黄島に残る司令部壕は、今も栗林壕と呼ばれている。
宮司が胸を打たれるのは、栗林中将が最後に祖国へ送った決別の電報である。そこには、敵への憎悪を煽る言葉よりも、指揮下の将兵が最後まで戦い抜いたことへの誇り、要地を守り切れなかったことへの責任、そして祖国の安泰を願う祈りが記されている。
矢弾は尽き、水も涸れた。もはや生還の道はない。それでも、自分の命を惜しむ言葉はない。あるのは、務めを果たし切れなかった無念と、後に続く祖国への願いである。
人は、死を前にすれば、本心を隠すことができない。地位も名誉も財産も意味を失い、最後に残るのは、その人が最も大切にしてきたものだけである。
栗林中将の最後の言葉に残ったものは、私怨ではなかった。祖国への思いであり、部下への思いであり、後に生きる日本人への祈りであった。
宮司は、ここに日本人の精神を見る。
もちろん、戦争は悲惨である。多くの若者が命を失い、家族が引き裂かれ、国土が焼かれた。戦争を美化してはならない。作戦や指導に過ちがあったなら、それを検証することも必要である。しかし、戦争そのものへの批判と、その中で命を尽くした人々への敬意は、決して矛盾しない。
戦争が愚かであったからといって、戦地に立った将兵まで愚かだったことにはならない。
彼らの多くは、侵略や殺戮を楽しむために戦ったのではない。故郷に残した父母のため、妻や子のため、兄弟のため、そして自分たちの後に生きる国民のために、逃げることのできない場所で務めを果たそうとした。
宮司は思う。人間は、自分のためだけには、ここまで強くなれない。
自分1人が助かりたいという思いだけなら、恐怖に負け、逃げ出してしまうこともある。しかし、守るべき人がいると思えば、人は自分でも信じられない力を出す。愛する人の未来を守りたいという願いが、恐怖を越える勇気となる。
硫黄島の将兵を支えたのも、その思いではなかったか。
彼らの戦いは、怨念に燃えた復讐戦ではない。帰ることのできない島で、祖国と家族を思いながら、自らに与えられた務めを最後まで果たそうとした決死戦である。
敵を憎むことよりも、祖国を愛すること。命を惜しむことよりも、残される者の安寧を願うこと。そこに、英霊と呼ぶにふさわしい魂の清らかさがある。
硫黄島の戦いでは、日本軍の大半が戦死し、米軍にも極めて大きな死傷者が出た。米国側の記録や証言にも、日本軍守備隊の頑強な抵抗と戦いぶりが刻まれている。勝者と敗者という立場を越えて、死力を尽くした相手への敬意が残されたのである。
真に勇敢な者は、敵を侮らない。相手の力を認めた上で、自らの務めを果たす。米軍将兵もまた、多くの仲間を失い、恐怖と悲しみを背負った。戦場に置かれた1人ひとりに、故郷があり、家族があった。
だからこそ宮司は、戦没者を悼む心を、憎悪へ変えてはならないと思う。
英霊を敬うとは、再び戦争を起こせと叫ぶことではない。戦争の中で失われた命の重さを知り、彼らが守ろうとした祖国を、より良い国として次代へ渡すことである。
靖国神社に詣でるのも、戦争を礼賛するためではない。国のために命を捧げた人々へ感謝を申し上げ、その犠牲を無駄にしないと誓うためである。
今の日本には、食べる物があり、自由に言葉を交わし、家族と穏やかに暮らせる日常がある。その平和は、初めから当然に与えられていたものではない。数え切れない犠牲と、戦後の先人たちの努力によって築かれたものである。
過去の犠牲を忘れた国は、未来を誤る。
英霊を政治的な都合で利用してはならない。同時に、現在の価値観だけで一方的に断罪し、その尊厳まで踏みにじってもならない。必要なのは、静かに歴史と向き合い、彼らの声なき声に耳を澄ませることだ。
栗林中将は、最後まで祖国の行く末を案じた。
その願いに、今を生きる私たちは応えているだろうか。
自分の利益だけを求め、国を支えた先人を嘲り、家族や郷土のつながりを軽んじてはいないか。平和を享受しながら、その平和の礎となった人々を忘れてはいないか。
宮司は、硫黄島に散った英霊に申し上げたい。
皆様が命を懸けて守ろうとされた日本は、今もここにある。私たちは、その祈りを受け継ぎ、二度と同じ悲劇を繰り返さぬよう、強く、正しく、誇りある国を次代へ渡していかなければならない。
怨みではなく、愛するものを守るために戦った人々。
その魂は怨霊ではない。祖国を見守る英霊である。
その大恩を忘れず、感謝と慰霊の誠を捧げること。それが、今を生きる日本人の務めなのである。
合掌。
