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安倍晋三元総理銅像建立

人の本性は、去り際にあらわれる

人の値打ちは、最後の一歩にあらわれる

人の本性は、去り際にあらわれる。宮司は、長い人生の中で幾度となく、そのことを思い知らされてきた。

人は、出会いの瞬間には誰しも礼を尽くそうとする。初対面の相手には丁寧に頭を下げ、言葉を選び、表情を整える。仕事の始まり、会合の始まり、神前に進むとき、そこには一定の緊張があり、人は自然と姿勢を正す。

しかし、本当にその人の心根が見えるのは、始まりではない。むしろ、終わりである。別れ際、帰り際、店を出るとき、席を立つとき、役目を終えてその場を離れるとき、その一瞬の態度、表情、言葉に、その人の人間性がにじみ出る。

ありがとうございました、と心を込めて言えるか。相手の目を見て、きちんと頭を下げられるか。後に残る人のことを思い、静かに場を整えられるか。自分が立ち去った後に、その場が清々しく残るか。そこに、人間の値打ちがあらわれるのである。

去り際とは、その人の生き方の総決算である

宮司は、若き日より警察官として、数多くの現場に立ってきた。人の怒り、人の悲しみ、人の恐怖、人の弱さ。言葉では飾れぬ極限の場において、人間の本質は隠しようもなく表に出る。

声の大きさではない。肩書きでもない。理屈でもない。最後にどう振る舞うか。去るときに何を残すか。それが、その人の生き方を物語る。

神社に参拝される方々を見ていても、同じことを感じる。鳥居をくぐり、手を合わせ、祈りを捧げる姿は、皆、美しい。しかし、さらに心を打つのは、参拝を終えた後である。振り返って一礼する人がいる。境内の落ち葉をそっと拾う人がいる。宮司に深く頭を下げ、静かに帰っていく人がいる。言葉少なであっても、その後ろ姿に誠が宿っている。

ああ、この人は美しい心を持っている。宮司は、そう感じることがある。

反対に、どれほど立派な言葉を並べても、去り際が乱れていれば、その言葉は軽くなる。礼を欠き、感謝を忘れ、後始末を他人に任せ、自分だけが済んだ顔で立ち去る。それでは、どれほど正しいことを語っても、人の心には残らない。

人は、去り際に試されているのである。

終わりを美しくすることは、心を清めることである

人生もまた同じである。一つの仕事を終えるとき。一つの役目を退くとき。一つの土地を離れるとき。一人の人と別れるとき。そのときに、恨みを残すのか。感謝を残すのか。不平を残すのか。祈りを残すのか。それによって、その人の歩んできた道の意味が変わってくる。

人間は、どうしても始まりばかりを飾ろうとする。新しい出発、新しい挑戦、新しい計画。それも大切である。しかし、終わりを美しくすることは、それ以上に大切である。

終わりを美しくできる人は、始まりもまた美しい。去り際に礼を尽くせる人は、出会いにも誠を尽くせる。別れを粗末にしない人は、人との縁を粗末にしない。

日本人は昔から、そこに深い美意識を持ってきた。「立つ鳥跡を濁さず」という言葉がある。これは単なる片付けの心得ではない。自分がいた場所を、清く、美しく、次の人へ渡すという生き方の教えである。

部屋を整える。道具を元に戻す。世話になった人へ礼を述べる。不満があっても、最後は感謝で結ぶ。自分の感情よりも、場の清浄を重んじる。そこに、日本人の品格がある。

去り際にこそ、誠が宿る

いまの世の中は、自己主張が強くなりすぎているように思う。自分の言い分を通すこと。自分の正しさを示すこと。自分の損得を守ること。そればかりに心を奪われ、最後の礼を忘れてしまう人が少なくない。

しかし、本当に立派な人は、最後の一歩にこそ心を配る。去るときに相手の心を傷つけない。終えるときに場を荒らさない。別れるときに感謝を忘れない。退くときに、なお祈りを残す。その静かな姿に、人は深く打たれるのである。

安倍晋三元総理の御生涯を思うとき、宮司はそこにもまた、去り際の重みを感じる。突然に奪われた御命であった。しかし、その生涯が残したものは、怨みではない。日本を取り戻すという志、国を思う心、世界に信義を尽くした姿、そして、多くの人々の胸に灯った祈りである。

人の命には限りがある。いつか誰もが、この世を去る。そのとき、何を残すのか。財産か、名声か、地位か。それらは、時が経てば薄れていく。しかし、誠は残る。祈りは残る。人に尽くした心は残る。美しい去り際は、後に生きる者の胸に灯となって残る。

日々の去り際を整える

だからこそ、日々の小さな去り際を粗末にしてはならない。朝、家を出るとき。人と話し終えるとき。電話を切るとき。食事を終えるとき。神社を後にするとき。一日の務めを終えて床に就くとき。その一つひとつに、その人の心があらわれる。

人は、大きな場面だけで立派になるのではない。小さな場面を、どれほど丁寧に生きるかで磨かれていく。去り際を正すことは、心を正すことである。心を正すことは、生き方を正すことである。生き方を正すことは、国を正すことにも通じていく。

今日も、誰かと会う。今日も、どこかへ赴く。今日も、何かを終える。そのたびに、自らに問いたい。自分は、感謝を残しているか。自分は、礼を尽くしているか。自分は、場を清めて去っているか。自分は、人の心に、静かな灯を残しているか。

人の本性は、去り際にあらわれる。ならば、去るときこそ、誠を尽くしたい。別れるときこそ、祈りを込めたい。終えるときこそ、美しくありたい。その積み重ねが、人をつくる。その積み重ねが、品格をつくる。その積み重ねが、日本人の心を守るのである。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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