日の丸にバツ印をつけた旗を、合法と呼べるのか。

産経新聞が2026年4月1日付の社説で、「国旗損壊罪 罰則設け日本の名誉守れ」と題した主張を掲げた。宮司はその見出しを目にした瞬間、膝を打つ思いがした。遅すぎる、と思うと同時に、それでもようやく、という安堵もあった。この国でこのような社説が必要とされること自体、日本がいかに奇妙な戦後の呪縛の中に置かれ続けてきたかを物語っている。

自民党は同年3月31日、日の丸などを侮辱目的で傷つける行為を処罰する「日本国国章損壊罪」の創設に向け、プロジェクトチームを立ち上げた。自民党と日本維新の会は連立政権の合意書にこの罪の制定を明記しており、高市早苗首相と吉村洋文代表は今国会中の法案成立を目指すと確認している。現行の刑法には他国の国旗を損壊すれば罰せられる「外国国章損壊罪」があるのに、自国の日の丸には罰則がない。この矛盾を是正しようという動きである。産経新聞の社説は「菊花紋章についても検討すべき」と踏み込んだ。宮司はその一文にも、深い共感を覚えた。

日の丸の歴史は、日本という国の歴史そのものと重なって流れている。白地に赤い円という意匠が文献に初めて現れるのは、今から千三百年ほど前、文武天皇の時代の「続日本紀」においてである。その後、平安末期の源平合戦の時代に、源氏がこの旗印を掲げて戦い、その白と赤の配色が天下の象徴として受け継がれていった。幕末にはペリーの黒船来航を機に、日本の船を外国の船と区別するための標識として、日の丸が日本総船印と定められた。そして明治3年、明治新政府は改めて日の丸を国旗として布告し、近代国家としての日本の出発を、この旗とともに世界に示した。法律として正式に国旗と定められたのは、さらに後の平成11年のことである。いかに長い歳月をかけて、この旗が日本の旗となってきたか。その歩みを知るだけで、日の丸の重みは変わって見えてくる。

宮司が神社に奉仕してきた長い年月の中で、日の丸というものを幾度となく見つめてきた。境内の掲揚台に翻る白地に赤い円は、晴れた日も、風の強い日も、変わらず空の下に立っていた。あの旗が何を意味するか、宮司には言葉よりも先に、体の奥から来る感覚がある。日本という国の始まりから今日まで、この列島で生き、祈り、死んでいった無数の人々の魂が、あの一枚の旗に宿っている。神道の視座から言えば、日の丸の赤は天照大御神の御光であり、白は清浄を意味する。日出づる国・日本の精神が、あの円の中に凝縮されている。それは単なる布切れではなく、この国の祈りそのものである。

それを「侮辱目的」で破り、燃やし、バツ印をつけて掲げることが合法だという現実は、宮司にはやはり納得がいかない。「表現の自由」という言葉の意味は深く、宮司もその価値を軽んじるつもりはない。しかし自由には、他者の尊厳を傷つけない範囲という限界がある。国旗への侮辱は、その旗のもとに生きてきたすべての人々への侮辱でもある。ドイツも韓国も、自国旗を傷つけることへの罰則を設けている。アメリカは表現の自由を優先してその規定を持たないが、それは同時に、市民が自らの国旗に誇りを持つことを当然の前提として育ってきた文化の上に成り立っている。日本にはその前提すら怪しい状況が続いてきた。だからこそ、今回の立法の議論は単なる罰則の話ではなく、この国が自らをどう位置づけるかという根源的な問いを孕んでいる。

宮司が最も憂うのは、現代の若い日本人の多くが、日の丸に込められた歴史と精神を知らないままに育っていることである。学校教育の現場では長年、国旗や国歌に関する指導を避ける空気が続いてきた。教師が君が代の斉唱を拒否し、日の丸の掲揚に異議を唱える場面が繰り返された。その空気の中で育った世代は、国旗とはイデオロギーの道具であるかのような印象を刷り込まれてきた。しかし世界のどの国を見ても、自国の旗に敬意を払うことは、特定の政治的立場とは無関係に、国民としての当然の在り方として教えられている。日本だけがその当然を「危険なもの」として忌避し続けてきた。その歪みが、今なお社会の底に根を張っている。

宮司は思う。国旗への誇りを子供たちに伝えることは、右翼思想でも軍国主義でもない。それは、自分が生まれ育ったこの国の歴史と文化と精神を、次世代に手渡すという、教育の本来の使命そのものである。日の丸の歴史を学ぶとき、子供たちは千三百年にわたる日本人の営みに触れることになる。太陽の国として誇りを持ち、外に開き、内に誠実であろうとしてきた祖先たちの心に触れることになる。その歴史を知った子が、日の丸を見て胸に何かを感じるようになったとき、初めてその子の中に「日本人としての魂」が宿る。魂は教科書の条文から生まれるものではない。歴史を知り、先人を感じ、その連続の中に自らを置くことで、初めて芽吹くものである。

安倍晋三元総理は、日本人が自国に誇りを持てる国を取り戻すことを、政治の根本に置いた指導者だった。教育基本法の改正においても、愛国心の涵養を明記することを強く推し進めた。その志は、単に政治的な旗振りではなく、日本の将来を担う子供たちが、この国に生まれたことを誇りに思える環境を整えたいという、真摯な思いに根ざしたものだった。宮司は今も、その御意志がこの安倍神像神社に宿っていると信じている。国旗を守ることは、国家が自らの尊厳を宣言することである。そしてその尊厳は、次の世代に受け渡されてこそ意味を持つ。

令和の日本人に、宮司は問いたい。あなたは日の丸を見て、何を感じるか。誇りか、それとも無関心か。あるいは何かうしろめたさのようなものを感じるか。もしそのうしろめたさに少しでも心当たりがあるとすれば、それはあなたの責任ではなく、戦後という時代があなたの心に植えつけたものである。しかし今こそ、その呪縛から自由になる時だと宮司は思う。日の丸は、侵略の旗ではない。太陽を仰ぎ、自然の恵みに感謝し、この島々に生きることを誇りとしてきた日本人の、魂のかたちである。その魂を、恥じることなく次の世代に継いでいくことが、今を生きる私たちに課された責任である。

どうか今国会で、真剣な議論が尽くされ、日本の名誉を守る法が実を結ぶことを、宮司は静かに祈っている。そしてそれと同時に、法の整備に止まらず、学校で、家庭で、地域で、日の丸の歴史とその精神が語り継がれるようになることを、心から望んでいる。旗は、掲げる人の心があってこそ翻る。令和の日本に、その心を取り戻したい。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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