宮司はこの数日、体調が優れず、床に伏せっていた。9月11日が近づくと、決まって身体の力が抜け、起き上がることさえ難しくなる。それは、25年前のあの日の記憶と、今も切れずに繋がっているからである。
2001年9月11日、アメリカ同時多発テロが起きた。4機の旅客機がハイジャックされ、そのうちの2機がニューヨークの世界貿易センタービルに突入し、崩れ落ちた。その直後、宮司はただ一人、ニューヨークへ向かった。行き先は、崩壊したばかりのビルの跡地、通称グランドゼロである。あれから、ちょうど25年が過ぎた。
宮司をこの渡航へ突き動かしたのは、神社庁からの指示でも、誰かの依頼でもない。ある夜、夢に神が現れ、「ニューヨークのグランドゼロの現場に行きなさい」と告げられた。何が何だかわからぬまま、宮司は多くの死者の鎮魂のために、単身、太平洋を渡った。日本人の宮司として、どこかの組織から命じられたのではない。ただ、神から命じられて、アメリカに渡ったのである。
日本の神職の正装である狩衣をまとい、烏帽子をかぶり、笏を手にした宮司が、崩壊現場の近くを歩くと、アメリカ人たちは一様に驚いた。すぐに警官が駆け寄り、『ノーノー』と、押し止めようとした。だが宮司は言葉を尽くすまでもなく、フェンスの前に座り、静かに祈り始めた。
やがて警官は、フェンス前で祈ることを許した。それどころか、いつしか自らも地に膝をつき、共に祈り始めたのである。周囲の人々に、「この人は、日本からわざわざ、テロで亡くなった人々の魂を鎮めるために来てくれたのだ」と説明し、宮司の名刺を配って回った。日の丸の旗をフェンスに掲げるのを、手伝ってくれる者もいた。
宮司は、フェンスの前に祭壇を組み、神饌を供え、祝詞をあげた。テープレコーダーから雅楽が流れ、修祓を始めると、周りを取り囲んでいた外国人たちが、初めて膝をついた。多くの人が、宮司とともに祈り始めたのである。
白紙の祝詞は、次々に言霊を発した。「世界平和の共存共栄を祈り、人が人を殺しあう愚かなことを無くし給へと祈る」。殺せば殺され、力には力で、恨みには恨みでしかない。人間と人間が争うことの、なんと虚しいことか。宮司の手にした笏は、震え、涙に濡れた。
ニューヨーク市民が次々と訪れ、感謝の握手を求めた。作業員の作業服に、宮司が「世界は、皆んな家族」と日本語で書きつけると、その作業員は、宮司をきつく抱きしめた。日本の宮司として初めて、3日間にわたる鎮魂の式典を、崩壊現場で号泣しながら執り行ったのである。
宮司にとって、これが初めての被災地行脚ではなかった。阪神・淡路大震災の折も、東日本大震災の折も、宮司は誰に命じられるでもなく、被災地へ足を運んだ。祭壇を組み、神饌を供え、膝をついて祈った。大きな災いがあれば、そこには無念のうちに亡くなった人々の御霊が浮遊している。それを鎮め、天へ送り届けることこそ、神職の務めであると、宮司は信じている。
あの祈りから25年が経った今も、宮司は9月11日の前後になると、体調を崩す。わけもなく涙があふれ、身体が大きく揺れることがある。無念のうちに死んでいった人々の魂の叫びが、今も宮司の身体に呼び戻されるからだろうか。宮司は思う。あの3日間、たしかに多くの死者の魂を、この身に受けたのだと。
鎮魂とは、単なる儀式ではない。国も、民族も、宗教も、言葉も違う者たちが、同じ悲しみの前に膝をつき、ともに涙を流すことである。アメリカの神も、イスラムの神も、日本の神々も、すべては人間を幸せにするために在る。それを、宗教や主義の名のもとに争わせることほど、愚かなことはない。
誰に頼まれたわけでもなく、報酬があるわけでもない。それでも太平洋を越えたのは、私利私欲を離れた、澄んだ一心があったからである。宮司はこれを「素心」と呼ぶ。これは、宮司の神職における名前である。損得を離れ、ただ死者を悼み、生者の平安を願う。その一心が、言葉の通じぬ異国の警官の膝をも折り、見知らぬ市民の涙をも誘ったのだと、宮司は信じている。
令和の今も、世界のどこかで、戦争とテロは絶えない。憎しみが憎しみを呼び、報復が報復を呼ぶ。だが、宮司がグランドゼロで学んだのは、罪は憎んでも、人は憎んではならないということである。国境を越え、宗教を越えて、人はただ、人であるがゆえに、いとおしい。
令和を生きる若者たちよ。あなたの周りにも、国籍や信仰の違いを理由に、心を閉ざしてしまう場面があるかもしれない。だが、どうか思い出してほしい。フェンスの前で、見知らぬ国の宮司と共に膝をついた、あのニューヨークの人々の姿を。悲しみは、言葉や国境を越えて、通じ合うことができるのである。それを知っているだけで、世界の見え方は変わるはずだ。
笏を持つ 手にわが涙 流れ落つ グランドゼロの 慰霊祭仕ふ
宮司は今日も、あの日の光景を胸に、神前に祈る。世界はみんな家族であることを。多くの無念の御霊が、安らかに鎮まりますことを。そして、二度と、人が人を殺しあう愚かな争いが起きぬことを。