国民を守るという祈り。拉致問題に込められた日本の魂

北朝鮮による拉致問題は、国家の主権と人間の尊厳に関わる重大な課題である。二十三年前、五名の拉致被害者が帰国を果たして以来、残された方々はいまだ帰ることができない。その現実を思うたび、胸の奥に静かな痛みが走る。年月は容赦なく過ぎ、被害者も家族も高齢となった。時間は、すでにこの問題の最も厳しい敵となっている。
高市首相が「私は手段を選ばない」と述べた言葉に、強い覚悟を感じた。外交の場で理解を求める努力を重ね、国際社会の共感を広げようとする姿勢は、かつて安倍晋三元首相が示した信念を思い起こさせる。未解決のまま受け継がれたこの重い課題を前に、首相が安倍氏の思いを胸に刻み、行動しようとしていることに、深い意義があると感じる。
宮司は長年、奈良県の拉致被害者会の会長を務めてきた。被害者家族の方々と共に声を上げ、署名を集め、政府関係者に訴え続けてきた。その中で学んだのは、政治の言葉よりも「待ち続ける家族の時間」がいかに過酷であるかということだ。希望と絶望の間を行き来しながらも、家族は信じ続ける。その姿こそ、私たちが日本人として大切にすべき祈りの形である。
拉致問題の根底には、人間を数字として扱う非人間的な思想がある。国家が国民を守れないとき、国の根が揺らぐ。だからこそ、政府の責務は明確でなければならない。誰かの命を、どの国も、どの時代も、政治的駆け引きの道具にしてはならない。
高市首相が示した「最重要課題」との言葉は、単なる政治的宣言ではない。それは日本という国が、いかなる状況においても自国民を見捨てないという宣言でもある。外交とは理念を実現する手段であり、その理念が人間の尊厳である限り、国家は毅然と立たねばならない。
拉致問題の解決は、被害者の帰国という一点に尽きる。謝罪や補償ではなく、肉親の再会こそが真の正義である。その道のりがどれほど険しくとも、政府と国民が同じ方向を見つめ、声を絶やさぬ限り、希望は消えない。
この問題に関わってきた年月を通じて、学んだことがある。正義とは声を上げ続けること、祈りとは諦めぬこと、そして国家とはその声と祈りを受け止める器であるということだ。今こそ日本人一人ひとりが、「誰も置き去りにしない国」を志として共有すべき時に来ている。
高市首相の言葉を、宮司は政治的発言としてではなく、日本という国の魂の宣誓として受け止めたい。失われた年月を取り戻すことはできないが、未来をつくる意志は今ここにある。国の尊厳とは、国民一人の命と尊厳を守ることにほかならない。その覚悟を、私たち一人ひとりが胸に刻まねばならない。
