日本の精神こそが国を支える柱:竹田恒泰氏の提言に学ぶ

天皇家の血筋を受け継がれる竹田恒泰氏。その著書は、もはや単なる「作家」の領分に留まるものではないと、この宮司は断言する。竹田恒泰氏の深い学識と弛まぬ研究に裏打ちされた「国論」を世に問うもの。我々日本人がその精神を立ち返らせるために拝読を義務付けられた神の書である。

竹田恒泰氏が主宰される古事記、天皇、そして憲法に関する勉強会がすでに三千人もの参加者を集めるという事実は、現代日本人が真の「日本人としての誇り」と「揺るぎない真実」を渇望している動かぬ証拠であると、この宮司は拝察する。

その求心力の源泉は、竹田恒泰氏の理路整然たる論理に他ならない。竹田恒泰氏は客観的事実と主観を峻別し、その上で、ご自身の揺るぎなき主張を支えるため、客観的事実を寸分の狂いもなく、力強く展開される。この手法はまさに鮮やかの一言に尽きると、宮司は感じ入る。

批判者側のデータをも引き合いに出し、相手方の論理構造に乗った上で論破するという、竹田恒泰氏が高校時代にディベートで培われた技術。この論理の剣こそが、竹田恒泰氏の著書の説得力を支える大黒柱であると、宮司は強く確信する。

世界が認めた「日本」という名の信頼

竹田恒泰氏が最初に提示されるのは、世界が日本をどう見ているかという紛れもない事実である。

竹田恒泰氏は、最新の国際調査の厳然たる事実を提示される。たとえば、2023年に発表されたアーンホルト・イプソス社の「国別ブランド指数(NBI)」では、日本が調査開始以来初めて世界第1位に輝いたという事実である。これは、これまで6年連続で首位を守ってきたドイツを抜き、アジア太平洋地域から初の快挙である。世界から「最も尊敬される国」として選ばれた動かぬ証拠である。

数字は嘘をつかない。これは動かせない客観的事実であり、この宮司の肌感覚とも完全に一致するものである。世界は日本に対して、類を見ない好意と信頼の念を寄せている。まずは、この尊い事実を我々日本人が深く、強く認識すべき時であると、宮司は訴える。

日本固有の価値観が世界を魅了する

さらに竹田恒泰氏は、数字では捉えきれない、日本精神の「伝播の力」について言及される。

日本の漫画・アニメは、主人公が試練の中で自己を成長させていくという、極めて道徳的な骨格を持つ作品が多い。この精神性は、海を越えて世界のサッカー界に今なお影響を与え続けている。

かつて2006年FIFAワールドカップ優勝国のイタリア代表選手たちが『キャプテン翼』のファンであった事実は有名である。さらに、その中の一人であるアレッサンドロ・デル・ピエロが2011年に作者の高橋陽一と対面した際、直筆のイラストを生涯の宝物として大切にしているという事実は、この漫画が単なる一時の流行ではなく、彼らの精神の根幹を築いた教科書であることを証明している。また、イタリアのスター選手であるジェンナーロ・ガットゥーゾも熱心なファンであることを公言している。

トムとジェリーのように、成長したら物語が破綻するというような浅い話ではない。日本の文化は、その根底に常に正義を重んじ、正直で、真面目で、勤勉であるという日本人固有の美徳を内包し、それを国境を越えて人々の心に深く、静かに刻み込んでいるのであると、宮司は確信する。

瓦礫の中で「凛と輝く」大和魂

竹田恒泰氏の論の核心は、「事実の上に己の主観を混ぜる」表現の選択の妙にある。シベリア抑留という、筆舌に尽くしがたい非人道的な状況下で、二万五千人の日本人がウズベキスタンに連行された悲劇。彼らは、過酷な労働を強いられながらも、決して手抜きをすることはなかったという、誇るべき事実である。

彼らが建設したナヴォイ劇場は、その丁寧な仕事の結晶として完成した。そして、1966年のタシュケント大地震で、市内の建物の三分の二が倒壊し瓦礫の山となった中で、ナヴォイ劇場は「凛と輝いていた」と伝えられる。

物理的には瓦礫の埃の中にあったのかもしれない。竹田恒泰氏が敢えて「凛と輝く」という言葉を選ぶ。それは日本人の精神の美しさを最も正確に表現する言葉だからに他ならない。これは事実を歪めるのではなく、事実から立ち上がる最高の精神性を表現した、文句の言えないギリギリセーフの、見事な表現である。この逆境にあっても手を抜かない「大和魂」こそ、我々が今一度、胸に刻み、取り戻すべき姿であると、宮司は切望する。

日本語に宿る、神道にも通じる「いのちの感謝」

さらに竹田恒泰氏は、黒船来航後の驚異的な技術の事実を羅列した後、日本の精神性を最も深く表す「日本語の成立」へと論旨を進められる。

特に「もったいない」「いただきます」「ご馳走様でした」という食を司る言葉の語源に触れる部分は、日本人の精神を研ぎ澄ますものであると、宮司は考える。

「いただきます」とは、「あなたの生命を頂戴いたします」という、すべての野菜、肉、魚、米、生けとし生けるものの命を奪って我々が生かされていることへの、根源的な畏敬と感謝の念である。命を奪った相手に対してまず感謝を捧げる。これこそ、日本人の万物への謙虚な姿勢の表れであると、宮司は説く。

そして「ご馳走様でした」は、その頂いた生命を丹精込めて料理し、整えてくださった作り手に対する感謝の言葉である。食前食後のこの言葉にこそ、日本人の謙虚さと、万物への感謝の念が、神道の精神に通じる形で凝縮されているのである。

先日伝え聞く、どこかの常識を欠いた親が「金を払って飯を食っているのに“頂きます”とは何事だ!」と学校に怒鳴りこんだという事件。これなどは、まさに日本人が代々受け継いできたまともな日本語と歴史、そして精神を知っていれば、断じてあり得ない、常軌を逸した発言であると、宮司は糾弾する。ましてや学校側がこれに対して「やめます」などと応じることがあれば、それは日本の教育の崩壊、精神の崩壊を意味する。このような体たらくを見るにつけ、学校の先生方自体の質の低下が如何に深刻かを、宮司は痛感せざるを得ないのである。

竹田恒泰氏の論は、客観的事実と論理を駆使して、最終的にこの「日本語に宿る、いのちへの感謝」という、日本人の最も大切な精神のあり方へと我々を立ち返らせてくれるのである。

世界から勤勉さ、正直さ、そして謙虚な美意識で評価されているという厳然たる事実を、現代の日本人は今一度、しっかりと心に刻み、そして日々、その精神を研ぎ澄まさねばならない。失われつつある「まともな日本語」と、その言葉の根底にある「日本の精神」を力強く取り戻すことこそ、現代の我々が今、為すべき最大の使命であると、この宮司は神前で誓う。

\ 【PR】Amazon /

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

目次