東洋道徳、西洋芸術。佐久間象山が令和の防衛装備移転論議に投げかける問い

岩は揺るがない。波の打ち付ける岸辺にあって、形を変えるのはいつも波の側であり、岩はただ静かに存在し続ける。世が騒がしくなるとき、宮司は決まってこの光景を思い浮かべる。日本という国もまた、二千六百年余の歴史の中で、幾度となく押し寄せる時代の波に揺さぶられてきた。鎖国から開国へ、戦争から平和へ、貧しさから豊かさへ。そのたびに国の形を変えたかに見えて、その奥底には変わらぬ岩が静かに鎮座してきた。それを「日本人の魂」と呼ぶか「国体」と呼ぶかは別として、変わらぬものがあるからこそ、変わるものを恐れないでいられるのである。4月21日、政府は防衛装備移転三原則の一部改正を閣議決定した。海外に移転できる装備品の類型が、従来の救難・輸送・警戒・監視・掃海の五類型から拡大されるという。これに対し、ある国は「重大な懸念」を表明し、国内の一部からも「平和国家としての歩みからの逸脱」との声が上がった。宮司はその報せを聞き、ある幕末の思想家のことを静かに思い出していた。

その思想家の名を、佐久間象山という。文化8年に信州松代藩の下級武士として生まれ、若くして儒学を究めた後、開国の必要を痛感して西洋の砲術と科学技術を学んだ稀代の俊英である。象山が遺した言葉に、宮司が幾度も心を打たれてきた一句がある。「東洋道徳、西洋芸術」というその言葉は、東洋の道徳精神を体とし、西洋の科学技術を用とせよ、という思想の凝縮である。象山は西洋の砲術や軍艦の優秀さを誰よりも早く見抜いた人であった。同時に、その技術を取り入れたところで、日本人が日本人としての精神を捨てるなど決してあってはならぬと、骨の髄まで信じていた人でもあった。象山の門下からは勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬といった維新の英傑たちが輩出された。日本の近代化の精神的礎は、この一人の思想家の中に、すでに完成されていたと言ってもよい。

象山の思想は単なる開国論ではない。日本という岩を磨き、波の襲来に耐えうる強さを与えるための、ひとつの確固たる哲学であった。技術は時代と共に変わる。しかし精神は変えてはならない。技術を変えなければ国は守れぬが、精神を変えれば国は失われる。この単純にして深遠な真理を、象山は若き日本人たちに繰り返し説いた。明治の元勲たちが鹿鳴館で洋装に身を包みながらも、その内面に儒学の素養と神道の祈りを失わなかったのは、まさに象山の教えの実践であった。文明開化と国体護持は、決して矛盾するものではない。両者を一つの身体の中で両立させてこそ、日本という国は生き延びてきたのである。

宮司は、令和の防衛装備移転三原則の改正という出来事を、まさにこの象山の系譜の中に位置づけて受け止めている。日本を取り巻く安全保障環境は、戦後の長きにわたり想定されてきたものとは、もはや別物である。一国のみで自国の平和を守ることはできぬという現実を、誰一人として否定することはできまい。そのような時代において、同盟国・同志国と装備品を融通し合い、互いの抑止力を高め合うことは、もはや「平和国家からの逸脱」などではなく、「平和国家であり続けるための工夫」にほかならない。問われるべきは、外形ではなく内実である。すなわち、日本がこの新しい運用の中で、戦後80年余にわたって築き上げてきた節度と慎みを、引き続き守り抜けるかどうか。それが核心である。

ある国が「重大な懸念」と表明したという。宮司はその抗議を、決して恫喝として受け取らない。ただ静かに、一つの問いを返したいだけである。あなたがたの国は、自国の海軍力を世界第二の規模にまで拡張し、近隣諸国の海域に艦艇を出没させ、台湾海峡で実弾演習を繰り返している。それを「正当な行為」と呼びながら、隣国が同志国と装備を融通し合うことを「重大な懸念」と呼ぶ。その論理の非対称性に、当事者ご自身は気づいておられるのか。日本人は決して好戦的な民ではない。むしろ世界で最も平和を希求してきた民族である。しかし「平和を希求する」ということと「身を守る術を持たぬ」ということとは、同義ではない。むしろ正反対である。武を備えてこそ、争いを未然に防ぐことができる。これは古今東西を貫く、人類の動かしがたい知恵である。

戦後80年余、日本は平和国家として歩んできた。この事実は、世界が認めるところである。爆撃機を持たず、空母を持たず、他国の領域を侵すための装備を持たず、ただ自国を守るための装備のみを整えてきた。この姿勢こそが、国際社会における日本への厚い信頼を生んだのである。新しい時代の防衛装備移転は、この信頼の上に立って初めて意味を持つ。象山が遺した「東洋道徳、西洋芸術」の精神に立ち戻り、変わらぬ平和への祈りを胸に、変わりゆく時代の波には毅然と備える。岩は揺るがず、ただ波が形を変えていく。令和の日本人が問われているのは、技術と制度を時代に合わせる柔軟さと、その奥にある精神を決して譲り渡さぬ強さとの、二つを同時に保ち続ける覚悟である。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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