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国旗、皇室の祈り、和紙、日本茶など、日本の文化を身近に感じられる品をご案内します。

国旗

日本製の日の丸

軽く、しわになりにくい生地を用いた日本製の国旗です。家庭や事業所での掲揚に。

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皇室・祭祀

『宮中祭祀―連綿と続く天皇の祈り』

天皇の祈りと宮中祭祀について学び、日本の伝統への理解を深めるための一冊です。

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日本茶・海苔

山本山オンラインショップ

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江戸の文化と味を未来へ

日本製・越前和紙の御朱印帳

ちりめん生地と越前和紙を用いた、日本製の御朱印帳です。参拝の記録を大切に残す一冊として。

世を捨つる人はまことに捨つるかは。西行の二十二歳が、令和の若者に問うもの

机の前で、ひたすら画面を見つめる若者がいる。指は休む間もなく動き、目には次々と新しい言葉や映像が流れ込んでくる。けれども、見終わったあとに残るものは、いつも同じ、淡い疲労感だけ。何かが欲しい、何かが足りない、それが何なのかも分からぬまま、また画面に手を伸ばす。今、この国の若者の多くが、こうした夜を繰り返している。宮司はそのことを、深く憂えている。

魂が満たされぬのは、情報が足りぬからではない。むしろ逆である。心の井戸は、雑多な水を注ぎ込まれ過ぎて、もはや何が清水で何が濁りなのか分からなくなっている。心が定まらぬのだ。一つのものを真っ直ぐに見つめ、一つのものに命を懸ける、その姿勢が、いつの間にか「古臭いもの」とされてしまった。けれども、心の根を持たぬ者は、どれほど情報を浴びても、ついに何者にもなれぬ。

ここに、八百年以上前、二十二歳の若さで全てを捨てた男がいる。名を佐藤義清(のりきよ)。後の西行である。

西行は、藤原鎌足の血を引く名門の武士の家に生まれた。十七歳で兵衛尉となり、御所の北側を警護する精鋭部隊「北面の武士」に抜擢される。同僚には、後に天下を動かすことになる同い年の平清盛がいた。北面の武士は、ただの兵ではない。容姿、家柄、文武の才、その全てを問われる、当代きっての花形であった。義清は流鏑馬の達人であり、蹴鞠の名手でもあり、歌においては既に都に名声を得ていた。彼の前には、地位も名誉も富も、約束された未来として開けていた。

その全てを、彼は捨てた。

PR:西行の生涯は、ただ世を捨てた人の物語ではない。若き日の決断、歌、祈りをたどり、令和の若者が己の道を考える手がかりとしたい。
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保延六年、西暦千百四十年、義清は妻子と別れ、頭を丸めて山に入った。法号を「西行」と名乗った。出家の理由は今に至るまで諸説あり、最も近かった友人の急死、政争への失望、仏道への純粋な渇望、いずれも語られる。けれども宮司は、長年の祈りの中で、その奥にあったものは、ただ一つ、「恋」であったと信じている。鳥羽院の妃・待賢門院との許されぬ一夜。「逢い続ければ人の噂にのぼります」と、ただそれだけを告げて遠ざかった高貴な女性。西行のその後の歌に、これほど月と花に託された一途な恋の歌が満ち満ちている事実を、宮司は他にどう説明することができない。

嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな

月のせいで嘆くわけではない。心が嘆いているのだ。月は、ただ、その嘆きを映す鏡に過ぎぬ。涙が月のせいだという顔をしているのは、我ながら愚かしいことだ。これを詠んだのは、北面の武士の華やかな世界を捨て、ただ独り山中に庵を結んだ男である。世間の目から見れば、この涙は、彼が出家に「失敗」した証のように映るかもしれぬ。けれども西行は、別の歌で、はっきりとこう言い切っている。

世を捨つる 人はまことに 捨つるかは 捨てぬ人をぞ 捨つるとはいふ

世を捨てた者が真に世を捨てているのではない。世の中の流れに呑まれて、自分の魂を捨てて生きている者こそが、真に「世を捨てた」者なのだ、と。この一首こそ、西行が令和の若者に最も伝えたかった言葉ではないか、と宮司は思う。

宮司は長年、世界遺産・吉水神社の宮司として、吉野の山と共に生きてきた。吉野は、西行が後半生の魂のふるさととした地である。彼の歌の中に幾度となく現れる「吉野山」の三文字は、観光地としての山ではない。一人の男が、自分の心を磨くために選び抜いた、聖なる修行の場であった。

吉野山 梢の花を 見し日より 心は身にも そはずなりにき

吉野山の梢に咲く花を見たあの日から、私の心は、もはや私自身のものではなくなってしまった。心ははるか彼方の何かに奪われ、戻ってこない。これは恋の歌のようにも読めるし、悟りの歌のようにも読める。けれども確かなことは、西行は二十二歳のあの決断以来、生涯にわたって、ただ一つのものを見つめ続けたということだ。誰もが見過ごす一輪の花、誰もが見上げては忘れる一夜の月。彼はそれらの中に、宇宙の真実を見ようとした。一途であった。

願わくは 花のもとにて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ

願わくば、花の下で、釈迦の入滅された二月の満月の頃に、死にたい。実際、西行はこの歌の通り、文治六年二月十六日、満月のもと、河内の弘川寺で世を去ったと伝わる。詠んだ通りに死ねた男。これは偶然ではない。一つのことを生涯思い続けた者にだけ訪れる、最後の祝福である。

令和の若者は、人生で何度も道を選ぶ場面に立たされる。進学、就職、結婚、転職。そのたびに、彼らは「世間の目」を気にする。親が、先生が、世論が、流行が、何を是とするか。それを物差しにして決めようとする。だが、宮司はこう問いたい。それで本当に、君は君の人生を生きているのか、と。西行は、二十二歳で問うた。「世」とは何か、「私」とは何か。そして彼は、世間の物差しを全て捨てた。捨てた後に彼の前に開けたのは、千年消えぬ歌の世界であった。新古今和歌集には、彼の歌が最も多く、九十四首も選ばれている。捨てた者にしか掴めぬものが、確かにある。

日本人の心を磨くとは、新しい何かを身につけることではない。本来、自分の中に既にあるものを、覆っていた埃を払い、磨き上げることだ。西行が一輪の花を何時間も見つめ続けたように、和歌一首に三日三晩を費やしたように、一つのことを深く、一途に見つめる力。それこそが、千年の日本人を支えてきた魂の構えである。

画面を閉じよ。一度でよい、画面を閉じて、自分の胸の中の音に耳を澄ませてみよ。

そこに、まだ消えずに残っている、小さな種がある。先祖から受け継いだ、大和心の種である。西行が二十二歳で耕し始めた畑と、地続きの、同じ畑の種である。それを育てるか、忘れたまま枯らすか。問われているのは、令和の若者一人一人の覚悟である。

宮司の姓もまた、佐藤である。義清の佐藤と、宮司の佐藤。直接の血の繋がりは知る由もないが、八百余年の時を超えて、同じ姓を名乗る者として、宮司は西行の歌を口ずさむたびに、深い縁を感じずにはいられない。日本という国は、こうした見えぬ糸で、過去と現在を、ひそかに結び続けている。その糸を握り直すか、断ち切るか。手の中にあるのは、いつも、若き日本人の手のひらである。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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