二度とない今日を、どう生きるか。心に灯をともす日本のこころ

人生は一度きりであると、頭では誰もが知っている。だが、その事実を日々の呼吸のように感じながら生きている者は、どれほどいるだろうか。時は絶え間なく流れ、昨日と同じ朝が来るように見えて、実のところ同じ一日は二度と訪れない。坂村真民先生の詩に触れるたび、その当たり前でいて厳粛な真理が、胸の奥に静かに落ちてくる。

宮司は、詩を読むたびに自らに問いを投げかけてきた。この限られた命を、どのような姿勢で使い切るのか。何を守り、何を育て、何を次へ手渡すのか。人生が一度きりであるからこそ、粗末に扱ってよい瞬間など一つも存在しない。一輪の花に目を留めること、一羽の鳥の声に耳を澄ますこと、その小さな積み重ねが、生き方の輪郭を決めていく。

踏みつぶされそうな虫に足を止める心は、弱さではない。それは、世界の隅々まで命が満ちていることを知る感受性である。便利さや効率を優先する社会の中で、見過ごされがちなものほど、本当は尊い。小さなものを守れる心は、大きなものを託される土台となる。

便りを書くこと、返事を欠かさぬこと、身近な人を後回しにしないこと。それらは特別な徳目ではないが、人生を温める確かな火種である。豊かさとは、持つ量ではなく、向き合う姿勢で決まる。財布が軽くとも、心が乾いていなければ、人は人を支えることができる。

フライシュレンの詩が語る「心の太陽」とは、外から与えられる光ではない。嵐の只中にあっても、自ら掲げ続ける灯である。世の中が騒がしく、争いの声が大きくなろうとも、内側の温度を失わぬ者は、周囲を静かに照らす。唇に歌を宿すとは、現実から目を背けることではない。重荷を背負いながらも、歩みを止めぬ覚悟の表れである。

苦しむ人にかける言葉は、長くなくてよい。ただ、希望の方向を指し示せばよい。太陽は雲に隠れても消えはしない。そのことを思い出させるだけで、人は再び歩き出せる。

山が涙を流せば雨となり、雨は水となり、命を巡らせる。人もまた、自然の循環の中に生かされている存在である。思い通りにならぬ日があっても、それは無意味ではない。すべては次の実りへとつながる過程であり、今日という一日は、その連なりの中のかけがえのない一節である。

宮司は、朝に手を合わせるたび、この一日が二度とないことを心に刻む。だからこそ、急がず、怠らず、驕らずに生きたい。小さな命に学び、人の痛みに寄り添い、光を分け合う。そうした日々の積み重ねこそが、静かに国の背骨を支え、和を広げていく力になると信じている。

今日も太陽は昇り、同じように見えて違う一日が始まる。その一瞬一瞬を、感謝とともに迎え送り出す。その姿勢こそが、二度とない人生への最大の敬意である。

坂村真民について

坂村真民は、1909年(明治42年)熊本県玉名郡府本村(現・荒尾市)に生まれた日本を代表する仏教詩人である。本名は昂(たかし)であり、父の死により幼くして貧しい生活を強いられた経験は、その後の詩の深い祈りと慈愛の根底に強く影響を与えた。

神宮皇學館(現・皇学館大学)を卒業後、教員として朝鮮に渡り戦後帰国。その後愛媛県で高校教師として教壇に立ちながら、41歳のとき詩の創作に転じ、月刊詩誌『詩国』を創刊した。以後70年以上にわたり詩作を続け、全国各地に詩碑が建立されるなど多くの人に愛され続けた。

坂村の詩は「念ずれば花ひらく」「二度とない人生だから」など、日常の中の命の重みや人間としての在り方を静かに問いかける内容で、幼い子どもから高齢者まで幅広い世代の共感を呼んだ。詩の根底には仏教思想に基づく慈悲と感謝の精神が流れ、読者に希望と勇気を与え続けた。

2006年(平成18年)97歳で永眠するまで、詩と祈りを紡ぎ続けた坂村真民の言葉は、時代が変わっても色あせることなく、今日を生きる人々の心に深い光を投げかけている。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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