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国旗、皇室の祈り、和紙、日本茶など、日本の文化を身近に感じられる品をご案内します。

国旗

日本製の日の丸

軽く、しわになりにくい生地を用いた日本製の国旗です。家庭や事業所での掲揚に。

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皇室・祭祀

『宮中祭祀―連綿と続く天皇の祈り』

天皇の祈りと宮中祭祀について学び、日本の伝統への理解を深めるための一冊です。

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日本茶・海苔

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江戸の文化と味を未来へ

日本製・越前和紙の御朱印帳

ちりめん生地と越前和紙を用いた、日本製の御朱印帳です。参拝の記録を大切に残す一冊として。

誓約。潔白は言葉ではなく、覚悟によって示すもの

『古事記』には、天照大御神と建速須佐之男命が、天の安河を挟んで「誓約」を行う場面がある。誓約は「うけひ」と読み、神意に従って物事の真偽や心の正邪を明らかにしようとする、神聖な誓いである。

宮司は、この誓約の物語を読むたびに、人間の潔白とは何によって証明されるのかを考えさせられる。自分には邪心がないと、口で申し立てるだけでは足りない。誠の心は、言葉だけではなく、その人の覚悟と、その後に現れる結果によって示されなければならない。

建速須佐之男命は、亡き母のいる根の堅州国へ行きたいと泣き続け、父神である伊邪那岐大御神から海原を治める国を追放された。そして、根の国へ向かう前に、姉神である天照大御神へ事情を申し上げようとして、高天原へ昇られた。

ところが、その勢いはあまりにも凄まじいものであった。須佐之男命が天へ昇ろうとすると、山川はことごとく動き、国土全体が震えたという。

天照大御神は、その異変を聞いて警戒された。

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「弟が昇って来るのは、善良な心からではないであろう。私の国を奪おうとしているのかもしれない」

そう考えられた天照大御神は、髪を解いて勇ましくみづらに結び、八尺の勾玉を連ねた御統の珠を身に巻きつけ、背には千本の矢を収めた靫を負い、脇にも五百本の矢を備えられた。弓を手にし、大地を踏みしめ、土を蹴散らしながら、須佐之男命を待ち受けられたのである。

宮司は、この天照大御神の御姿に、国を治める者の覚悟を見る。

相手が弟であっても、国を奪う疑いがあるならば、情に流されてはならない。身内だからといって警戒を怠らず、守るべきもののためには武装して立ち向かう。天照大御神は、ただ穏やかに光を照らすだけの神ではない。国土と秩序を守るためには、毅然として弓を構えられる神である。

慈しみと厳しさは、相反するものではない。本当に大切なものを守ろうとするならば、時には厳しくならなければならない。何をされても黙って受け入れることが、優しさではない。疑うべき時に疑い、備えるべき時に備え、守るべきものを守り抜く。それもまた、責任ある者の務めである。

天照大御神が「なぜ昇って来たのか」と問われると、須佐之男命は答えられた。

「私に邪心はありません。父神から追放されたため、亡き母の国へ向かいます。その事情を申し上げるために参りました。謀反の心はありません」

しかし、天照大御神は、言葉だけでその申し立てを信じられたわけではない。

「ならば、お前の心が正しいことを、どのようにして証明するのか」

この問いは重い。

人は、自らを正しいと言う。自分には悪意がない、自分は嘘をついていない、自分こそ正義だと主張する。しかし、人の心は目には見えない。いくら美しい言葉を並べても、その言葉だけで心の中まで証明することはできない。

須佐之男命は答えられた。

「それぞれ誓約をして、御子を生みましょう」

こうして二柱の神は、天の安河を挟んで誓約を行うこととなった。

天照大御神は、須佐之男命が佩いていた十拳剣を受け取り、それを三つに折り、天の真名井の水で清め、噛み砕いて吹き出された。その息の霧から、多紀理毘売命、市寸島比売命、多岐都比売命の三柱の女神が生まれた。

この三柱の女神は、後に宗像三女神として祀られる神々である。多紀理毘売命は沖津宮、市寸島比売命は中津宮、多岐都比売命は辺津宮に鎮まり、海上交通を守り、国と国、人と人とを結ぶ尊い神々として信仰されてきた。

次に須佐之男命は、天照大御神が身につけていた八尺の勾玉の御統を受け取り、同じように真名井の水で清め、噛み砕いて吹き出された。

そこから、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命、天之菩卑能命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命の五柱の男神が生まれた。

天照大御神は、後に生まれた五柱の男神について、自らが身につけていた勾玉から生まれたため、自分の御子であるとされた。一方、先に生まれた三柱の女神は、須佐之男命の十拳剣から生まれたため、須佐之男命の御子であるとされた。

須佐之男命は、自らの持ち物から心優しい女神が生まれたことをもって、自分の心が清らかであった証しとされた。そして、天照大御神もまた、その潔白を認められたのである。

『古事記』と『日本書紀』では、この誓約の描き方や、勝敗の考え方に違いがある。しかし、その違いを越えて伝わってくるのは、神々の前における誓いが、決して軽いものではなかったということだ。

