万世一系の誇り。令和の御代に日本人として思うこと

日本人に生まれたことを、宮司はあらためて誇りに思う。この国には、世界のいかなる民族も持ちえない、尊く稀有な精神の根がある。その根の一つが、天皇陛下の御存在である。
神武天皇の御即位より数えて、今上陛下は第126代にあたられる。万世一系という言葉は、単なる歴史的な叙述ではない。それは、天地開闢より連綿と流れる神の御心が、一筋の血脈を通じてこの国土に宿り続けているという、深く静かな事実を指している。
宮司は、日本には世界に誇るべきものが3つあると考えている。第一は、千数百年を超えて一系に連なる天皇陛下の御存在である。第二は、日の丸、すなわち日本の国旗のもつ清冽な美しさである。白地に赤く映ゆる太陽は、余計な飾りを一切持たず、この国の本質を静かに、しかし力強く示している。第三は、君が代である。千代に八千代にという言葉が示す通り、悠久の歳月を見据えながらも、優雅で気品に満ちたこの国歌には、日本人の深い精神性が凝縮されている。
令和の御代に入り、宮司の胸にあらためて浮かぶのは、この伝統の重みである。上皇陛下が御退位され、今上陛下が御即位された令和という時代は、連続と継承の尊さを世界に示した歴史的な瞬間であった。外国の王室がいかに栄え、いかに途絶えたかを振り返るとき、日本の皇室がいかに奇跡的な存在であるかが、改めて浮かび上がる。
わが国の国民はそれぞれ、先祖を25代さかのぼれば、必ず天皇陛下と血のつながりがあるといわれている。これは伝説でも誇張でもない。それほどに、天皇という御存在はこの民族の根幹に根ざしており、日本人の魂の中に深く溶け込んでいる。宮司の家では、床の間に歴代天皇の御真影を奉っている。それは信仰の表れではなく、祖先への感謝と、この血脈への畏敬の念を日常に刻みつけるための、静かな実践である。
神武天皇の紀元より続く「天壌無窮」の詔勅は、今もこの国の空気の中に生きている。弥榮、弥榮、弥榮という言葉の響きは、千年の時を超えて、日本人の血の中に宿っている。それを思うとき、宮司は日本人に生まれたことの、何という恵みであるかと、静かに胸の奥で手を合わせたくなる。
令和の世は、便利さと変化の速さの中で、多くの人がこの根を忘れかけている時代でもある。西洋の価値観が流れ込み、歴史を「古くさいもの」として遠ざけようとする風潮も確かにある。しかし、どれほど時代が変わろうとも、日本人の魂の根は変わらない。それはこの国土に刻まれた記憶であり、天皇陛下という御存在を中心に結び合ってきた、民族の精神の絆である。
宮司は、今の日本に必要なのは、外に向かって声高に誇示することではなく、内を静かに見つめ直す力だと考えている。自分たちがいかなる先人の積み重ねの上に立っているか、いかなる伝統の恩恵を受けているかを、静かに思い起こすこと。それが出発点である。
日本人として生まれ、天皇陛下の御存在とともに生きるということは、ただそれだけで、深い意味と尊厳を持っている。宮司はその事実を、この国の空の下で、長野の山里の風の中で、社に向かって手を合わせるたびに、あらためて噛みしめている。
