そばにいるだけで心が整う人へ

5月の風は清々しい。新緑の山々を吹き抜け、田んぼの水面を波立たせ、人の心までも洗い清めるようだ。この季節、宮司は思う。人の世には、そばにいるだけで心が落ち着く人がいるということを。ことばを多く必要としない。その人が傍にいるというだけで、時間の質が変わり、思い迷いが静まり、人生の進むべき道が静かに浮かぶ。宮司は、そうした人間になりたいと、長く願ってきた。

では、そうした「そばにいるだけで心が整う人」とは、いかなる人物だろうか。

それは、いつの間にか、日本人が失いかけていた人間の本質である。

令和の時代は、情報が満ちあふれ、評価が一瞬で下される。人は他者の言葉に揺らぎ、社会の声に右往左往する。5月の初夏であっても、その喧騒の中では人の心は落ち着かない。その中にあって、自分の芯を持つことがいかに難しいか。

自分の心に嘘をつかない人。飾らず、背伸びせず、あるがままで立つ人。そうした人は、周囲に無言の説得力を与える。その人がいるだけで、人々の心が整い、思い迷いが晴れていく。それは五月晴れのように、澄み渡った心をもたらす。

古より日本人は、そうした人間を敬った。義を見てなさざるは勇なき也と申した吉田松陰しかり、身を以て職をなすという南洲翁しかり。彼らの共通点は、世間の評判に左右されず、自らの信ずるところに従った。自分の人生という舞台で、堂々と役を演ずる。その姿勢が、後の世まで多くの者の心を打つ。

そばにいたくなる人とは、そうした「自らの歩む道を知る人」である。自分が何であるかを知り、何をすべきかを知り、ただただそれに従う。その潔さが、周囲に静謐さをもたらす。新緑の山のように、力強くありながらも、一切の虚飾がない。

人は、流した涙の数だけ、やさしくなれるのである。悲しみや苦しみを知った者は、他者の痛みを我が事として感じ取ることができる。それは学びではなく、体験がもたらす深い智恵である。その深さがあれば、たとえこの季節の激しい雨の日にも、人は自らの歩みを止めることなく進むことができる。

苦しみを極めたとき、人は初めて何が本当に大切であるかを知る。余分な装いが落ちて、心がシンプルになる。その時、人間の真の姿が浮かぶ。五月の雨も、田の稲を潤すためにある。人の苦しみもまた、心を深める雨なのだ。

吉野の桜は春に咲く。しかし、桜が咲く心は、常に変わらない。人が見ているからきれいに咲くのではない。人が見ていなくても、同じ心で咲く。裏表がない。当たり前のことを、当たり前のようになす。新緑に包まれた山の中でも、その奥に、人間の修行の最高の姿がある。

柳は緑、花は紅。自然がそこにあるように、人間もただそこにあるべき。派手な言葉は不要である。静かに、自分の道を歩む。五月の風に身を任せるように、自然に自分の役割を果たす。それが他者にとって、最も深い指針となる。

人が微笑むと、相手もまた微笑む。花が開くと、蝶は自ずと集まる。これが「あるがままの力」である。人間関係も、人生も、この原理に従う。新緑の季節だからこそ、その力強さと清廉さを同時に体現することができるのだ。

令和の日本が進むべき道も、また同じである。ことばで叫ぶのではなく、心で示す。派手な戦略ではなく、地道な歩みが、やがて大きな流れとなる。五月の初夏の風のように、静かに、しかし確かに、日本の精神を甦らせるのだ。

そばにいるだけで、心が「なごむ」人になりたい。あたたかい。そう感じさせる存在になりたい。

そのためには、自分自身の心を磨き続けることである。毎日、毎時、自分と向き合い、自分の言葉と行動に嘘がないか問い続ける。その積み重ねが、初めて他者を感動させる。春から初夏への季節の移ろいの中で、自分自身も変わっていく。その変化の中に、真の成長がある。

人生は修行である。その修行の果てに、はじめて「そばにいたくなる人」となるのだ。

宮司は今日も、5月の山里の社で、清々しい風に身を任せながら思う。自分の心を磨く。自分の足場を確かめる。その時間の積み重ねが、やがて周囲を温かく包み込む力になるのだろうと。新緑に包まれ、五月晴れに照らされて。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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