自衛官の子供たちにも敬意を。教育を正し、日本社会の心を変える時



産経新聞「産経抄」の記事に接し、宮司は、深く考えさせられた。

立憲民主党の古賀千景参院議員による自衛官への差別的な発言が問題となった。記事によれば、参院決算委員会での発言に対し、すぐに訂正が行われたという。しかし、この問題は、単に一人の議員が失言をしたというだけで済ませてはならない。

そこには、戦後日本の教育と社会に長く横たわってきた、自衛隊への偏見、国防への冷淡さ、そして国を守る人々への敬意の欠落が表れている。

宮司は思う。

これは、自衛官だけの問題ではない。

これは、自衛官の家族の問題である。

これは、自衛官を父に持ち、母に持つ子供たちの問題である。

そして、これは日本社会そのものの心の問題である。

産経抄は、過去に小学校の教室で、自衛官である親の仕事を教師が否定的に語った例にも触れていた。教室は、本来、子供の心を育てる場所である。そこにおいて、ある子の親の職業が、まるで恥ずべきものであるかのように扱われたとすれば、それは教育ではない。子供の心を傷つける行為である。

子供は、親の仕事を通して世の中を見る。父がどのように働いているか。母がどのように人のために尽くしているか。その背中を見て、自分もいつか社会の中で役に立ちたいと思う。そこに誇りが生まれる。そこに感謝が生まれる。そこに家族の絆が育つ。

その子供の前で、親の仕事を貶めるような言葉を投げかけるならば、その子の心に何が残るであろうか。

自分の父は悪いことをしているのか。

自分の母の仕事は、人前で恥じなければならないものなのか。

自分の家族は、学校の中で肩身の狭い思いをしなければならないのか。

大人の一言は、子供の心に深く刺さる。特に教師の言葉は重い。子供にとって、教師はただ知識を教える人ではない。社会とは何か、人とはどう生きるべきかを無意識のうちに示す存在である。だからこそ、教師の言葉には慎みが必要である。教室の中で、政治的な偏見や一方的な思想を、子供の心に押しつけてはならない。

宮司は、教師という職業を軽んじているのではない。むしろ、教育に携わる方々には心から敬意を持っている。子供たちを毎日見守り、学びを支え、家庭では見えない表情を受け止めておられる先生方は多い。地域のため、日本の未来のために尽くしておられる立派な先生もたくさんおられる。

だからこそ、教育の名を借りて、国を守る人々への偏見が教室に持ち込まれるならば、それを厳しく正さねばならないのである。

記事の中で、小泉進次郎防衛相が、近隣諸国の子供たちへの配慮を語るなら、自衛官の子供たちも学校に通っていると反論した趣旨のことが紹介されていた。宮司は、この言葉を重く受け止める。

まことに、その通りである。

日本の学校には、さまざまな国に縁を持つ子供たちが通っている。どの子供も傷つけられてはならない。国籍や出自を理由に、教室で孤立させられてはならない。その配慮は当然である。人として、教育者として、大切なことである。

しかし、なぜその配慮が、自衛官の子供たちには向けられないのか。

なぜ、近隣諸国への配慮は口にできても、自衛官への敬意、自衛官の家族への感謝、自衛官の子供たちへのまなざしは、同じ熱量で語られないのか。

ここに、戦後教育の大きな歪みがある。

平和を願うことは尊い。戦争を望まないことも当然である。宮司もまた、戦を好む心を子供たちに植えつけたいのではない。しかし、平和を願うことと、国を守る人々を軽んじることは全く違う。平和を語るならば、平和を守るために汗を流し、命を懸けて備えている人々にこそ、まず敬意を払わねばならない。

自衛隊は、戦争を起こすためにあるのではない。

国民の命を守るためにある。

災害が起きれば、誰よりも早く現場へ向かう。泥の中に入り、瓦礫を越え、行方不明の方を探し、孤立した集落に物資を届ける。台風でも、地震でも、豪雨でも、豪雪でも、疫病でも、自衛官は国民のために黙々と任務にあたる。

その人々を、平時には遠ざけ、災害の時だけ頼るというのは、あまりにも身勝手ではないか。

感謝とは、困った時だけ口にするものではない。日頃から、見えない備えに対して頭を下げることである。何も起きていない日にも、日本の空を見守る人がいる。日本の海を守る人がいる。国境の緊張に備える人がいる。災害に備えて訓練を続ける人がいる。家族との時間を削り、厳しい任務に就く人がいる。

その人々の背後には、必ず家族がいる。

送り出す親がいる。帰りを待つ妻や夫がいる。父や母の制服姿を見つめる子供がいる。任務の詳しいことを聞けない日もある。不安を胸にしまい、笑顔で送り出す朝もある。自衛官を支えているのは、隊員本人の覚悟だけではない。その家族の祈りと忍耐もまた、国を支えているのである。

ならば、私たちはその子供たちを守らねばならない。

自衛官の子供たちが、父や母の仕事を誇れる社会でなければならない。

学校で、自分の親の職業を語ることをためらわなくてよい社会でなければならない。

友達から偏見の目で見られず、教師からも公平な敬意をもって受け止められる社会でなければならない。

教育とは、子供の心に誇りを灯す営みである。日本に生まれたこと。家族を持つこと。地域に生きること。祖先から受け継いだ国土と言葉を大切にすること。そして、自分もいつか誰かのために働きたいと思うこと。その心を育てるのが教育である。

