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日本の伝統と文化を、暮らしの中へ

国旗、皇室の祈り、和紙、日本茶など、日本の文化を身近に感じられる品をご案内します。

国旗

日本製の日の丸

軽く、しわになりにくい生地を用いた日本製の国旗です。家庭や事業所での掲揚に。

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皇室・祭祀

『宮中祭祀―連綿と続く天皇の祈り』

天皇の祈りと宮中祭祀について学び、日本の伝統への理解を深めるための一冊です。

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日本茶・海苔

山本山オンラインショップ

江戸時代から続く老舗の日本茶と海苔。日々の食卓や、大切な方への贈り物に。

江戸の文化と味を未来へ

日本製・越前和紙の御朱印帳

ちりめん生地と越前和紙を用いた、日本製の御朱印帳です。参拝の記録を大切に残す一冊として。

神さまは、苦しむあなたを微笑みながら見守っている

人は苦難の中に置かれると、神さまに助けを求める。「どうか、この苦しみを取り除いてください」「なぜ私だけが、このような目に遭わなければならないのですか」と、天を仰いで嘆く。宮司も、長い人生の中で幾度となく苦難に出会い、思うようにならぬ現実の前に立たされてきた。しかし、歳月を重ね、修行を続ける中で、神さまは人間が考えるような形で助けてくださるのではないと感じるようになった。

神さまは、あなたが苦しんでいる時、慌てて駆け寄り、すべての困難を取り除こうとはされない。「かわいそうだから、これ以上苦しまないようにしてあげよう」と、人生の坂道を平らにしてくださるわけでもない。むしろ、歯を食いしばり、迷い、もがき、それでも立ち上がろうとするあなたを、どこか嬉しそうに見守っておられる。

「そうだ。しっかり悩みなさい。存分に苦しみなさい。その苦しみの中で、自分の弱さと向き合い、自らの魂を磨きなさい。昨日よりも、また少し輝いている」

神さまは、そのように微笑みながら、私たちを見ておられるのではないかと宮司は思う。

親が幼い子どもの成長を願う時、何もかも先回りして取り除くことが、本当の愛とは限らない。転びそうになるたびに抱き上げ、失敗しそうになるたびに手を出していたなら、子どもは自分の足で立つことを覚えられない。転んで痛みを知り、自ら起き上がることで、足腰も心も強くなる。

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神さまの慈しみも、これと似ている。苦難が訪れないように守ることだけが御加護ではない。困難の中にあっても折れない心を育て、倒れても再び立ち上がる力を引き出してくださることも、また大いなる御加護である。

私たちは、苦しみを不幸と決めつける。しかし、目の前の出来事が本当に禍なのか、それとも福へ至る入口なのかは、その時には分からない。楽な道を歩んだから立派な人間になるとは限らず、苦難に遭ったから不幸な人生になるとも限らない。むしろ、厳しい冬を越えた樹木ほど、地中深くまで根を張る。強い風に吹かれた木ほど、簡単には倒れぬ幹をつくる。

鉄は火に入れられ、打たれ、冷やされることで、強い刃となる。玉もまた、磨かなければ光を放たない。人間の魂も同じである。悔しさ、悲しみ、孤独、失敗、裏切り、病、別れ。できることなら避けたい出来事の一つひとつが、人の心に付着した慢心や甘えを削り、本来の輝きを現していく。

宮司は、苦難そのものを喜べと言っているのではない。苦しい時に、無理に笑う必要もない。悲しい時には涙を流せばよい。悔しい時には、悔しさを噛みしめればよい。しかし、そこで自分を見捨ててはならない。苦しみの中に自らの人生を投げ捨ててはならない。

泣きながらでもよい。膝をつきながらでもよい。ほんの一歩でも前へ進む。その一歩を、神さまは見ておられる。

人間は、順調な時には自分の本当の姿が見えにくい。仕事がうまくいき、人から褒められ、生活に困らなければ、自分の力だけで生きているような錯覚に陥る。しかし、思い通りにならない時にこそ、その人の心根が現れる。

