皇統を守るとは何か。旧宮家復帰と後花園天皇の御遺志に学ぶ

産経新聞の「旧宮家の復帰、皇室の伝統に合致 後花園天皇の遺志重要 皇学館大学特別教授・新田均氏」という記事に接し、宮司は深く考えさせられた。
皇族数確保のための「立法府の総意」が高市早苗首相に手渡され、旧十一宮家の男系男子を養子に迎える案、また女性皇族が婚姻後も皇族身分を保持する案が議論されているという。これは、単なる制度改正の話ではない。政治日程の一項目でもない。日本という国の根本に関わる、極めて重い問いである。
宮司は思う。皇位継承の問題を、現代の都合だけで語ってはならない。
皇室は、いまを生きる私たちの感情によって作られた制度ではない。選挙によって生まれた権力でもない。流行の価値観に合わせて、今日はこちら、明日はあちらと形を変えるものでもない。神武天皇以来、長い長い歳月の中で、祖先たちが畏れ、敬い、守り抜いてきた日本の中心である。
この中心が揺らぐ時、国の心も揺らぐ。
もちろん、現実の問題はある。皇族数が減少していることは、誰の目にも明らかである。御公務の重さ、皇室を支える人の少なさ、将来への不安。これらを軽く見てはならない。今を生きる政治が、この現実に向き合うことは当然である。
しかし、現実に向き合うことと、伝統を曲げることは違う。
困難があるからといって、根本を変えてよいわけではない。人数が少ないからといって、皇統の筋を曖昧にしてよいわけではない。むしろ困難な時ほど、何を守るべきかを見定めねばならない。家が火事になった時、まず守るべきものがある。国も同じである。危機の時こそ、守るべきものの順序を誤ってはならない。
皇室の尊さは、単なる古さにあるのではない。
古いものなら何でも尊いという話ではない。皇室の尊さは、万世一系の皇統にある。天皇が、初代神武天皇以来の皇統を受け継がれているという、その連続性にある。これが日本の国柄の根幹である。ここを外して皇室を語るならば、それは皇室を語っているようで、実は別のものを語っていることになる。
男系とは、ただ男性を重んじるという単純な話ではない。
現代の感覚で「男か女か」という対立に落とし込むから、議論が浅くなる。男系とは、父方を通じて皇祖へ連なる皇統の筋である。女性天皇は歴史上おられた。しかし、その女帝方もまた男系の皇統に属しておられた。ここを混同してはならない。女性天皇と女系天皇は違う。この違いを曖昧にしたまま議論を進めれば、日本の根本を誤ることになる。
宮司は、女性皇族の御存在を軽んじるものではない。むしろ、皇室を支えてこられた女性皇族方の御働きには、深い敬意を抱いている。御公務に励まれ、国民に寄り添い、祈りを体現される御姿は、まことに尊い。だからこそ、女性皇族が婚姻後も皇族身分を保持される案についても、皇族数確保の一つの知恵として、丁寧に議論されるべきであろう。
だが、その議論が女系天皇への道を開くものであってはならない。
ここに、厳しい一線がある。皇族数を確保するための方策が、皇統の根本を変える入口になってしまえば、本末転倒である。皇室を守るための議論が、結果として皇室の本質を変えてしまうならば、それは守ったことにはならない。形だけ残して魂を失うことほど、恐ろしいことはない。
旧宮家の男系男子を養子として皇族に迎える案は、この一線を守るための現実的な道であると宮司は受け止めている。
旧宮家とは、突然どこからか持ち出された存在ではない。皇統に連なる宮家であり、戦後の制度変更によって皇籍を離れられた方々の系譜である。七十年以上、民間人として歩まれた歳月があることも事実である。だから、簡単な話ではない。本人の御意思、国民の理解、制度の整備、すべてに慎重さが必要である。
しかし、慎重であることと、道を閉ざすことは違う。
皇統を守るために、歴史の中で培われてきた知恵を用いることは、決して不自然なことではない。皇室は、直系だけで続いてきたのではない。時に傍系から御位を継がれ、時に宮家が皇統を支え、長い歴史の中で断絶を避けるための備えが働いてきた。旧宮家の復帰を考えることは、伝統を破ることではなく、むしろ伝統の中にある備えを甦らせることなのである。
記事の中で、後花園天皇の御遺志が重要であると示されていたことに、宮司は深く頷いた。
後花園天皇は、室町時代の帝である。崇光天皇の皇統に連なる伏見宮家より迎えられ、皇位を継がれた御方である。このこと一つを見ても、日本の皇統は、時代の困難の中で、ただ偶然に続いてきたのではないことが分かる。断絶を避けるために、皇統に連なる宮家の存在がいかに大切であったか。歴史は、そのことを静かに教えている。
後花園天皇は、ただ皇位を継がれただけの御方ではない。乱れた世にあって、民の苦しみを思い、学問を重んじ、政治の乱れを憂えられた帝であった。室町の世は、決して安らかな時代ではなかった。飢饉もあり、戦乱もあり、人の心は荒れた。その中で帝は、国の根本を正すために深く御心を砕かれた。
宮司は、ここに大きな示唆を見る。
皇統を守るとは、単に血筋を数えることではない。もちろん血筋は根本である。しかしそれだけではない。皇統を守るとは、日本の歴史に対する畏れを守ることである。先帝方の御心を受け継ぐことである。民の安寧を祈る御姿を守ることである。国家の中心に、人間の欲得を超えた祈りがあるという、日本のかたちを守ることである。
だから、皇位継承の議論は、利便性だけで語ってはならない。
「その方が分かりやすい」
「その方が現代的だ」
