明治5年、新橋と横浜の間に、日本で初めての鉄道が開通した。その開通の日は、のちに鉄道の日として広く知られるようになった。宮司は、この記念日を思うたびに、一本の線路の背後に積み重ねられた、無数の名もなき奉仕に思いを馳せる。
鉄道は、単なる移動の手段ではない。定められた時刻に、定められた場所へ、正確に人と物を運ぶという営みそのものが、社会全体への静かな奉仕である。運転士は、一分一秒の狂いなく列車を走らせる。駅員は、乗客の安全を見守り続ける。保線の作業員は、夜を徹して線路を点検し、誰にも気づかれぬうちに危険を取り除く。こうした人々の名前を、私たちの多くは知らない。だが、その働きなくして、今日の社会は成り立たない。
日本の鉄道の父と呼ばれる井上勝は、若き日にイギリスへ渡り、鉄道と鉱山の技術を学んだ。帰国後、新橋・横浜間の建設に生涯を懸け、その後も日本人技術者の育成に力を尽くした。晩年、井上は自らの墓所を、東京の鉄道路線に挟まれた一角に定めたと伝えられている。死してなお、鉄道の発展を見守りたいという願いからであった。「わが生涯は鉄道を以て始まり、すでに鉄道を以て老いたり、まさに鉄道を以て死すべきのみ」。この言葉を、井上は生前繰り返し口にしていたという。一つの仕事に生涯を捧げるとは、いかなることか。宮司は、この逸話に触れるたびに、深く心を打たれる。
だが宮司は、鉄道網を築いた、もう一人の人物の生涯にも、深く思いを致したい。渋沢栄一である。
渋沢は、武蔵国の一農家に生まれた。若き日は、外国人を打ち払えという尊王攘夷の熱に浮かされた、血気盛んな青年であった。しかし縁あって一橋家に仕え、後に十五代将軍となる徳川慶喜の随員として、パリ万博へ派遣される。この渡航が、渋沢の生涯を大きく変えることになる。
パリで渋沢が目にしたのは、株式会社という仕組みであり、近代的な銀行制度であり、国土を縦横に結ぶ鉄道であった。武力によってではなく、経済の力によって国を強くするという発想に触れた渋沢は、帰国後、幕臣としての立場も、尊王攘夷の志も脱ぎ捨て、実業の道へと身を投じていく。
新政府に登用された渋沢は、やがて官を辞し、第一国立銀行をはじめとして、実に五百近くにおよぶ会社の設立に関わったと伝えられている。製紙、紡績、海運、そして鉄道。日本各地に張り巡らされた鉄道網の礎の多くは、渋沢の関わった事業にその源をたどることができるという。今日、私たちが乗る鉄道路線の系譜をさかのぼれば、その多くの先に渋沢の名が見えてくるのである。
宮司が渋沢の生涯から学びたいのは、単なる実業家としての成功譚ではない。渋沢は、事業とは私利のみを追うものであってはならず、公益のために資本と人材を結集する営みであるべきだと説いた。合本主義と呼ばれるこの考え方は、後年『論語と算盤』という一書に結実する。論語という道義と、算盤という利益は、決して相反するものではない。むしろ両者が手を携えてこそ、事業は健全に、そして長く続くのだと渋沢は説いたのである。
もし渋沢が、利益だけを追い求める青年のままであったなら、鉄道という国家百年の礎となる事業に、あれほどまでの情熱を注ぐことはなかったであろう。鉄道は、短期的な採算だけを考えれば、決して割の良い事業ではない。莫大な資金と歳月を投じ、完成までに幾多の困難を伴う。それでも渋沢が鉄道事業に力を尽くしたのは、そこに、目先の利益を超えた、国家と社会全体への奉仕という理念があったからにほかならない。
現代の私たちは、便利さを当然のものとして受け取りがちである。時刻表通りに電車が来ることを、疑いもなく信じている。だが宮司は思う。この信頼こそが、井上や渋沢のような先駆者の志と、今この瞬間も現場で働く人々の誠実さが幾重にも積み重なった結晶であることを、今一度胸に刻みたい。
時間を守るということは、単なる技術上の正確さではない。それは、見えない相手への敬意の表れである。約束の時刻を守ろうとする心は、相手の時間を大切に思う心でもある。鉄道が定刻を守り続けることは、乗客一人ひとりの人生の時間を、大切に扱っているという姿勢の表明でもある。
もちろん、時には天候や事故によって、列車が遅れることもある。それは責められるべきことではない。むしろ、そうした非常時にこそ、現場で対応にあたる人々の労苦に、そっと思いを寄せたい。安全を最優先し、時に厳しい判断を下しながら、多くの人々の命を預かり続ける仕事に、宮司は深い敬意を抱いている。
名もなき奉仕という言葉を、宮司は好んで使う。表舞台に立つことなく、称賛を求めることもなく、ただ淡々と自らの務めを果たし続ける人々。鉄道を支える人々の姿は、まさにこの言葉にふさわしい。井上や渋沢のように名を残した先駆者もいれば、今日もどこかの駅で黙々と働く、名を残さぬ人々もいる。その両方があってはじめて、一本の線路は今日も列車を走らせているのである。
家庭においても、こうした名もなき奉仕は日々行われている。誰に見られることもなく食事を用意する母の手、黙って家計を支え続ける父の背中。感謝の言葉を交わす機会は少なくとも、そこには確かな奉仕がある。鉄道を支える人々への感謝は、身近な人々への感謝と、決して無縁ではない。
いま、誰かのために黙々と働いている方へ。その働きは、目立たなくとも、きっと誰かの毎日を支えています。
宮司もまた、電車に乗るたびに、その背後にある無数の働きに、静かに感謝を捧げたいと思う。定刻通りに走る一本の列車の裏には、道義と実利を重んじた先人たちの志と、今この瞬間も現場で働く人々の誠実さが、確かに息づいているのである。
名もなき奉仕に支えられていることを忘れず、自らもまた、誰かのために黙々と働く一人でありたい。
名もなき務めを果たすすべての方の毎日が、どうか健やかで、報われるものでありますように。宮司も、心からお祈りしております。