誰かを恨むのか。責任を他人へ押しつけるのか。自暴自棄になるのか。それとも、自分に何が足りなかったのかを省み、今できることを探し、もう一度立ち上がるのか。

神さまが見ておられるのは、私たちが何度転んだかではない。転んだ後に、どのような心で立ち上がろうとしたかである。どれほど傷ついたかではなく、その傷を抱えながら、他人の痛みに寄り添える人間になったかである。

苦しみを経験した者は、弱い人の涙が分かる。孤独を知った者は、一人で耐えている人に温かい言葉をかけられる。失敗した者は、他人の過ちを一度で切り捨てなくなる。自らの弱さを知った者は、傲慢にならず、謙虚に頭を下げることができる。

苦難は、人を傷つけるだけではない。受け止め方によっては、人を優しくし、深くし、強くする。苦しみを通して得た優しさは、書物だけでは身につかない。涙の中で磨かれた慈悲こそ、本物の慈悲である。

神前に立つ時、私たちは願い事を並べがちである。病を治してください。仕事を成功させてください。悩みを消してください。もちろん、神さまに胸の内を申し上げることは悪いことではない。しかし宮司は、もう一歩深い祈りを持ってほしいと思う。

「どうか、この苦難を乗り越える力をお与えください」

「この出来事から学ぶべきことを、見誤らぬようお導きください」

「苦しみの中でも、感謝と誠を失わぬ人間でいさせてください」

この祈りは、現実から逃げるためのものではない。自ら現実に立ち向かう覚悟を神前で固める祈りである。

祈ったからといって、すぐに道が開けるとは限らない。雨がやみ、雲が晴れ、目の前に答えが現れるとは限らない。それでも、祈る前と祈った後では、自分の心が違う。神前で心を静め、自らの弱さを認め、覚悟を定めた時、同じ苦難であっても、その見え方は変わる。

「なぜ私が」と嘆いていた心が、「この出来事をどう生かすか」と考え始める。そこから、人間の再生が始まるのである。

人生に無駄な苦しみはない。すぐには意味が分からなくとも、後になって振り返れば、あの苦難が自分を変えた、あの失敗が進むべき道を教えた、あの別れが人の有難さを気づかせたと思える日が来ることがある。

宮司もまた、これまでの歩みの中で、平坦な道だけを歩んできたわけではない。悔しさも、孤独も、誤解もあった。しかし、その一つひとつが心を鍛え、今の自分をつくってくれたと思えば、苦難さえも有難い師であったと感じる。

神さまは、人を甘やかすためにおられるのではない。人が本来持っている力を信じ、その魂が輝きを増すまで、黙って見守ってくださる。

苦しくて、もう一歩も進めないと思う時にも、神さまはあなたを見捨ててはいない。助けが来ないのではない。あなたの中にある力が目覚めるのを、待っておられるのである。

「まだ立てる」

「あなたなら越えられる」

「その涙は、決して無駄にはならない」

そう微笑みながら、神さまは見守っておられる。

苦難の中にある時こそ、自らの魂が磨かれている時だ。痛みの中でも誠を失わず、暗闇の中でも一筋の光を求め、一日一日を生き抜くこと。その歩みは、目には見えなくとも、確かに人を輝かせている。

逃げず、腐らず、怨まず、自らを磨くこと。与えられた今日を懸命に生きること。

それが神さまの御心に応える道であり、人として生まれた者の尊い修行なのである。

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軽く、しわになりにくい生地を用いた日本製の国旗です。家庭や事業所での掲揚に。

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『宮中祭祀―連綿と続く天皇の祈り』

天皇の祈りと宮中祭祀について学び、日本の伝統への理解を深めるための一冊です。

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江戸時代から続く老舗の日本茶と海苔。日々の食卓や、大切な方への贈り物に。

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日本製・越前和紙の御朱印帳

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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