偶然を学びによって必然へと昇華する道

偶然・当然・必然という言葉がある。人は多くの場合、自らの人生を偶然の連なりとして受け止めがちである。しかし、ある時点を境に、その認識は静かに、しかし決定的に変わることがある。

宮司にとって、その転機は若き日に三輪の地で安岡正篤師父の講話に接した体験であった。三輪大神神社という、日本精神の深層に連なる場所で発せられた言葉は、単なる知識や思想ではなく、身体の奥深くにまで響く力をもって迫ってきた。整った所作、澄み切った声、何一つ手元を見ることなく語られる年号や書名。そのすべてが、学識を超えた「生き方」として立ち現れていた。

人は何を知ったかではなく、何をなしたかで問われる。安岡師父が繰り返し説いたこの言葉は、時代を越えて重みを失わない。知識を蓄えることに満足し、理解したつもりで立ち止まる姿勢は、やがて思索を空転させ、現実から遊離させる。学びとは、本来、生きた現場において試され、磨かれ、初めて血肉となるものである。

宮司はその教えを胸に刻み、警察官としての歩みを経て、神に仕える道へと進んだ。その道筋は、後から振り返れば不思議なほど一貫している。外から見れば思いがけぬ転身に映るかもしれない。しかし、内側から見れば、それは自然な流れであり、避けがたい帰結であった。偶然に見える出来事が、学びによって意味を帯び、やがて当然となり、さらに必然として受け止められるようになる。その過程こそが、人が人生を深めていく道であろう。

三輪の地は、古来より修験の歴史を宿してきた。役の小角に始まる修験の系譜は、苦修を通して己を磨き、心を明らかにし、人を救うことを志としてきた。山に籠もること自体が目的ではない。自らを厳しく整え、その力を世に還すことに意味があった。国家が揺らぐときには護りに立ち、平時には祈りによって人々の暮らしを支えた。その姿勢は、時代が変わっても色褪せることはない。

現代は情報が氾濫し、意見が分断され、不安と怒りが拡散しやすい時代である。声高な主張や即時の成果が求められる一方で、静かに己を省み、足元を確かめる時間は削られがちである。だからこそ今、求められるのは、外に向かって争う力ではなく、内を整え、調和を生み出す力である。

日本の文化は、自然と人とを切り離さず、対立するものを包み込みながら全体として生かす方向へと進んできた。文字、衣食住、信仰に至るまで、その根底には、矛盾を矛盾のまま抱え込み、時間をかけて和していく感性が息づいている。神道が特定の教義を掲げず、「生きること」そのものを尊ぶ道として続いてきたのも、その表れであろう。

宮司は、神に仕える立場として、教えを声高に説くよりも、日々の祭祀と所作を通して、その姿勢を示すことを大切にしてきた。雪の降る月次祭であれ、静かな朝の拝礼であれ、今この時に心を澄ませ、目の前の務めに全力を注ぐ。その積み重ねが、人の心を整え、次の世代へと見えない力を手渡していく。

学びとは、知識を誇ることではなく、身をもって示すことである。行動なき理解は空しく、実践なき理想は力を持たない。安岡師父の叱咤は、今もなお胸の奥で響き続けている。素心であれという言葉は、飾らず、驕らず、為すべきことを為す覚悟を問い続ける。

偶然に見える出会いも、学びを通して意味を持ち、人生の軸となる。その軸を失わずに歩むとき、人は時代の混沌に呑み込まれることなく、静かに、しかし確かに周囲を照らす存在となる。未来を担う人々が、自らの内にある力に気づき、それを磨き続けること。それこそが、次の時代を支える礎となるであろう。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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