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個を滅し、誠に生きる。諸法無我と大和心

静かな水面を前に、青い祭祀装束をまとい頭を垂れて祈る佐藤素心宮司

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誰にも知られず、誰かのために働いている人がいる。家族の眠る間に食事を整える人。人が立ち去った場所を黙って清める人。自分の名が残らなくても、次に来る人が困らぬよう、持ち場を守る人。その姿に、宮司は、我が国が受け継いできた無私の心を見る。

働きに見合う評価を受けたい。苦労をわかってほしい。その願いは、宮司にもある。それでも、人はときに、自分への見返りを離れて手を動かす。目の前の人を放っておけぬという心が、損得を数える心よりも先に働くのである。

その心は、どこから生まれるのだろうか。

宮司は、仏教の「諸法無我」という教えに、深く考えさせられる。あらゆるものは、それだけで独立し、変わらずに存在する実体を持たない。自分という存在もまた、無数の縁に支えられ、移り変わりの中にある。その教えを、人の生き方へ引き寄せて受け止めたいのである。

自分一人で生きていると思っていても、その命には父母がある。食卓の一椀には、土を耕す人、水を守る人、運ぶ人、調理する人の働きがある。胸の思いを伝える言葉さえ、自分が生まれるはるか以前から、人々が育ててきたものだ。

自分のものだと思っていた命の内に、すでに多くの人の働きが息づいている。

そう気づくとき、「個を滅する」という言葉の意味も変わってくる。宮司がここでいう個とは、自分だけで成り立ち、自分だけのために生きてよいとする、閉ざされた我である。その我への執着をほどき、授かった命の働きを、ほかの命へ開いていく。それを、無私への歩みとして考えたい。

どうか、ご自分の命の尊さまで、手放さないでください。

縁によって生かされているなら、自分の命にも、多くの願いが託されている。その命を粗末に扱うことはできない。体を養い、心を休め、学び、力をつける。そのうえで、自分にできる働きを差し出す。そこに、命を大切にすることと、人に尽くすことの、深いつながりがある。

西洋近代の思想には、自立する個人を出発点として、自由や権利を考えてきた大きな流れがある。一方、諸法無我は、その出発点にある「自分とは何か」を問い直す。独り立ちしていると思う、その自分を成り立たせている縁に目を向けるのである。

宮司は、ここに、東洋思想が人間に手渡してきた深い問いを見る。そして我が国には、その問いを、暮らしの所作や人としての務めにまで結びつけて受け継いできた、尊い精神の蓄積があると思う。

仏教の無我の教えは、日本だけのものではない。けれども宮司は、私を慎み、名を求めず、受けた恩を働きによって返そうとする姿に、我が国ならではの精神の深さを感じる。難しい教義を口にせずとも、黙って人を支える背中が、その哲学を生きているのである。

その働きに触れたとき、宮司は、教える側に立つより先に、頭を下げて学ばせていただきたい。

自分がどれほどのことを成したか。どれほど認められたか。そればかりを数えていると、心は、自分の名を置く場所を探し続ける。人の役に立つはずの仕事にも、いつしか、褒められるための工夫が入り込む。宮司も、その迷いから自由ではない。

無私になろうとする心にさえ、「無私な自分を認めてほしい」という願いは忍び込む。

だから、個を滅するとは、一度の決意で終わることではないのだろう。働くたびに、語るたびに、人と向き合うたびに、自分の心を確かめる。そこに見栄があったなら、そっと下ろす。保身があったなら、何を恐れているのかを見つめる。その繰り返しの中で、少しずつ素心へ立ち返るのである。

宮司にとって、素心とは、立派に見せるための飾りを下ろしたところに残る誠である。

誤ったなら、謝る。知らなかったなら、教えを乞う。助けられたなら、礼を伝える。相手の働きを、自分の手柄にしない。そうした小さなところで、我への執着は試される。大きな理念を掲げるよりも、目の前の一言を改めるほうが、難しいことさえある。

その難しさを引き受けるところに、宮司は、大和心を養う道を見る。

大和心を、宮司は、人とともに生きるために、自らの我を慎む心として大切にしたい。自分の都合を一歩退かせて、相手の事情を聞く。自分が楽になるだけの選択を、いったん考え直す。場を乱さぬ気遣いを持ちながら、苦しむ人の声には耳を塞がない。

ときには、黙っている自分の安穏を手放し、声を上げることも要るだろう。

自分が嫌われたくないから、見過ごしてしまう。その我を退けて、一人を守るために言葉を発する。無私の働きには、そのような勇気もある。和を大切にする心には、誰か一人に苦しみを背負わせたまま、穏やかな顔をしてはいられぬ厳しさがあるのだと思う。

そして、この問いは、我が国のあり方にもつながっている。

国に尽くすというとき、宮司は、そこに暮らす人々の顔を忘れたくない。田畑を守る人、工場で働く人、子を育てる人、病む家族に付き添う人。その営みを支え、まだ生まれていない子供たちにも、安心して生きる場所を渡していく。その責任を、自分の代で引き受けることである。

公の務めを担う人ほど、まず自らの私心を省みる。その姿を、宮司は願う。

地位を守るために、言うべきことを飲み込んでいないか。利益を得るために、次の世代の選択を狭めていないか。身近な人への義理を優先し、名も知らぬ人々の暮らしを遠ざけていないか。個を滅するという哲学は、権限を持つ者の心にこそ、厳しく置かれてよい問いであろう。

宮司もまた、神職という立場を、自分を大きく見せるために用いてはいないかと、胸に問いたい。人に献身を説く前に、自分が差し出せるものを差し出す。その順序を、祈りの中で確かめていきたいのである。

けれども、すでに精いっぱい働いている方には、さらに荷を負わせたくない。

疲れたときは、人の手を借りてよいのです。

支えることと、支えられること。その両方を受け入れるとき、人は、縁の中に生きていることを身をもって知る。自分だけで何とかしようとする意地を下ろすこともまた、我を離れる一歩になる。助けを受け取る手の中にも、感謝は育つのである。

宮司は「中今」を、受け継いだ恩を、この身の働きによって未来へ渡す現在として受け止めている。

この一生は、いつか終わる。けれども、誰かに手渡した温かさは、その人の働きを通じて、さらに先へ届くかもしれない。父母から受けたいたわりを、子に渡す。師から受けた励ましを、迷う人へ渡す。自分の名が忘れられたあとにも、人を支える働きが残ることはある。

その連なりの中で生きられるなら、自分の名を刻むことへの執着も、少しずつ静まっていくのではないだろうか。

個を滅し、誠に生きる。

宮司は、この言葉を、人を従わせるために掲げたくはない。自らの我を慎み、この命に託された働きを果たすために、胸の内へ納めておきたい。誰かのために手を動かす、その一瞬に、諸法無我の教えも、大和心も、暮らしの中で息を吹き返すのだと思う。

皆さまの命が大切に守られ、支え、支えられる縁の中で、穏やかな力を取り戻せますように。私心を鎮め、誠を尽くす心が、我が国の暮らしに深く根を下ろしていきますように。宮司も、深く頭を垂れてお祈りしております。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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