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安倍晋三元総理銅像建立

恩を忘れぬ国へ。ゴーン氏と日産に見る、日本人の義と覚悟

最近、経営不振に苦しむ日産をめぐり、株主の一部からカルロス・ゴーン氏の復帰を求める声が出たと報じられている。日産側は「憶測に基づく発言」にはコメントしないとの立場を示したというが、かつて日産を破綻の瀬戸際から立て直した人物の名が、再び語られるようになったこと自体、まことに考えさせられる出来事である。

十年前、宮司はカルロス・ゴーン氏について、「無実」であると書いた。倒れかけた日産を、捨て身で立て直した人物ではないか。日産の内部にあった権力争いによって、功ある者が追われたのではないか。恩を受けながら、会社が立ち直り、儲かり出すと、その恩人を遠ざける。そこに日本人として、どうにも納得できないものを感じたのである。もちろん、法の問題は法の場で扱われるべきであり、軽々に断定するものではない。しかし、人として、組織として、恩をどう受け止めるかという問題は、司法とは別に、深く問われねばならない。

ゴーン氏がすべて正しかったと言いたいのではない。人間である以上、欠点もあれば、過ちもあるだろう。経営者であれば、厳しい判断によって恨みを買うこともある。しかし、日産がかつて深刻な危機にあり、その再建にゴーン氏が大きな役割を果たしたことは、多くの人が認める事実である。ルノーによる救済を受けた後、日産の立て直しに携わり、世界的経営者として評価された人物であった。

問題は、功ある者をどう遇するかである。功績は功績として認める。疑義があれば疑義として正す。しかし、功を消し去り、過去の恩までなかったことにするならば、それは日本人の道ではない。人間関係も、会社も、国家も、最後に問われるのは「義」である。義を失った組織は、一時は栄えているように見えても、必ずどこかで軸を失う。恩を忘れた集団は、人を大切にしなくなる。人を大切にしない組織は、やがて人から見捨てられる。

宮司は長く警察官として、人間の表も裏も見てきた。立派な肩書を持ちながら、いざとなれば人を切り捨てる者もいた。反対に、何の肩書もなくとも、受けた恩を忘れず、義理を守り抜く者もいた。人間の値打ちは、順風のときではなく、苦境のときに現れる。組織の値打ちも同じである。苦しいときに助けてくれた者を、後になってどのように扱うか。そこに、その組織の品格が出る。

今の日本社会には、恩を忘れる風潮がある。助けてもらったことを当たり前と思い、利用できるうちは利用し、都合が悪くなれば切り捨てる。成功すれば自分の手柄とし、失敗すれば誰かの責任にする。これでは、人も会社も国も強くならない。日本人が本来大切にしてきたのは、損得だけではない。義理であり、人情であり、誠であり、受けた恩に報いようとする心である。

恩を忘れるな。
功ある者を粗末にするな。
人を使い捨てにするな。

これは、日産だけの問題ではない。日本全体の問題である。政治の世界でも、企業の世界でも、地域社会でも、家庭の中でも同じである。苦しいときに支えてくれた人を忘れ、都合がよくなれば遠ざける。自分が今あるのは誰のおかげかを忘れる。そうした心の荒廃が、日本を静かに弱らせているのである。

安倍晋三元総理もまた、恩義を重んじる方であった。人との縁を大切にし、国家の未来を思い、批判を受けても前へ進まれた。安倍元総理の政治は、単なる政策論ではなく、「日本を取り戻す」という精神の戦いであった。日本を取り戻すとは、経済を立て直すことだけではない。日本人の心を取り戻すことである。義を取り戻すこと。誠を取り戻すこと。恩を知る心を取り戻すことである。

企業経営においても、国家運営においても、最も大切なのは人である。数字だけを見ていては、経営は冷たくなる。権力だけを見ていては、政治は濁る。人の心を見つめ、功を認め、過ちを正し、なお人を活かす道を探る。そこに、日本人らしい経営があり、日本人らしい政治がある。

これからの日本人が進むべき道は明らかである。第一に、恩を忘れぬことである。親の恩、師の恩、友の恩、先人の恩、国の恩を忘れてはならない。第二に、功績を正しく評価することである。好き嫌いや派閥で人を裁くのではなく、何を成したかを公正に見る眼を持たねばならない。第三に、組織の中で人を潰さず、人を活かすことである。嫉妬や権力争いによって有能な人材を排除するならば、その組織は必ず衰える。

日本は今、あらゆる分野で岐路に立っている。経済も、安全保障も、教育も、人口問題も、すべてが厳しい局面にある。そのような時代に必要なのは、きれいごとではない。覚悟を持って国を立て直す人材である。耳に痛いことを言える人物である。批判を恐れず、責任を背負い、組織を変える力を持つ人物である。そして、そのような人物を、私情や嫉妬で潰さない国民の度量である。

ゴーン氏をめぐる出来事は、日本人に一つの問いを投げかけている。

われわれは、恩を知る国民であるのか。
功ある者を正しく遇する国民であるのか。
それとも、都合が悪くなれば人を切り捨てる国になってしまったのか。

この問いから逃げてはならない。日産の問題として眺めるだけでは足りない。自分自身の生き方として受け止めねばならない。仕事の中で、家庭の中で、地域の中で、受けた恩を忘れていないか。功ある人を妬んでいないか。正しい評価よりも、好き嫌いや空気で人を裁いていないか。問うべきは、いつも自分自身である。

恩を忘れぬ者は、道を誤らない。義を重んじる者は、最後に人から信じられる。誠を尽くす者は、たとえ一時は苦しんでも、必ず天に通じる。日本人がもう一度、この当たり前の道に帰るならば、日本はまだ立ち直ることができる。

甦れ、日本人の魂。恩を知り、義を重んじ、功を正しく認める国へ。人を使い捨てにせず、人を活かし、国を立て直す日本へ。その道を歩むことこそ、これからの日本人が進むべき指針である。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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