8月15日を「英霊に感謝する日」に

8月15日が近づくたびに、宮司は考える。この日を、ただ「終戦記念日」と呼んでよいのだろうか。そもそも「記念日」という言葉には、何かを祝い、喜び、後世に記念するという響きがある。8月15日は、本当にそのような日なのだろうか。宮司には、どうしても違和感がある。
8月15日は、日本が戦争に敗れた日である。そして何より、その敗戦に至るまでに、祖国を守るため、家族を守るため、尊い命を捧げられた多くの英霊を思う日ではないのか。今、我々が平和な日本で暮らしている。その平和は、ある日突然、空から降ってきたものではない。父がいた。母がいた。妻がいた。幼い子供がいた。それでも祖国の行く末を思い、戦地へ赴き、再び故郷の土を踏むことなく散っていった人々がいた。その尊い命の上に、今日の日本がある。だから宮司は、8月15日を「敗戦の日」だけで終わらせたくない。むしろ、「英霊に感謝する日」と呼びたいのである。
政府は8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と定めている。しかし宮司は、そこからさらに1歩進んで考えたい。ただ悲しむだけではない。ただ「戦争は悲惨だった」と繰り返すだけでもない。英霊が何を思い、何を守ろうとし、我々に何を残したのかを考える日でなければならない。
大東亜戦争をめぐる歴史には、さまざまな見方がある。戦争によってアジア各地に甚大な犠牲が生じたことも、決して忘れてはならない。しかし同時に、日本の敗戦前後を境として、欧米列強の植民地支配下にあったアジア諸地域で独立への流れが大きく進んだという歴史もある。歴史は、1つの言葉だけで片づけられるほど単純ではない。「日本だけが悪かった」「すべてが侵略だった」と1方向からのみ歴史を眺めていては、先人が生きた時代の本当の姿は見えてこない。
宮司は以前から繰り返し申し上げている。日本側の歴史も読む。アジアの歴史も読む。欧米側の歴史も読む。そして、自分の頭で考えるのである。英霊を敬うことは、戦争を賛美することではない。戦争の悲惨さを知ることと、祖国のために命を捧げられた先人に感謝することは、何ら矛盾するものではない。
敗戦によって、日本は多くのものを失った。国土を失い、多くの命を失い、町は焼け、家族は引き裂かれた。しかし、失ってはならなかったものまで失ってしまったのではないか。それが、日本人としての誇りである。祖国を愛する心である。祖先を敬う心である。そして「大和魂」である。
大和魂とは、他国を憎む心ではない。人を威圧することでもない。刀を振り回し、力を誇示することでもない。困難にあっても己を律し、礼節を失わず、受けた恩を忘れず、守るべきもののためには命を懸ける。その日本人の心である。宮司が考える大和魂とは、そのような静かで強い精神なのである。
戦争に負けたからといって、民族の誇りまで捨てる必要はない。敗れたからといって、祖国を愛することまで恥じる必要はない。むしろ、敗戦から立ち上がり、焼け野原から今日の日本を築いた先人たちの強さにこそ、我々は学ばなければならない。日本人は、幾度も困難に遭い、そのたびに立ち上がってきた民族である。
8月15日は、そのことを思い出す日にしたい。英霊に手を合わせ、「今日の日本を残してくださり、ありがとうございました」と申し上げる日にしたい。そして、英霊の御前で自らに問いかけるのである。「あなた方が命を懸けて守ろうとした日本を、我々は立派な國にしていますか」「子や孫に、胸を張って渡せる日本にしていますか」と。
英霊への感謝とは、頭を下げることだけではない。今を生きる我々が、日本を立派な國として次の世代に渡すことである。それが本当の慰霊であり、本当の恩返しではないだろうか。
8月15日を、行動の日に
しかし、感謝の心も、胸の内にしまったままでは、やがて薄れていく。宮司は、8月15日に三つのことをしていただきたいと思う。靖國を正しく知ること。遺された言葉に触れること。そして、日の丸を掲げること。
いずれも大げさなことではない。静かに、しかし確かに、先人への感謝を次の世代へ渡すための行いである。
まず、靖國を正しく知る
靖國神社については、政治的な言葉ばかりが先に立つ。しかし、誰が、どのような思いで祀られているのかを知らなければ、参拝の意味も、そこに込められた祈りも見えてこない。賛成か反対かを急ぐ前に、まず自分で学ぶことである。
『私はなぜ靖国神社で頭を垂れるのか』は、外国人研究者の視点から靖國と日本人の慰霊を考える一冊である。自分とは異なる眼を通して見つめることで、かえって日本人が忘れかけていたものに気づくことがある。
遺された言葉に触れる
英霊という言葉を、遠い歴史上の存在として受け止めてはならない。1人ひとりに名前があり、家族があり、帰りたい故郷があった。遺書を読めば、そのことが胸に迫ってくる。
そこにあるのは、勇ましい言葉ばかりではない。父母への感謝、妻への詫び、子供の成長を願う心。死を前にしてなお、愛する人の幸せを祈った日本人の肉声である。1通でもよい。8月15日に、その言葉に静かに触れてほしい。
日の丸を掲げ、感謝を形にする
日の丸は、誰かを威圧するための旗ではない。遠い祖先から今を生きる我々へ、そして我々から子や孫へと受け継ぐ日本國のしるしである。
8月15日の朝、玄関に日の丸を掲げる。家族で正午の黙祷を捧げる。そして子供たちに、なぜ今日この旗を掲げるのかを語る。それだけでも、慰霊の心は家庭の中で次の世代へ受け継がれていく。
祈りを、次の世代へ
本を一冊読む。遺された言葉に触れる。日の丸を掲げる。そして、靖國の杜に足を運ぶ。どれか一つでよい。大切なのは、8月15日を何となく通り過ぎないことである。
感謝は、行いとなって初めて次の世代に伝わる。今を生きる我々がその第一歩を踏み出すことこそ、英霊への誠であると宮司は思う。
宮司は8月15日を、ただ敗戦を振り返る日にはしたくない。「英霊に感謝する日」「日本人としての誇りを取り戻す日」、そして「大和魂を次の世代へ受け継ぐ日」。そのような日にしていきたいと願っている。
敗戦しても、日本は滅びなかった。日本人の心も滅びなかった。ならば今こそ、胸を張ろう。先人に感謝しよう。祖国を愛そう。そして、日本人としての誇りを、次の世代へ堂々と手渡していこうではないか。