「その方が世論に合っている」
そのような言葉だけで皇室を動かしてはならない。世論は大切である。国民の理解も必要である。しかし、世論は時に流れる。新聞の見出しによって揺れ、テレビの言葉によって動き、SNSの空気によって変わる。流れるものをもって、流してはならないものを変えてはならない。
日本人は、もっと歴史に対して謙虚でなければならない。現代人は、自分たちが最も賢いと思いがちである。過去の人々は古い、今の価値観こそ正しい、昔の制度は時代遅れだと考えやすい。しかし、本当にそうであろうか。先人たちは、家を守るとは何か。血筋を守るとは何か。祭祀を守るとは何か。国を守るとは何か。その問いに、命を懸けて向き合っていた。
便利な時代の人間ほど、軽くなる危険がある。何でもすぐに変えられると思う。しかし、皇室は流行ではない。皇統は、現代人の都合で書き換えるものではない。
変えてよいものと、変えてはならないものがある。この区別を失った時、国は根を失う。
宮司は、政治家にも国民にも申し上げたい。皇位継承の議論を、党利党略や一時の空気で扱ってはならない。選挙に有利か不利か、新聞にどう書かれるか、支持率がどう動くか。そのような物差しで皇室を語ってはならない。皇室は、時の政権より長く、政党より深く、私たち一人一人の人生より遥かに大きな歴史を背負っておられる。
天皇陛下は、日本国民統合の象徴であらせられる。象徴とは、飾りではない。国民の心がそこに結ばれるということである。皇室を敬う心が薄れれば、私たち自身の中にある日本人としての根も薄れていく。皇位継承の議論は、宮中だけの話ではない。私たちが、日本という国をどう理解し、どう子孫へ渡すのかという話である。
旧宮家の復帰を考えることは、この根を守るための一つの道である。
それは、誰かを特別扱いするためではない。新しい身分制度を作るためでもない。皇統を断絶させないためである。万世一系の皇室を、次の世へつなぐためである。日本の中心にある祈りを、未来の子供たちへ渡すためである。
もちろん、そこには丁寧な説明が要る。なぜ旧宮家なのか。なぜ男系なのか。なぜ女系ではならないのか。なぜ歴史に照らして自然なのか。政治は、これを分かりやすく、誠実に語らねばならない。反対意見を敵視するのではなく、歴史を示し、道理を示し、未来への責任を示すことである。
神道において、祭祀は継続である。
一度祈れば終わりではない。毎朝、神前に向かう。榊の水を替える。境内を掃く。祝詞を奏上する。人が見ていても見ていなくても、続ける。なぜ続けるのか。それは、祈りが断たれた時、場の命が弱るからである。
皇統もまた、継続である。
千年以上、二千年以上にわたって続いてきた祈りの筋である。その継続を守るために、先人たちは宮家という備えを持った。直系に困難が生じた時、傍系が支える。これは冷たい制度論ではない。家を絶やさぬための知恵であり、祈りを絶やさぬための覚悟である。
後花園天皇の御代を思う時、宮司は、歴史が今の私たちを見ているように感じる。
あの時代にも困難があった。皇統をめぐる揺らぎがあった。世の乱れがあった。だが、そこで日本は道を失わなかった。皇統に連なる宮家から帝を迎え、祈りの中心を守った。その歴史があるから、今の私たちは天皇陛下を仰ぐことができる。
ならば、令和の私たちは、未来の日本人からどう見られるのであろうか。
便利な議論に流されて皇統の根本を曖昧にした、と言われるのか。
それとも、困難な時代にあっても歴史に学び、皇統を守る道を選んだ、と言われるのか。
この問いを、私たちは真正面から受け止めねばならない。
安倍晋三元総理は、日本を取り戻すと訴えられた。日本を取り戻すとは、経済を強くすることだけではない。防衛を整えることだけでもない。憲法を論じることだけでもない。日本の根本に立ち返ることである。皇室を敬い、祖先を敬い、歴史を学び、国柄を守り、世界の中で堂々と日本人として立つことである。
皇位継承の問題は、その根本中の根本である。
ここで曖昧になれば、日本を取り戻す道も曖昧になる。ここで逃げれば、子孫に対して申し訳が立たない。ここで歴史を軽んじれば、祖先に対して顔向けができない。
宮司は願う。政治が、皇室の前に慎みを取り戻すことを。国民が、皇統の尊さに目を開くことを。メディアが、表面的な賛否ではなく、歴史の深さを伝えることを。そして私たち一人一人が、天皇陛下を戴く国に生まれた意味を、静かに胸に刻むことを。
旧宮家の復帰をめぐる議論は、まだ多くの課題を含んでいるであろう。簡単ではない。だからこそ、急がねばならないが、粗くしてはならない。慎重でなければならないが、先送りしてはならない。歴史を畏れ、現実を見つめ、未来に責任を持つ。その覚悟が、今の日本に求められている。
宮司は、後花園天皇の御遺志を思い、静かに手を合わせる。
どうか日本が、皇統の尊さを見失いませんように。
どうか政治が、時代の空気に流されず、歴史に恥じぬ判断をいたしますように。
どうか国民が、皇室を遠い存在としてではなく、自らの祖国の中心として敬う心を取り戻しますように。
甦れ、万世一系の皇統を畏れ、旧宮家という歴史の知恵を正しく受け止め、後花園天皇の御遺志に学びながら、未来へ皇室の尊さをつないでいく日本人の心。甦れ、便利な議論に流されず、国の根本を守り抜く大和魂。
参考記事
産経新聞「旧宮家の復帰、皇室の伝統に合致 後花園天皇の遺志重要 皇学館大学特別教授・新田均氏 皇位継承の論点」

