救いは遠くにない。心を軽くする生き方の原点

救われるためには、シンプルでなければならない。

宮司はこの言葉を、生き方の入口として静かに据えている。人は時代が進むほど、多くを持ち、多くを知り、多くを語ろうとする。しかし、心が満たされないと感じるのは、足りないからではなく、抱えすぎているからである。余分なものを削ぎ落とし、必要なものだけを残す。その潔さこそが、人を本来の姿へと戻していく。

自然と調和し、共存共栄せねばならないという教えは、人が自然の外に立つ存在ではないという自覚から生まれる。山は黙して季節を告げ、川は抗わずに道をつくる。人もまた、その流れの一部として生かされている。宮司は、自然を利用する対象としてのみ見る視線に、いつの間にか傲りが忍び込むことを危惧する。自然に寄り添うとは、支配することではなく、耳を澄ませ、兆しを読み、身の程を知ることである。

救われようとするなら、神を畏れなければならない。畏れとは、恐れることではなく、計り知れないものの前で姿勢を正す心である。万物に頭を下げ、感謝するという姿勢は、祈りの場に限られるものではない。朝を迎えられたこと、誰かの手によって日常が保たれていること、その一つ一つに思いを向けるとき、人は自然と謙虚になる。宮司は、感謝が形だけになった瞬間に、心は空洞になると説く。

怨みも辛みも憎しみも、脱ぎ捨て、忘れなければならない。これらは正しさの仮面をかぶり、人の内に居座る。しかし抱え続ければ、視野は狭まり、言葉は鋭くなる。手放すことは逃げではない。前へ進むための決断である。宮司は、心の重さに気づいたときこそ、置く場所を探す時だと考える。夜が明けるように、時間と向き合えば、感情は必ず変化する。

そして、他人を喜ばし、他人を幸せにする。自分のことより、他人のために生きるという姿勢は、自己を後回しにすることではない。誰かの笑顔を願う心は、巡り巡って自らの足元を温める。宮司は、和を尊ぶ心が特別な理念ではなく、日常の振る舞いに表れると語る。挨拶を欠かさず、言葉を選び、相手の立場に思いを寄せる。その積み重ねが、社会の呼吸を整えていく。

速さや効率が価値とされる現代において、立ち止まる勇気は忘れられがちである。宮司は、静けさの中にこそ判断の基準があると考える。声を張り上げる前に耳を澄まし、主張する前に省みる。その姿勢が、衝突を避け、調和へと導く。古くから受け継がれてきた精神は、声高に叫ばれるものではなく、背中で示されるものである。

救いとは、どこか遠くに用意された答えではない。日々の選択の中に、すでに芽吹いている。簡素であること、自然と歩調を合わせること、畏れと感謝を忘れないこと、心の重荷を下ろすこと、隣人を思うこと。宮司が十年前に綴った言葉は、今も変わらず、人が人として生きるための道しるべとなっている。静かで強いその教えは、時代を越えて、次の世代へと受け渡されていく。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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