机の前で、ひたすら画面を見つめる若者がいる。指は休む間もなく動き、目には次々と新しい言葉や映像が流れ込んでくる。けれども、見終わったあとに残るものは、いつも同じ、淡い疲労感だけ。何かが欲しい、何かが足りない、それが何なのかも分からぬまま、また画面に手を伸ばす。今、この国の若者の多くが、こうした夜を繰り返している。宮司はそのことを、深く憂えている。
魂が満たされぬのは、情報が足りぬからではない。むしろ逆である。心の井戸は、雑多な水を注ぎ込まれ過ぎて、もはや何が清水で何が濁りなのか分からなくなっている。心が定まらぬのだ。一つのものを真っ直ぐに見つめ、一つのものに命を懸ける、その姿勢が、いつの間にか「古臭いもの」とされてしまった。けれども、心の根を持たぬ者は、どれほど情報を浴びても、ついに何者にもなれぬ。
ここに、八百年以上前、二十二歳の若さで全てを捨てた男がいる。名を佐藤義清(のりきよ)。後の西行である。
西行は、藤原鎌足の血を引く名門の武士の家に生まれた。十七歳で兵衛尉となり、御所の北側を警護する精鋭部隊「北面の武士」に抜擢される。同僚には、後に天下を動かすことになる同い年の平清盛がいた。北面の武士は、ただの兵ではない。容姿、家柄、文武の才、その全てを問われる、当代きっての花形であった。義清は流鏑馬の達人であり、蹴鞠の名手でもあり、歌においては既に都に名声を得ていた。彼の前には、地位も名誉も富も、約束された未来として開けていた。
その全てを、彼は捨てた。
保延六年、西暦千百四十年、義清は妻子と別れ、頭を丸めて山に入った。法号を「西行」と名乗った。出家の理由は今に至るまで諸説あり、最も近かった友人の急死、政争への失望、仏道への純粋な渇望、いずれも語られる。けれども宮司は、長年の祈りの中で、その奥にあったものは、ただ一つ、「恋」であったと信じている。鳥羽院の妃・待賢門院との許されぬ一夜。「逢い続ければ人の噂にのぼります」と、ただそれだけを告げて遠ざかった高貴な女性。西行のその後の歌に、これほど月と花に託された一途な恋の歌が満ち満ちている事実を、宮司は他にどう説明することができない。
嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな
月のせいで嘆くわけではない。心が嘆いているのだ。月は、ただ、その嘆きを映す鏡に過ぎぬ。涙が月のせいだという顔をしているのは、我ながら愚かしいことだ。これを詠んだのは、北面の武士の華やかな世界を捨て、ただ独り山中に庵を結んだ男である。世間の目から見れば、この涙は、彼が出家に「失敗」した証のように映るかもしれぬ。けれども西行は、別の歌で、はっきりとこう言い切っている。
世を捨つる 人はまことに 捨つるかは 捨てぬ人をぞ 捨つるとはいふ
世を捨てた者が真に世を捨てているのではない。世の中の流れに呑まれて、自分の魂を捨てて生きている者こそが、真に「世を捨てた」者なのだ、と。この一首こそ、西行が令和の若者に最も伝えたかった言葉ではないか、と宮司は思う。
宮司は長年、世界遺産・吉水神社の宮司として、吉野の山と共に生きてきた。吉野は、西行が後半生の魂のふるさととした地である。彼の歌の中に幾度となく現れる「吉野山」の三文字は、観光地としての山ではない。一人の男が、自分の心を磨くために選び抜いた、聖なる修行の場であった。
吉野山 梢の花を 見し日より 心は身にも そはずなりにき
吉野山の梢に咲く花を見たあの日から、私の心は、もはや私自身のものではなくなってしまった。心ははるか彼方の何かに奪われ、戻ってこない。これは恋の歌のようにも読めるし、悟りの歌のようにも読める。けれども確かなことは、西行は二十二歳のあの決断以来、生涯にわたって、ただ一つのものを見つめ続けたということだ。誰もが見過ごす一輪の花、誰もが見上げては忘れる一夜の月。彼はそれらの中に、宇宙の真実を見ようとした。一途であった。
願わくは 花のもとにて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ
願わくば、花の下で、釈迦の入滅された二月の満月の頃に、死にたい。実際、西行はこの歌の通り、文治六年二月十六日、満月のもと、河内の弘川寺で世を去ったと伝わる。詠んだ通りに死ねた男。これは偶然ではない。一つのことを生涯思い続けた者にだけ訪れる、最後の祝福である。
令和の若者は、人生で何度も道を選ぶ場面に立たされる。進学、就職、結婚、転職。そのたびに、彼らは「世間の目」を気にする。親が、先生が、世論が、流行が、何を是とするか。それを物差しにして決めようとする。だが、宮司はこう問いたい。それで本当に、君は君の人生を生きているのか、と。西行は、二十二歳で問うた。「世」とは何か、「私」とは何か。そして彼は、世間の物差しを全て捨てた。捨てた後に彼の前に開けたのは、千年消えぬ歌の世界であった。新古今和歌集には、彼の歌が最も多く、九十四首も選ばれている。捨てた者にしか掴めぬものが、確かにある。
日本人の心を磨くとは、新しい何かを身につけることではない。本来、自分の中に既にあるものを、覆っていた埃を払い、磨き上げることだ。西行が一輪の花を何時間も見つめ続けたように、和歌一首に三日三晩を費やしたように、一つのことを深く、一途に見つめる力。それこそが、千年の日本人を支えてきた魂の構えである。
画面を閉じよ。一度でよい、画面を閉じて、自分の胸の中の音に耳を澄ませてみよ。
そこに、まだ消えずに残っている、小さな種がある。先祖から受け継いだ、大和心の種である。西行が二十二歳で耕し始めた畑と、地続きの、同じ畑の種である。それを育てるか、忘れたまま枯らすか。問われているのは、令和の若者一人一人の覚悟である。
宮司の姓もまた、佐藤である。義清の佐藤と、宮司の佐藤。直接の血の繋がりは知る由もないが、八百余年の時を超えて、同じ姓を名乗る者として、宮司は西行の歌を口ずさむたびに、深い縁を感じずにはいられない。日本という国は、こうした見えぬ糸で、過去と現在を、ひそかに結び続けている。その糸を握り直すか、断ち切るか。手の中にあるのは、いつも、若き日本人の手のひらである。