かむながらの道に生きた人。保田與重郎が令和に問いかける、日本人の暮らしの本義

田に水が張られ、泥の匂いが大気に混じるとき、この国の何かが目覚める。その感覚は、言葉では捉えにくい。しかし確かにある。論理ではなく、身体の奥から湧き上がる、何か懐かしいものへの共鳴。宮司は神職の修行を重ねる中で、その感覚の正体を問い続けてきた。そしてある時、一人の文学者の言葉の中に、その答えの輪郭を見つけた。奈良県桜井に生まれ、日本浪漫派の中心として生き、戦後の嵐の中を孤独に歩き続けた評論家、保田與重郎(1910〜1981)である。
「我が国は古来より、米作りによる祭りの暮らしを営んでいる。その暮らしこそが建国の理想そのものであり、日本及び日本人の永遠を約束する。その暮らしは日本人の道徳の基盤であり、さらに戦争という観念さえ生じない、絶対平和の根拠である」
保田はそう書いた。難解な哲学の言語ではない。稲を植え、祭りを執り行い、収穫を神に感謝する。その繰り返しの中に、この国の魂の在り処があると言ったのである。宮司はこの言葉と出会ったとき、長年胸の中にあった問いが、静かに解けていくような感覚を覚えた。
保田與重郎は明治43年(1910年)、奈良県磯城郡桜井町に生まれた。大和の地に育った少年は、古代史跡の薫りの中で感性を磨き、やがて東京帝国大学に進む。在学中から同人誌「コギト」を創刊し、卒業後は亀井勝一郎らと「日本浪漫派」を立ち上げてその中心となった。昭和11年に処女評論集『日本の橋』で池谷信三郎賞を受賞し、時代の寵児となった彼は、以後、古典文学・古美術への深い関心を軸に、反近代・伝統回帰の論陣を張り続けた。しかし戦後、その文業は「右翼文士」として封じられ、公職追放の憂き目に遭う。不遇の時代もなお、彼は郷里で筆を置かなかった。その思想の一貫性を、宮司は武士道に等しいものと見る。
かつて宮司が奉仕した吉水神社のある吉野山は、大和の霊気が凝縮した地である。この神域に奉仕するようになって以来、「かむながら」という言葉の重みを、繰り返し考えてきた。かむながらとは、神の道に随うこと、人の作為を超えた自然の流れに身を委ねることである。保田はその言葉を自らの生き方の根幹に据えた。彼の代表的な映像作品のタイトルは「自然(かむながら)に生きる」である。大和の田畑と祭事と史跡を映しながら、人の暮らしが神の意志の顕現であることを問いかけるその作品に、宮司は何度も向き合ってきた。
保田が生涯をかけて守り通した思想の核心は何か。それは、近代とは何かへの根本的な問いである。西洋近代は、自然を征服し、効率を追求し、精神よりも物質を上位に置いてきた。それは確かに豊かさをもたらしたが、同時に何かを奪った。人間が自然の一部であるという感覚、先祖との繋がり、共同体の温もり、祭りの中に神を感じる心。保田はそれらを「近代」が解体していくことを、誰よりも早く見抜いていた。「近代の終焉」という彼の言葉は、敗戦後の自己弁護ではなく、文明史的な必然への洞察であった。
令和の今、宮司にはこの問いが他人事に思えない。スマートフォンの画面に囲まれ、農業は産業となり、祭りは観光となりつつある。コメの消費量は年々減り、田んぼは宅地に変わっていく。そして若者の多くが、自分の食べるものがどこから来るのかを知らずに育つ。保田が懸念したこと——「米作りによる祭りの暮らし」が失われれば、日本人としての魂の根が腐る——という警告は、二百年前の話ではなく、今この瞬間の出来事として宮司の眼前に現れている。
保田は戦争に負けた後もこう言い続けた。「大東亜戦争に負けても、日本は正しい。近代は終焉する」と。この言葉は敗者の強弁ではない。彼が守ろうとしたのは、軍事的な勝敗を超えた、日本という文明の在り方であった。アメリカ主導のグローバリズムが跋扈し、国益の概念さえ見失いつつある今日、保田の言葉は預言のような響きを持って迫ってくる。「欧米の思想にノーと言える精神を持て」という彼の叫びは、令和の日本人が今こそ受け取るべきメッセージではないか。
保田與重郎は郷里の大和をこよなく愛した。桜井の神武天皇聖蹟・等彌神社に碑を建て、万葉集発耀の碑を据え、天覧相撲発祥の伝統を顕彰した。彼にとって文学とは観念の遊戯ではなく、土と祭りと先祖に根ざした生命の営みそのものであった。その生き方は、宮司が奉仕した吉野の神域と深く通じている。吉野もまた、古来より「かむながら」の霊気が満ちる場所であり、後醍醐天皇が命を賭けて守ろうとした、日本の魂の聖地である。保田の思想と吉野の精神は、大和という一つの土壌から湧き出た、同じ水脈である。
本居宣長は大和心を問われたとき、山桜を指し示した。保田與重郎は日本の理想を問われたとき、田んぼと祭りを指し示した。どちらも難解な哲学ではなく、この国の暮らしの中に、答えはすでにあると言ったのである。根を持つ民族は、嵐の中でも倒れない。根を忘れた民族は、穏やかな時代にこそ静かに朽ちていく。米を植え、神に祈り、祖先に感謝し、次の世代に命を渡す。その繰り返しの中に、日本人の魂の永遠がある。保田がかむながらに生きた大和の地から、令和の私たちへ、その問いは今日も届いている。
