心の態度が人生を決める

人間にとって本当に大切なものは何か。知識か、地位か、財産か、それとも頭の良さか。宮司は、長い人生を歩む中で、それらよりもさらに根本にあるものが、人の心の態度だと考えるようになった。
どれほど豊かな知識を持っていても、どれほど優れた才能に恵まれていても、心の向きが間違っていれば、その力は正しく生かされない。反対に、学問や財産に恵まれなくとも、真剣に物事へ向き合い、謙虚に学び、誠実に生きようとする者は、やがて周囲から信頼され、自らの道を切り拓いていく。
人生を決めるのは、置かれた環境だけではない。その環境を、どのような心で受け止めるかである。
同じ困難に遭っても、ある者は「なぜ自分ばかりが」と嘆き続ける。ある者は、その困難から何を学ぶべきかを考え、自らを磨く機会として受け止める。目の前にある出来事は同じでも、心の態度によって、その後の人生は大きく変わっていく。
宮司は、人生とは心の持ち方によって、光にも闇にもなるものだと思っている。
不平不満を抱きながら生きれば、どれほど恵まれた場所にいても、心は満たされない。他人を羨み、責任を周囲へ押しつけ、自分の不遇ばかりを数えていれば、やがて人の心は曇っていく。
しかし、与えられたものに感謝し、自らの足りない部分を省み、今日できることに力を尽くすならば、どれほど厳しい境遇の中にあっても、人は希望を失わずに生きることができる。
心の態度とは、気分のことではない。
今日は明るい気分だから前向きに生きる。明日は嫌なことがあったから投げやりになる。そのように、その時々の感情に振り回されることではない。
心の態度とは、自分はいかに生きるのかという、人生に対する根本の構えである。
困難から逃げない。人のせいにしない。約束を守る。受けた恩を忘れない。間違いに気づけば改める。人が見ていないところでも、自らを律する。
そうした日々の積み重ねが、その人の心の態度をつくっていく。
人の本当の姿は、順調な時には分かりにくい。仕事がうまくいき、人から褒められ、何不自由なく過ごしている時には、誰でも穏やかでいられる。
しかし、思いどおりにならない時、損をした時、批判された時、裏切られた時に、その人の心の本質が現れる。
怒りに任せて他人を傷つけるのか。自分の非を認めず、責任から逃げるのか。それとも、感情を鎮め、相手の言葉にも耳を傾け、自分がなすべきことを考えるのか。
苦しい時にこそ、その人が日頃、何を大切にして生きているのかが明らかになる。
宮司も、これまで決して平坦な道だけを歩いてきたわけではない。思いが伝わらないこともあった。誤解を受けることもあった。尽くしても報われず、孤独を感じる時もあった。
それでも、苦しい出来事のたびに考えてきた。
この出来事は、自分に何を教えようとしているのか。自分には、まだ何が足りないのか。ここで腐るのか、それとも一段高い人間になるのか。
人生で起きる出来事を、ただ災難として終わらせるか、自らを磨く糧に変えるかは、自分の心次第である。
刀は、何度も火に入れられ、槌で打たれ、冷たい水に浸されることで強くなる。人間の心も同じだ。厳しい現実に打たれ、自分の弱さと向き合い、立ち上がることを重ねる中で、少しずつ強さを身につけていく。
苦労を知らない者が悪いのではない。しかし、苦労に出会った時に、それをただ恨みの材料にするのか、人間として成長する機会にするのか。そこに大きな違いが生まれる。
宮司は、頭の良さを軽んじているわけではない。学問は大切であり、知識も必要である。しかし、知識は使う者の心によって、善にも悪にもなる。
優れた頭脳を自分の利益だけに使う者もいる。他人を言い負かし、自分の正しさを誇るためだけに知識を振り回す者もいる。そのような学問は、人間を立派にするどころか、かえって傲慢にしてしまう。
本当に学問を身につけた者は、自分の知らないことの多さを知り、謙虚になる。相手の立場を考え、自分の知識を世のため人のために生かそうとする。
学問の目的は、頭を飾ることではない。人間を磨くことである。
何のために学ぶのか。誰のためにその知識を使うのか。そこに正しい心の態度がなければ、学問は単なる道具に過ぎない。
これは仕事でも同じである。
能力が高いことだけで、立派な仕事人になれるわけではない。挨拶をする。時間を守る。人の話をよく聞く。失敗を隠さない。任された仕事を最後までやり遂げる。
当たり前に思えることを、当たり前に続けられる人こそ、周囲から信頼される。
仕事とは、技術だけでするものではない。心でするものだ。
