秋祭りの支度で近所を歩くたびに、宮司はふと足を止めることがある。かつては祝日の朝、どの家の軒先にも小さく翻っていたはずの日の丸が、今ではほとんど見当たらないのである。
集合住宅が増え、庭に掲揚台を立てられる家は少なくなった。祝日そのものを意識する機会も、買い物や行楽の予定に紛れて薄れつつある。誰かが悪意を持って旗を仕舞い込んだわけではない。ただ、日々の暮らしの慌ただしさの中で、静かに忘れられていったのであろう。
海の向こうに目をやれば、事情は違う。多くの国では、祝祭日はもちろん、平生の玄関先にさえ、当たり前のように自国の旗が掲げられている。国旗を掲げることは、誇りを示す自然な所作なのである。ひるがえって日本では、国旗を掲げることに、どこか気恥ずかしさや、ためらいすら伴うことがある。この違いを、単なる国民性の差では片付けられない。
しかし、日の丸は単なる布切れではない。白地に紅の一点。これほど簡潔な意匠が、世界の国旗の中で、これほど気高く見えるものは少ないと、宮司は改めて申し上げたい。飾りを削ぎ落とし、ただ一つの円だけを残したこの旗は、私欲や虚飾を離れた澄んだ心、すなわち素心という言葉に、どこか通じるものがある。
日本という国号そのものが、「日の出ずる国」を意味する。聖徳太子が隋へ送った国書に「日出づる処の天子」と記したように、日輪への信仰は、この国の成り立ちそのものに根を張っている。天照大御神という太陽の神を戴く民として、日本人は古くから朝日に手を合わせ、一日の始まりに感謝してきたのである。白地に紅の丸という意匠が史料に現れるのは、平安末期、源平合戦の頃だと伝えられる。
だが、これが国全体を代表する旗として動き出すのは、はるか後、幕末のことである。嘉永6年、薩摩藩主・島津斉彬は、大型船の建造にあたり、白帆に朱の日の丸を掲げ、これを日本全体の船印とするよう幕府に進言した。翌年、幕府はこれを受けて、日の丸を日本の船印とする旨を全国に布達する。そして安政2年、薩摩が建造した昇平丸が江戸・品川に入港した際、日の丸は初めて、国家を代表する印として掲げられたのである。
明治3年、太政官布告によって、日の丸は正式に日本の国旗と定められた。だが、法律による確かな裏付けを得たのは、実に平成11年、国旗国歌法の成立を待たねばならなかった。布告から実に129年。この旗は、法の後ろ盾がないまま、ただ人々の心の中でだけ、国旗であり続けたのである。
宮司は、ここに大きな示唆を見る。日の丸を国旗たらしめてきたのは、法律ではない。この旗の下で働き、学び、祈り、そして命を賭してきた、無数の名もなき日本人の心そのものである。明治の開国、日清・日露の戦役、そして先の大戦。日の丸は、出征する若者を送る駅頭にも、戦地から届く手紙の余白にも、焼け跡から立ち上がる復興の現場にも、常にそこにあった。敗戦後、占領下で一時その掲揚さえ制限された時期があったと聞く。それでも人々は、この旗を心の奥にしまい、いつか再び堂々と掲げられる日を待ち続けた。
もちろん、日の丸をめぐって、戦争の記憶と結びつけ、複雑な感情を抱く方々がおられることも、宮司は承知している。それは戦後の自虐史観教育の影響が大きい。本来は愛国を教えることが筋だ。しかし、その痛みを軽んじるつもりはない。国旗そのものに罪はない。白地に紅く輝く日輪の意匠には誇りだけしかない。我が国の旗には、過ちも、悲しみも、そこからの再生の歩みも、すべてが刻まれ、すべてを見届けてきた証人なのである。先人の想いが詰まった象徴だ。国民に成り代わって、多くの泥も被っている。
思えば、日の丸が最も自然に、そして最も熱く人々の胸を打つ瞬間は、いつも同じ場所にある。国際大会である。異国の競技場で、選手がユニフォームの胸に日の丸を掲げ、表彰台で頭を垂れるとき、画面の前の私たちは、国籍も世代も超えて、同じ旗の下に立つ一人であることを思い出す。あの高揚は、政治でも、経済でもなく、この旗そのものが呼び覚ます、素朴で健全な誇りである。日常の中にも、同じ誇りは眠っている。ただ、それを呼び覚ます機会が、あまりにも少なくなっただけなのである。
学校においても、入学式や卒業式で国旗を掲げ、国歌を斉唱することは、今なお当たり前ではない。式典の場でどう扱うかをめぐって、長く議論が続いてきた事情も、宮司は承知している。だが、賛否の議論に終始するあまり、子供たちが日の丸そのものの由来や意味を教わる機会が、家庭でも学校でも失われているとすれば、それこそが最も惜しむべきことではないだろうか。
令和の今、宮司は問いたい。日の丸を掲げることは、誰かを威圧することでも、過去を美化することでもない。ただ、この国に生きる自分自身の足元を確かめる、静かな所作である。中今を生きる者として、祖先から受け継いだものへの感謝を、形にすることである。
祝日の朝、玄関先やベランダに日の丸を掲げてみる。それだけのことで、忙しい日常の中に、ふと立ち止まる一瞬が生まれる。子供が「これは何の旗」と尋ねたなら、そこから、建国の由来を、先人の労苦を、そして今この国に生きていることの意味を、語り始めることができる。戸建てであれば庭先にポールを立て、集合住宅であればベランダに掲げられる小ぶりな国旗セットも、今はよく整えられている。形はどうあれ、まず一枚、自分の暮らしのそばに日の丸を置くことから、始めてよいのである。
日本人の誇りとは、声高に叫ぶものではない。日々の小さな所作の積み重ねの中に、静かに宿るものである。挨拶をする。感謝を伝える。祖先を敬う。そして、祝日には旗を掲げる。どれも地味な営みだが、その一つひとつが、次の世代へ手渡すべき国の記憶をつないでいく。
子や孫が、この旗の下で、堂々と自分の言葉で生きる日本人として育ってほしい。旗を見て育った子は、いずれこの国の来し方を知り、行く末を案じる大人になるはずである。宮司は、そう願わずにいられない。
宮司は今日も神前に祈る。白地に紅く輝くこの旗が、これからも日本人の心に静かに翻り続けることを。そして、この国に生きる一人ひとりが、旗の下で受け継いだ祈りと誇りを胸に、次の世代へと手渡していくことを。