もし教育が、子供から親への尊敬を奪うならば、それは教育ではない。

もし教育が、国を守る人々への感謝を曇らせるならば、それは教育ではない。

もし教育が、祖国を思う心を恥ずかしいものとして扱うならば、それは教育ではない。

それは、心の根を断つ行為である。

宮司は、戦後教育をすべて否定するものではない。戦後の日本にも、立派な教育者はたくさんおられた。子供のために尽くし、地域に尽くし、国を思いながら教壇に立った先生方も多くおられる。しかし一方で、国旗、国歌、自衛隊、皇室、祖国、歴史、道徳というものに対し、どこか素直に敬意を払えない空気が、長く教育現場にあったことも事実であろう。

それを正さねばならない。

右か左かという話ではない。

子供の心を守るか、守らないかという話である。

親の仕事に敬意を払うか、払わないかという話である。

国を守る人々に感謝できる社会であるか、そうでないかという話である。

日本社会は、もう変わらなければならない。いつまでも戦後の歪んだ物差しで、自衛隊を見ていてはならない。いつまでも、国防を語ることを危険なことのように扱ってはならない。いつまでも、祖国への愛を古いもの、恥ずかしいもの、偏ったもののように扱ってはならない。

祖国を愛する心は、他国を憎む心ではない。

自衛隊に敬意を払うことは、戦争を望むことではない。

国を守る覚悟を語ることは、平和を軽んじることではない。

むしろ、祖国を愛するからこそ、他国の人々にも礼を尽くせる。自衛隊に敬意を払うからこそ、平和の重さを知る。国を守る覚悟を持つからこそ、軽々しく戦を語らない。

本当の平和教育とは、ただ戦争は嫌だと教えることではない。なぜ戦争が起きるのか。どうすれば国民の命を守れるのか。自由と独立を守るために、どれほど多くの備えが必要なのか。そして、今この瞬間にも誰がその備えを担っているのか。そこまで教えて初めて、子供たちは平和の尊さを本当に知るのである。

平和は、感情だけでは守れない。

平和は、祈りだけでも守れない。

祈りがあり、備えがあり、知恵があり、外交があり、そして国民を守る人々への敬意があって、初めて平和は現実のものとなる。

宮司は、子供たちに伝えたい。

あなたの父や母が、自衛官であるならば、どうか胸を張ってほしい。人を守る仕事、国を守る仕事、災害の現場で命を支える仕事は、尊い仕事である。誰かが軽い言葉で傷つけようとしても、その誇りを手放してはならない。

そして、自衛官を志す若者たちにも伝えたい。

人が何と言おうと、国を守りたい、人を助けたい、己を鍛えたいという心は尊い。入口は何であってもよい。安定を求める気持ちがあってもよい。家族を安心させたいという思いでもよい。大切なのは、その道に入った後、どれほど自分を磨き、どれほど公のために尽くすかである。

人の志を、家庭の事情や経済の物差しだけで決めつけてはならない。人は、貧しさだけで道を選ぶのではない。人は、損得だけで命の使い方を決めるのではない。そこには、その人にしか分からぬ祈りがある。覚悟がある。未来への願いがある。

政治家も、教師も、報道も、大人たちはそのことを忘れてはならない。

言葉は、人を立ち上がらせることもあれば、人を傷つけることもある。国会の言葉、教室の言葉、新聞の言葉、家庭の言葉。その一つ一つが、子供の心に残る。ならば、大人は言葉を清めねばならない。偏見を捨て、慢心を祓い、子供たちの前に置く言葉を、もっと慎まねばならない。

神道には、祓い清めがある。穢れを祓い、心を正し、曇りを除く。今の日本社会にも、祓いが必要である。自衛隊への偏見を祓う。祖国を愛する心への嘲りを祓う。教育の場に入り込んだ一方的な思想を祓う。他国への配慮を語りながら、自国を守る人々への感謝を忘れる矛盾を祓う。

清められた心で見れば、自衛官は敵ではない。子供たちに恥じさせる存在でもない。自衛官は、国民の命を守る尊い務めを担う人々である。その家族もまた、静かに国を支えている。

日本社会が変わるとは、法律や制度だけが変わることではない。人の心の向きが変わることである。感謝すべき人に感謝する。敬うべき人を敬う。守るべき子供の心を守る。祖国を思うことを恥じない。そうした当たり前の心を、もう一度取り戻すことである。

教育が変われば、子供の心が変わる。

子供の心が変われば、家庭が変わる。

家庭が変われば、地域が変わる。

地域が変われば、日本は必ず変わる。

私たちは、子供たちに何を手渡すのか。

自分の国を守る人々を冷ややかに見る心か。

それとも、感謝と敬意をもって支える心か。

その選択を、今の大人たちは問われている。

自衛官の子供たちが、父母の仕事を誇れる教室をつくること。自衛官を志す若者が、胸を張ってその道を語れる社会をつくること。国を守る人々に、日頃からありがとうと言える日本をつくること。

それは大きな政治の話である前に、一人一人の心の姿勢である。

今日、子供にどのような言葉をかけるか。

今日、国を守る人々をどのような目で見るか。

今日、祖国を思う心を自分の中でどう扱うか。

その小さな選択の積み重ねの中に、日本社会が変わる道がある。

自衛官の子供たちにも、同じまなざしを。

国を守る人々にも、まっすぐな敬意を。

教育の場には、偏見ではなく、誇りを。

この当たり前を取り戻すところから、日本の心は静かに立ち直っていく。


■参考記事:産経新聞「産経抄」2026年6月20日付

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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