沖縄県知事選挙が、9月13日に投開票を迎える。共同通信の情勢調査によれば、古謝玄太氏と玉城デニー氏は横一線の激戦だという。この一票の行方は、単なる県政の選択ではない。日本という国の主権が、これからも日本人自身の手にあり続けるかどうかを問う一票であると、宮司は思う。
『論語』に、「君子は義に喩り、小人は利に喩る」という言葉がある。人の値打ちは、目先の損得ではなく、何を義とするかで決まるという教えである。宮司は、沖縄の地から届くこの報道に接し、この言葉を思い起こした。
玉城デニー知事は、令和5年7月、中国を訪問した。李強首相との面会では、約80人の訪中団のうち、言葉を交わしたのは河野洋平氏とただ二人だけであったという。席次は、駐中国大使よりも首相に近い位置に置かれた。異例の厚遇である。
知事は「安保の面を強調するのではなく、人流・物流・学術文化の協力を大事にしたい」と語ったと伝えられる。沖縄をめぐっては、独立論を後押しする言説や、中国の要人による接近が指摘されて久しい。台湾との関係が、全国の都道府県の中でも際立って冷え込んでいるとの指摘もある。
知事の姿勢を「完全に中国寄りだ」と評する声があることも、宮司は承知している。真偽のすべてを断定はしない。だが、これほどの厚遇と、安全保障への沈黙とが同時に起きている事実を、軽く見過ごしてはならないと思う。
目を海へ転じれば、尖閣諸島の周辺では、平成20年以降、中国公船が絶えず派遣され、領海侵入を繰り返している。政府自身が、これを挑発行動と認めている。国境の島々を抱える沖縄は、机上の議論ではなく、現実の圧力と隣り合わせに暮らしているのである。
命をめぐる姿勢もまた、問われている。本年3月、辺野古沖で研修中の小型船二隻が転覆し、同志社国際高校三年の竹石知華さん、当時17歳と、船長の二人が亡くなった。知華さんは、ライフジャケットが船体に絡まり、命を落としたと伝えられる。
文部科学省は、この研修が教育基本法の定める政治的中立性に反すると学校側に指導した。知事はこれに「踏み込みすぎだ」と述べ、指導そのものを批判したという。安全管理の不備よりも、活動の正当性を守ることを、先に立てたようにも見える発言である。
6月、父親が公にした疑問に対し、知事は「見た」としたうえで「本当にご遺族のおっしゃるとおりだ」と応じるにとどまったと報じられた。県議会では、遺族の思いを「できるだけ静かにしていただきたい」と代弁したが、遺族はその後も、事故が忘れられることのないよう、発信を続けている。知事の言葉と、遺族の実際の姿勢との間には、隔たりがあったと指摘されている。宮司は、亡き知華さんの御霊に、心より哀悼の意を捧げたい。
もちろん、対話は尊い。経済や文化の交流を通じて隣国と結びを深めることを、否定するものではない。人と人との縁は、本来、国境を越えるものである。しかし、対話と譲歩とは違う。交流と従属とは違う。友好を口実に、国の主権を切り売りしてはならない。
沖縄は、かつて琉球として、独自の誇りと文化を守りながら、東アジアの海を結ぶ「万国津梁」の地であった。先の大戦においては、二十万を超える命がこの島で失われた。軍人だけではない。ひめゆりの学徒も、老いた母も、幼い子も、この島を守るために、あるいはこの島に生きるために、命を落とした。
その犠牲の上に、今の平和がある。中今を生きる私たちは、この歴史を忘れてはならない。沖縄を守ることは、日本を守ることであり、日本人としての誇りを守ることである。
古謝玄太氏は、東京大学を出て総務省に入り、長崎県や那覇市で行政の実務を積んだ人物である。県民所得を倍増させる、観光消費を2兆円へ伸ばす、辺野古移設を受け入れて現実的な安全保障を築くという。
理想論ではなく、実務の積み重ねで沖縄の暮らしを立て直そうとする姿勢に、一つの誠実さを見る。誰かのせいにするのではなく、自らの足で立ち直ろうとする覚悟を、宮司は尊びたい。
共産主義とは、単なる経済制度の名ではない。信教の自由を認めず、家族の絆よりも党への忠誠を上に置き、祖先を敬う心も、神々への祈りも、根こそぎ奪う体制である。
もしこの国の主権が揺らぎ、隣国の意のままに動かされる日が来れば、素心(素直で偽りのない心)も、惟神の道も、大和魂も、静かに失われていくであろう。それは杞憂ではない。歴史上、多くの国が、対話と友好の名のもとに、気づかぬうちに独立を失ってきたのである。
これは、遠い政治の話ではない。子や孫が、この国で神前に手を合わせ、祖先を敬い、自分の言葉で自分の生き方を選べるかどうかという、ごく身近な話である。国の主権が失われれば、教育も、信仰も、家庭のあり方さえも、他国の都合で書き換えられかねない。日本人の暮らしを守ることと、国の主権を守ることは、根で一つにつながっている。
政治家には、耳に心地よい言葉ではなく、国の行く末を見据えた覚悟が求められる。メディアには、厚遇の事実を、党派を超えて正しく伝える責任がある。そして国民には、目先の利害ではなく、次の世代に何を手渡すのかという視点から、一票を投じる責任がある。
日本人は、もっと沖縄を知らねばならない。沖縄の痛みも、誇りも、他人事にしてはならない。それは、日本人全体の記憶であり、責任である。
沖縄だけの戦いではない。この選挙には、全国から支援の輪が広がっていると聞く。公明党沖縄県本部が古謝氏の推薦へ動いたとも伝えられる。党派を超えて、国のかたちを案じる人々が、静かに心を寄せているのであろう。
宮司は、遠く長野の地からも、この選挙の行方を見守っている。神前に額づく者として、票を投じられぬ地であっても、祈りを寄せることはできる。読者諸兄には、もし沖縄に縁があるならば、必ず一票を投じていただきたい。縁なき者は、この国の主権について、今一度、自らの胸に問うていただきたい。
今こそ、日本人は目を覚まさねばならない。沖縄の一票は、沖縄だけのものではない。日本国全体の主権と誇りに関わる一票である。
宮司は、この島に生きる人々の暮らしと誇りが守られ、祖先より受け継いだこの国が、次の世代へ、独立した誇り高い姿のまま手渡されることを、神前に祈る。