伊勢神宮は、二十年ごとに建て替えられる。社殿も、御装束も、神宝も、すべてが一新される。第一回は持統天皇の御代、およそ千三百年前にさかのぼり、平成二十五年の第六十二回まで、この営みは絶えることなく続けられてきた。次の遷宮は令和十五年に予定されている。宮司は、この事実の前に立つたびに、しばらく言葉を失う。
千三百年、六十二回。
数字にすれば、たった一行数文字である。だが、その一行数文字の中には、名も残らぬ何万という人々の手と汗と祈りが積み重なっている。
宮司は思う。近代の常識からすれば、これほど不合理な営みはない。せっかく建てた社殿を、まだ十分に使えるうちに解体する。惜しげもなく建て替える。効率を尊ぶ目には、途方もない無駄と映るであろう。
しかし、それは表面の理解である。
なぜ二十年なのか。
諸説はある。仏教由来の深い意味があるとも聞く。だが、宮司が最も深く頷くのは、技の継承という理由である。若くして遷宮に加わった大工が、二十年後には壮年となって中心を担い、さらに二十年後には老練の指導者として次の世代を導く。一人の職人が、生涯のうちに二度か三度は関わることができる。この長さこそが、手から手へ技を渡すために必要な間合いだったのだ。
三十年、五十年では、間が空きすぎる。渡す者と受け取る者が、同じ現場に立てなくなる。十年では、受け取った者が熟する前に、次が来てしまう。二十年とは、人間の一生に合わせて測られた寸法である。
だから、残されてきたのは建物ではない。建てる技のほうであった。
宮司は、ここに日本という国の深い知恵を見る。
木で建てた社殿は、いつか朽ちる。石で建てれば千年残るであろう。事実、世界の多くの聖地は、石で永遠を目指した。だが、我が国の先人は違う道を選んだ。形あるものは必ず滅びるという理を受け入れ、そのうえで、滅びないものを別の場所に託した。人の手と、人の記憶と、人から人へ渡る所作にである。
石は残る。だが石は、教えない。
木は朽ちる。だが木は、二十年ごとに人を呼び集め、教え、鍛え、次の者へ渡させる。
檜の扱い方、鑿の入れ方、掘立柱の据え方、萱の葺き方。これらは書物では伝わらない。図面に残しても、手は動かない。師の傍らに立ち、同じ木を触り、失敗を叱られ、幾度も繰り返して、はじめて身体に入る。技とは、身体から身体へしか渡らないものである。式年遷宮とは、その受け渡しのために、国が二十年ごとに用意し続けてきた壮大な学び舎なのだ。
宮司は、宮大工の言葉をいくたびも読み返してきた。法隆寺最後の棟梁と呼ばれた西岡常一氏の一連の書は、木と人と技の関わりを、これ以上ない率直さで語っている。技がどのようにして人から人へ渡るのか。その現場の呼吸を知りたい方に、宮司は心から勧めたい。
若い職人が、老いた師の手つきをただ見つめる。その沈黙の時間にこそ、千年を支える技が渡っていく。
宮司は思う。これは宮大工だけの話ではない。
御装束神宝も一新される。織り、染め、漆、金工、鍛冶、革、玉。そのために、古式の技法が今も生きて保たれている。もし遷宮がなければ、いくつの技がすでに絶えていたことか。使われぬ技は、必ず失われる。伝統とは、飾って眺めるものではなく、使い続けることによってしか保たれない。
そしてこれは、我々一人ひとりの暮らしにそのまま重なる。
家庭の作法も、地域の祭りも、商いの心得も、同じである。文字に残せる部分はごくわずかである。大半は、隣で見ていた者の身体に移り、その者が誰かに渡すことでしか続かない。渡す機会を失えば、どれほど立派な伝統も、一代で終わる。
宮司は問いたい。
令和の日本は、渡す機会を、若い世代に十分に用意しているだろうか。
効率を求めるあまり、熟練を要する仕事を削ってはいないだろうか。手間のかかる行事を、面倒だからと取りやめてはいないだろうか。祖父母と孫が同じ座敷で過ごす時間を、いつのまにか失ってはいないだろうか。
もちろん、効率を求めることを否定するものではない。無駄を省き、負担を減らす努力は尊い。人手が足りず、やむなく行事を縮める地域の苦しさも、宮司はよく知っている。
だが、そのうえで申し上げたい。
省いてよい無駄と、省いてはならぬ無駄がある。
二十年ごとの建て替えは、一年単位の帳簿の上では無駄である。しかし千三百年の帳簿の上では、これ以上ない投資であった。先人は、目先の損得ではなく、二十年後、百年後、千年後を見て算盤を弾いたのだ。
宮司は、ここに我が国の背骨を見る。
日本は、私たちの代だけの所有物ではない。祖先から預かり、次の世代へ渡すべきものである。国も、技も、心も、預かりものである。預かりものであるならば、使い減らして終わってはならない。渡せる形にして、手放さねばならない。
祈りとは、心の中だけの営みではない。
伊勢の遷宮を見よ。祈りは、木を伐り出す山の手入れとなり、御樋代木を運ぶ人の列となり、鑿を握る若者の掌の豆となり、二十年後にその若者が弟子に向ける一言となった。祈りとは、そこまで含めた実践である。祈りを形にするとは、こういうことなのである。
では、我々は今日、何を渡せるか。
大きなことでなくてよい。神棚に手を合わせる姿を、子供に見せる。地域の清掃に、若い者を誘って一緒に出る。祖父母の話を、面倒がらずに聞き、書き留める。自分の仕事の勘所を、後輩に惜しまず教える。挨拶を教える。約束を守る姿を見せる。
神棚に手を合わせる姿を子供に見せる。そのためには、まず神棚を整えるところから始めてもよい。国産の檜で作られた神棚は、社殿と同じ木の香りを家の中に運んでくる。年に一度、新しい榊を供え、埃を払う。その反復こそが、家の中の遷宮である。
立派である必要はない。手を合わせる場所が家にあること。それだけで、子供の記憶に残る。
いずれも、二十年後にしか実を結ばない営みである。だからこそ、今日はじめねばならない。
宮司は思う。伊勢の森に立つあの白木の社殿は、完成した記念碑ではない。二十年後に必ず解かれ、また建てられることを前提とした、途中の姿である。そして我々もまた、途中である。先人から受け取り、次へ渡すまでの、途中を生きている。
これを、中今を生きるという。
宮司は今日も神前に祈る。この国の技が絶えぬことを。渡す者と受け取る者が、同じ現場に立ち続けられることを。そして令和に生きる私たちが、預かりものを痩せさせず、次の世代へ手渡す者であることを。
残すべきは、形ではない。形を生み出す力である。
これこそが、千三百年をかけて先人が示した、日本人の道である。
式年遷宮について、さらに深く知りたい方のために。
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伊勢神宮 式年遷宮参拝ガイド/伊勢の神宮のおはなし ― 子供たちに伝えたい式年遷宮
そして、書物で知るよりも、一度その森に立つほうが早い。宮司は、伊勢へ参られることを勧めたい。