この話は、内緒の話としてここに記しておく。世間に広める類のものではない。
ひそひそ話の噂のようなものであり、真偽の境目もあいまいな、そんな話である。
それでも、人の心の弱さや、思い込みの怖さを考えるうえで、無駄ではない話だと思い、あえて書き残す。
ある日の早朝、激しい雨が降っていた。神社の朝は早い。
境内には、まだ人影もなく、鳥の声も雨にかき消されていた。
宮司がいつものように表門を開けると、そこに一人の女性が立っていた。
傘もささず、全身ずぶ濡れで、靴も履かずに裸足のまま佇んでいる。
年の頃は四十代前半ほどに見え、長い髪が雨に濡れて顔に張り付いていた。
足には擦り傷があり、白い脛に血がにじんでいた。
「どうされましたか。大丈夫ですか」
そう声をかけても、女性はうつむいたまま、言葉を返さない。
社務所に案内し、消毒をし、温かいお茶を出し、タオルを渡した。
着替えも用意し、ひとまず身体を温めてもらった。
少し落ち着いたところで、思い切って尋ねた。
「死ぬつもりだったのではないですか」
女性は堰を切ったように泣き出し、ぽつりぽつりと語り始めた。
山中の静かな場所で首を吊ろうとしたこと。
けれど、幼い子どもの顔が浮かび、踏み切れなかったこと。
誰にも相談できず、行き場もなく、気がつけばこの神社の前に立っていたこと。
子どもの存在が、命をつなぎとめた。その事実だけでも、十分に尊い。
「これからは、子どものために、生きる覚悟をしてください」
そう伝えた。
夜は必ず明けること。どんなに深い闇に思えても、朝は来ること。
生きていれば、必ず何かが変わる余地があること。
それらを、何度も繰り返して言葉にした。
女性は、自らの生い立ちや、現在の境遇も語った。
海外で子どもと暮らしていること。
子どもの父親との関係が断たれ、経済的にも精神的にも追い詰められていること。
過去の仕事のこと。誰にも言えない事情を抱え、孤独の中に沈んでいたこと。
話を聞きながら、胸の奥に重たいものが溜まっていくのを感じた。
大人の都合で生まれてきた命が、また別の苦しみを背負わされる現実。
「子どもを授かった以上、逃げることは許されません」
そう伝え、自分の力で子どもを守り育ててほしいと願いを込めた。
最後に名刺を渡し、また苦しくなったら、いつでも来るようにと伝えて見送った。
その夜、境内の外で消防車のサイレンが鳴り響いた。胸騒ぎがした。
ほどなく駐在所の警察官が訪ねてきて、署まで同行してほしいと言われた。
案内されたのは、亡くなった方を安置する部屋だった。
首を吊った女性が見つかり、その所持品の中に神社の名刺があったという。
確認してほしいという要請だった。
白布が静かにめくられた瞬間、言葉を失った。
そこに横たわっていたのは、朝に出会った女性とは明らかに別人だった。
年齢も顔立ちも違い、白髪が目立つ高齢の女性だった。
警察官も首をかしげる。
「では、なぜこの名刺を持っていたのでしょうか」
理由は分からない。
ただ、朝の女性とは別人であることは間違いなかった。
決め手となる特徴を問われ、歯がきれいだったことを伝えた。
ところが、亡くなった女性の口の中には、歯が一本も残っていなかった。
その場にいた全員が、一瞬、言葉を失った。
深刻な場面でありながら、どこか拍子抜けするような、奇妙な空気が流れた。
ここまで読んで、何かおかしいと感じた人もいるだろう。
実はこの話、最後に落ちが仕込まれている。
「歯がないから、本当のはなし(歯なし)」
つまり、本当に歯がない話し。本当のは(歯)なし。
昔から語られる、いわば古典的な語呂合わせである。
命の話を装いながら、最後に肩透かしを食らわせる。不謹慎だと感じる人もいるかもしれない。
それでも、この話が長く語り継がれてきたのは、人がどれほど簡単に物語に引き込まれ、
感情を預けてしまうかを示しているからだ。
令和の時代、情報は一瞬で広がる。
真実と虚構の境目は、かつてよりも見えにくい。
感情を揺さぶる話ほど、疑う前に信じてしまいがちである。
涙を誘う話、怒りをかき立てる話ほど、立ち止まって確かめる必要がある。
命の重さを語る話でさえ、仕掛け次第で「作り話」になり得る。
だからこそ、目の前の出来事をどう受け止めるか、
どの情報を信じるか、その姿勢が問われる時代である。
最後まで読んだ人は、忍耐強い人だろう。
同時に、物語に心を預けやすい優しい人でもある。
その優しさは大切にしてほしい。
ただし、優しさの上に、ほんの少しの疑いと確かめる力を添えてほしい。
それが、令和の時代を生きるための、ひとつの心得である。