どれほど小さな仕事であっても、真心を込める。誰も見ていなくても手を抜かない。自分の仕事が、誰かの暮らしを支えていることを忘れない。
その心が、仕事に魂を与える。
宮司は、神社での奉仕も同じだと考えている。祝詞を正しく奏上することも、祭典を滞りなく執り行うことも大切である。しかし、形だけ整っていても、そこに敬神の心がなければ、真の奉仕とはいえない。
境内を掃き清める時にも、参拝者を迎える時にも、神さまにお仕えしているという心を忘れない。一枚の落ち葉を拾うことも、一人の参拝者へ頭を下げることも、すべて神事につながっている。
心の態度は、特別な時だけに現れるものではない。むしろ、誰も注目しない日常の中に現れる。
履物を揃える。使った物を元へ戻す。食事に感謝する。人から受けた親切に礼を言う。約束したことを守る。
小さなことを粗末にする者は、やがて大きなことも粗末にする。小さなことに心を込められる者は、大きな責任を任されても誠実に果たすことができる。
人生は、大きな出来事だけでつくられるのではない。何気ない一日、一つの言葉、一つの振る舞いの積み重ねによってつくられていく。
「心を正しく持ちなさい」と言うのは簡単である。しかし、人間の心は放っておけば、楽な方へ、怠ける方へ、自分に都合のよい方へ流れていく。
だからこそ、日々自分の心を点検しなければならない。
今日、人に対して不親切ではなかったか。自分の都合ばかりを優先しなかったか。感謝すべきことを当然と思わなかったか。言い訳をして、なすべきことから逃げなかったか。
一日の終わりに、自分自身へ静かに問いかける。その積み重ねが、人の心を整えていく。
神前に立つことも、自らの心を整えるためである。
神さまは、人間の願いを何でもかなえるためにおられるのではない。神前で頭を下げ、自分の小ささを知り、心の汚れを払い、正しい道へ戻る。そのために私たちは神社へ参拝する。
願い事を申し上げる前に、まず感謝する。
今日も命をいただいていること。家族がいること。働けること。食事をいただけること。雨や風、太陽の恵みに生かされていること。
感謝の心を持つと、人の見える世界は変わる。不足ばかり数えていた心が、すでに与えられている多くの恵みに気づき始める。
感謝は、人を弱くするものではない。むしろ、人を強くする。
自分は一人で生きているのではないと知るからこそ、受けた恩に報いようという力が湧く。祖先や父母、家族、地域、国家から受けたものを、次の世代へ返そうという志が生まれる。
宮司は、人生の価値は、何を得たかだけで決まるものではないと思っている。
何を与えたか。誰のために尽くしたか。苦しい時にも、どのような心を守ったか。人生の最後に問われるのは、そのようなことではないか。
財産も地位も、死ねばこの世に置いていく。しかし、人に与えた親切、守り抜いた約束、次の世代へ伝えた志は、自分が亡くなった後も残っていく。
心の態度とは、自分だけの問題ではない。
親の心は子供へ伝わる。指導者の心は組織へ広がる。政治家の心は国のあり方を左右する。一人ひとりの心の態度が、家庭をつくり、社会をつくり、国家をつくる。
国が乱れる時には、制度の問題だけではなく、人の心の乱れがある。責任より権利を求め、奉仕より利益を優先し、恥を知らず、誠を軽んじる者が増えれば、どれほど立派な制度をつくっても国は良くならない。
日本を立て直すためには、一人ひとりが自らの心を立て直さなければならない。
国を変えてほしいと願う前に、自分の家庭で正しい生き方を示す。社会を批判する前に、自分が約束を守る。政治家に責任を求めるなら、自分も与えられた務めを果たす。
人任せにせず、まず自分から始める。その心が必要である。
宮司は、人間の価値は、生まれや肩書ではなく、日々どのような心で生きているかによって決まると考えている。
苦しい時にも感謝を忘れない。成功した時にも驕らない。失敗した時には素直に反省する。困っている人がいれば手を差し伸べる。自分の損得を越えて、正しいと思う道を歩む。
そのような人間でありたい。
頭の良さを誇るより、心を磨くこと。人から評価されることを求めるより、神さまや祖先の御前に恥じない生き方をすること。
心の態度が変われば、言葉が変わる。言葉が変われば、行いが変わる。行いが変われば、習慣が変わる。そして習慣が変われば、人生が変わる。
人生を変える第一歩は、遠い場所にはない。
今、この瞬間に、どのような心で目の前のことに向き合うか。
宮司は、それこそが人間にとって最も大切な学びであり、生涯をかけて修めるべき道であると信じている。