宮司が大切だと思うのは、誓約が単なる勝ち負けの物語ではないということである。

須佐之男命は、自分の潔白を示すために、神聖な誓いを立てられた。そこには、もし自らの言葉が偽りであるならば、神意によって裁かれても構わないという覚悟があったはずだ。

本来、誓うとは、それほど重いものである。

ところが現代では、言葉があまりにも軽くなってしまった。公の場で約束しても、都合が悪くなれば言い換える。責任を問われれば、記憶にない、知らなかった、誤解を招いたと述べて逃れようとする。謝罪の言葉を口にしながら、同じ過ちを繰り返す者もいる。

言葉に魂がこもっていないのである。

神前での誓いは、他人に聞かせるための美辞麗句ではない。自らの生き方を神さまに申し上げ、その言葉に自分の命と責任を懸けることだ。

宮司は、誓いとは、未来の自分を縛るためにあるのではなく、未来の自分を正しい道へ導くためにあると思っている。

人間の心は弱い。その時には正しいと分かっていても、欲に迷い、恐れに負け、楽な方へ流されることがある。だからこそ、神前で決意を申し上げる。苦しい時にも逃げず、誘惑に負けず、今日立てた志を忘れないよう、神さまに見守っていただくのである。

誓いを立てたならば、それを守る努力を続けなければならない。誓いの尊さは、口にした瞬間に決まるのではない。その後、何年、何十年と守り続ける日々によって、初めて重みを持つ。

夫婦の誓いも同じだ。仕事への誓いも同じだ。国に尽くすという誓いも、祖先を敬うという誓いも、自らの志を貫くという誓いも同じである。

晴れた日に誓うことは容易である。困難が訪れた時にも、その誓いを守れるかどうか。損をしても、孤立しても、誤解されても、自らが正しいと信じた道を歩み続けられるかどうか。そこに、その人の真価が現れる。

また、この神話は、疑うことのすべてが悪いわけではないと教えている。

天照大御神は、須佐之男命を疑われた。しかし、それは根拠のない悪意からではない。山川が揺れ、国土が震えるほどの勢いで昇って来た者を前に、国を守る神として警戒されたのである。

信じることは尊い。しかし、何も確かめずに信じることと、真に相手を信頼することは同じではない。国や組織、人々の暮らしを預かる者には、相手の言葉を確かめる責任がある。

大切なのは、疑ったまま相手を断罪しないことだ。

天照大御神は、須佐之男命の言い分を聞かれた。そして、潔白を示す方法を問い、誓約の結果を受けて、その申し立てを認められた。疑いを持ちながらも、証しが示された時には認める。ここに、公正さがある。

最初から敵と決めつけ、自分に都合のよい証拠だけを集め、相手の言葉を一切聞かない。それは公正な判断ではない。反対に、身内や親しい者だからといって、何の確認もせずに信じることも公正ではない。

疑うべき時には疑い、確かめるべきことは確かめる。そして潔白が明らかになれば、素直に認める。その心が、社会の信頼を守るのである。

誓約によって生まれた神々は、その後、日本各地の氏族の祖神となり、人々から篤く祀られてきた。天照大御神と須佐之男命の間で行われた誓いは、その場だけで終わったのではない。そこから生まれた神々の御神徳は、長い時を越えて日本の国土と人々を守り続けている。

一つの誓いが、後世へ大きな流れを生む。人間の誓いもまた同じである。

父や母が立てた志が、子や孫へ受け継がれる。先人が国を守ろうと決意したからこそ、今の私たちがある。誰にも知られないところで責任を果たした人々の積み重ねが、社会の秩序と信頼を支えている。

私たちは、自分一人のためだけに生きているのではない。今日どのような言葉を発し、どのような約束を守り、どのような責任を果たすか。その一つひとつが、次の世代の国の姿をつくっていく。

宮司は、神前で願い事を申し上げるだけでなく、自らの誓いも申し上げてほしいと思う。

「人を欺かず、誠を尽くします」

「困難から逃げず、自分の務めを果たします」

「祖国と家族を大切にします」

「受けた恩を忘れず、世のため人のために働きます」

立派な言葉でなくてもよい。大切なのは、自分が本当に守ろうと思うことを、神さまに申し上げることである。

そして、神前を離れた後の日常において、その誓いを実践する。誰も見ていない時にも約束を守る。損得ではなく、善悪によって判断する。言ったことに責任を持つ。

神さまは、口先ではなく、その人の日々を見ておられる。

誓いとは、神さまを試すものではない。自らの心を神さまの御前にさらし、偽りのない生き方を貫く覚悟を立てることである。

潔白は、大きな声で主張するものではない。日々の行いによって静かに示すものだ。誠の人は、自分が誠実であると繰り返し語らなくとも、その生き方が証明する。

天の安河で行われた誓約は、今を生きる私たちにも問いかけている。

お前の言葉に偽りはないか。

お前は、その言葉に責任を持てるのか。

お前の潔白を、どのような生き方によって示すのか。

その問いから逃げず、神さまの御前にも、人の前にも、恥じることのない毎日を積み重ねること。

それこそが、日本人が取り戻すべき誓いの心である。

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日本製・越前和紙の御朱印帳

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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