逆境を愛する心。あるがままに生きる日本の哲学

人の一生に、嵐の日がないことはない。思いがけぬ不運に打ちのめされ、懸命に積み上げてきたものが音を立てて崩れる夜がある。そのような時、人は二通りの道に立つ。逆境を呪い、運命を恨んで立ち竦むか、あるがままを受け入れ、静かに立ち直るかだ。宮司は後者の道に、日本人本来の精神の強さを見る。逆境の時は逆境を受け入れ愛し、順境の時は順境を愛す。この境地に至った者だけが、真の意味で自由に生きることができる。

自然は、人間の都合に合わせて動かない。雨の日に「晴れよ」と叫んでも空は晴れず、冬の寒さに「暖まれ」と念じても霜は降りる。日本人の祖先は、その大いなる自然の前に膝を折り、逆らわず、受け入れ、それを糧として生きる術を磨いてきた。宮司は、日本の風土が育んだこの「あるがままを愛する心」が、現代に最も必要とされる精神の形だと考えている。自然には勝てない、自然には逆らわない。この謙虚さの中にこそ、人間の本来の強さが宿る。

佐藤一斎先生は「春風を以て人に接し、秋霜を以て自らを粛す」と教えた。他者に対しては春の温風のように柔らかく接し、自分自身に対しては秋の霜のように厳しく向き合う。この言葉の中には、逆境においても他者を責めず、己の歩みを問い直すという深い知恵が込められている。人は、困難に直面した時にこそ、その人間の本質が露わになる。逆境をどう受け止めるかが、その人の魂の深さを映し出す鏡だ。

「人間は宇宙の塵である」という自覚が、傲慢さを洗い流す。どれほど地位や名声を積み上げても、大宇宙の中では一粒の砂に過ぎない。この自覚に至ったとき、人は初めて逆境を恨むことをやめ、静かに受け入れることができる。宮司は、この謙虚さの中に、人間が本来持っている神性の輝きを見る。傲慢な者には逆境が破滅をもたらすが、謙虚な者には逆境が磨きをかける砥石となる。

今日も生かせていただいているという感謝の心こそが、あるがままを愛する入口だ。命があること、今日という日があること、この空があること。すべてを当たり前と思わず、神様から贈られたものとして受け取るとき、人は逆境の中にも静かな喜びを見出すことができる。宮司は、この心の在り方を次世代の日本人に伝え続けたい。逆境を愛する魂の強さこそ、大和魂の真髄に他ならない。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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