これは神風か。尖閣の海に吹いた一陣の風が、日本人に問うもの

第十一管区海上保安本部は、沖縄県の尖閣諸島周辺にある接続水域において、中国海警局の船の航行が確認されなかったと明らかにした。
昨年十一月十五日から続いていた連続航行は、今月八日までの二百三十六日で途切れたという。接続水域にいた四隻は、台風九号の接近に伴い、相次いで域外へ出たとみられている。
この報に接し、宮司は深く考えさせられた。
これは、神風であろうか。
もちろん、台風は自然現象である。軽々しく神風と断じるべきではない。自然の猛威によって被害を受ける方々もおられる。台風そのものを喜ぶことはできない。
しかし、日本人は古来、自然の中に神意を感じ、天の声を聞こうとしてきた民族である。山に神を感じ、海に神を感じ、風に神を感じてきた。ならば、この出来事を単なる偶然として見過ごすのではなく、神々が令和の日本人に何を問いかけておられるのか、静かに考えることは許されるであろう。
尖閣諸島は、歴史的にも国際法上も明らかに日本固有の領土である。そこに外国公船が連日のように現れ、日本の主権を揺さぶる。これが236日も続いたという事実を、私たちはあまりにも軽く受け止めてはいないか。
国の領土とは、単なる地図の線ではない。
そこには、祖先が守ってきた歴史がある。海に生きた人々の暮らしがある。国を守るために身を挺してきた先人たちの祈りがある。そして、未来の子孫に手渡さねばならない責任がある。
尖閣の海は、遠い沖縄の一海域ではない。あの海は、日本の魂の端である。そこが揺さぶられるということは、日本そのものが試されているということである。
宮司は思う。国難は、いつも音を立てて来るとは限らない。大砲の音が鳴ってから、国が危ういと気づくのでは遅い。毎日の小さな侵食、言葉によるごまかし、既成事実の積み重ね、国民の無関心。その静かな積み重ねこそ、最も恐ろしい国難である。
今回、中国海警局の船が接続水域から退避したのは、台風という自然の力によるものであった。人の力ではなく、風の力であった。海の力であった。天地自然の力であった。
だからこそ、宮司はこの出来事に、ありがたさと同時に深い戒めを見る。
神風とは、何もしない者を助ける都合のよい風ではない。神風とは、国を守る覚悟を持つ者に対して、天が一瞬だけ示す励ましである。もし私たちがその風に甘え、安心し、また眠り込むならば、それは神々への不敬である。
大切なのは、船がいなくなった一日を喜ぶことではない。その一日を、日本人が目を覚ます機会とすることである。
尖閣を守っているのは、口先の愛国心ではない。現場で海を見つめ続ける海上保安官であり、いざという時に国を守る自衛隊員であり、国家の主権を守るために不断の努力を続ける人々である。彼らに感謝を捧げるだけでなく、その存在を憲法上も国の制度上も正しく位置づけることが、政治の責任であり、国民の責任である。
日本は、いつまで国を守る者を曖昧な位置に置き続けるのか。
いつまで、領土を守る問題を他人事のように語るのか。
いつまで、平和という美しい言葉だけを唱えれば、国が守られると思い込むのか。
平和とは、祈れば自動的に与えられるものではない。平和とは、祈りと備えの両輪によって守られるものである。祈りなき備えは傲慢となり、備えなき祈りは空念仏となる。日本人に必要なのは、神々への畏敬と、現実を直視する胆力である。
安倍晋三元総理は、戦後日本が目を背けてきた安全保障の現実に、真正面から向き合われた。国を守ることを語れば批判される時代にあって、それでも国民の命と領土を守る責任を説かれた。その志は、今もなお令和の日本に問いを投げかけている。
日本よ、本当にこのままでよいのか。
子や孫に、弱り切った国を渡してよいのか。
祖先が血と汗と涙で守ってきたこの国を、私たちの代で曖昧にしてよいのか。
今回の一陣の風を、ただの気象として終わらせてはならない。神風かどうかを論じる前に、まず日本人自身が変わらねばならない。
第一に、領土を守る教育を取り戻すこと。
子供たちに、日本の国土、日本の歴史、日本の海を正しく教えねばならない。自分の国を知らぬ者に、自分の国を守ることはできない。
第二に、国防を正面から語ること。
防衛力の整備、自衛隊の明記、海上保安体制の強化、情報戦への備え。これらを忌避することは、平和を守ることではない。現実から逃げることである。
第三に、国民一人ひとりが、日々の生活の中で日本を支える覚悟を持つこと。
仕事を丁寧にする。家庭を守る。地域を大切にする。神前に手を合わせる。先人に感謝する。国旗を敬う。言葉に責任を持つ。その小さな積み重ねが、国の背骨をつくる。
国を守るとは、特別な人間だけの務めではない。父には父の守り方がある。母には母の守り方がある。若者には若者の守り方がある。年長者には、次の世代へ正しい道を伝える守り方がある。
尖閣の海に吹いた風は、私たちに告げているように思う。
眠るな。油断するな。日本を守る心を取り戻せ。
宮司は、安倍神像神社の神前において、今日も静かに祈る。尖閣の海を守る方々の安全を。沖縄の平安を。日本の主権を。そして、令和の日本人が目を覚まし、祖国を守る覚悟を取り戻すことを。
神風とは、過去の物語ではない。
それは、国を思う者の胸に吹く風である。苦難の時代にあっても、なお日本を信じ、祖先を敬い、子孫のために立ち上がる者の心に吹く風である。
甦れ、日本人の魂。甦れ、祈りと備えを一つにして、国を守り抜く大和心。
尖閣の海に吹いた一陣の風を、令和日本再生の合図と受け止めたい。
