一霊四魂に還る

人の心とは、目に見えぬ宇宙の写しである。神ながらの道を歩む者にとって、その心を正しく整えることは、天地を敬うことと同義である。宮司は吉野の山で、師である小林美元先生から幾度となく「一霊四魂」を学んだ。石笛の音が森に響くたび、天と地と人の間に流れる調和の響きを感じたことを今も忘れない。
古神道は、人の内に宿る「直霊」を、天之御中主神(あめのみなかぬし)の分け御霊として説く。この直霊が、荒御魂・和御魂・幸御魂・奇御魂の四つの働きを生み出す。すなわち、人の心とは、一霊が四魂を統べる構造を持つという。この思想は単なる観念ではなく、自然と宇宙の法則そのものである。
荒御魂の「勇」は、前へ進む力である。困難を恐れず、忍耐をもって歩み続ける力がここにある。
和御魂の「親」は、人と和し、争いを鎮める力である。思いやりと調和を尊ぶ心がここにある。
幸御魂の「愛」は、育て、包み、慈しむ力である。命を繋ぎ、世界を温める力がここにある。
奇御魂の「智」は、見抜き、悟る力である。真理を探り、光を見出す力がここにある。
これら四つの働きを導くのが「直霊」であり、人の良心であり、神と通じる一点である。直霊が曇るとき、人は迷い、怒り、貪り、妬みに支配される。直霊が清まるとき、人は穏やかにして強く、自然と調和して生きることができる。古代の人々はそのことを知っていた。だからこそ、禊ぎを重んじ、鎮魂を行い、直霊を清めることを日々の祈りとした。
現代に生きる日本人は、この「一霊四魂」を忘れつつある。合理と効率ばかりを追い、人の心がどこに向かうかを省みなくなった。だが、いま一度、この古き知恵に立ち返る時である。国を動かすのも、家庭を支えるのも、根は一つの魂にある。勇がなければ行動できず、親がなければ和せず、愛がなければ育たず、智がなければ誤る。この四魂のいずれも欠けては、人としての均衡を保てない。
禊ぎとは、水に身を委ねることではない。己の内を省み、直霊を清める行である。怒りに支配されるとき、己の荒魂を鎮める。人と争うとき、和魂を思い出す。心が冷えるとき、幸魂を呼び起こす。迷いの中にあるとき、奇魂の智を信じる。その繰り返しが、神ながらの生き方であり、魂を磨くということにほかならない。
人は生まれながらに神の分け御霊を宿す存在である。「一霊四魂」は、ただの古学ではなく、今を生きる我々の指針である。直霊を澄ませ、四魂を調え、天地自然と調和して生きるとき、国は豊かに、人は安らかになる。
日本が世界の中で真の光を放つためには、この精神の再生が欠かせない。一人ひとりの直霊が輝けば、国の魂もまた輝く。吉野の山で響いた石笛の音が、今も宮司の胸に残っている。それは、人の内に眠る神性を呼び覚ます音であり、「一霊四魂」に帰る道を示す響きである。
この道を忘れぬ限り、日本の魂は決して滅びない。
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