胆力を鍛えるということ

宮司が若き日に関わった大阪府警レンジャー部隊の訓練は、人命救助を目的とした極めて実践的なものであった。警察、消防、自衛隊にそれぞれ存在するレンジャーの中でも、府警のそれは災害や事故の現場において一瞬の判断が生死を分ける現実に直面する部隊である。そこで最も重んじられたのは体力以上に「胆力」であった。
胆力とは単なる勇敢さではない。恐怖を感じないことでもない。恐怖を感じながらも、なお一歩を踏み出すための心の力である。知識や技術が十分であっても、決断できなければ人は救えない。その最後の一歩を支えるものが胆力である。
大阪城の堀に張られた一本のロープを渡る訓練があった。途中で必ず手を放し、宙に身を投じる。命綱があることは分かっている。それでも人の本能は、手を離すことを拒む。初心者は特にそうである。声を張り上げ、「ファイト、ファイト」と叫びながら、一本ずつ指を離していく。そして最後に残る一本の指。その指を離す瞬間に求められるのが決断力である。
この訓練が教えるのは、理屈ではない。安全だと理解していても、身体はためらう。そのためらいを超えて身体を動かす経験を重ねることで、人は初めて非常時に動けるようになる。頭で考えた答えと、現場で下す判断との間には大きな隔たりがある。その隔たりを埋めるものこそ胆力である。
やがて訓練を重ねた隊員の心には、一つの癖が生まれる。困難に直面した時、心の中で自然と「ファイト、ファイト」と声が上がる。恐怖を消すのではなく、恐怖を抱えたまま前へ進むための合言葉である。人生においても同じである。迷い、立ち止まりそうになる時、人は最後の一本の指を離せずにいる。その時にこそ胆力が試される。
宮司は、この経験を通じて、人としての成熟には段階があることを深く学んだ。知識は本を読み、人の話を聞けば身につく。しかし知識だけでは現実の複雑さに対応できない。知識が人格や体験を通して練られたものが見識であり、見識は判断力となって表れる。だが見識があっても、実行に移せなければ意味をなさない。
最後に必要となるのが胆識である。胆識とは、肝の据わった実践的な判断力である。反対や圧力があっても、自らが正しいと信じる道を選び、貫く力である。困難な現実に直面した時、言い訳や躊躇を排し、断乎として踏み出す力が胆識である。
この胆識は、机上では養われない。現場での体験、失敗、恐怖との対峙を通してのみ培われる。日本の歴史を振り返れば、この胆識を備えた人々が幾度となく国難を乗り越えてきた。名を残した者ばかりではない。名もなき人々が、それぞれの立場で最後の一本の指を離し、責任を引き受けてきた積み重ねが、今日の日本を形作っている。
現代は情報にあふれ、知識を得ることは容易になった。しかし、決断を先送りし、責任を避ける風潮もまた強まっているように見える。だからこそ、今あらためて胆力を鍛える意義がある。困難から逃げず、恐れを抱えたまま一歩を踏み出す心を次の世代に伝えていくことが、今を生きる者の務めである。
宮司がレンジャー部隊の訓練で学んだものは、特別な世界の話ではない。日々の生活の中で、家族のため、社会のため、地域のために決断を重ねる一人一人に通じる教えである。静かであっても揺るがぬ心、逆境にあっても退かぬ姿勢、その積み重ねこそが、日本人の精神を磨き、未来へと手渡していく力になると、宮司は確信している。
